5月3日は憲法記念日。マルキストのS先生に言われるまですっかり忘れていた。集会に誘われたが、最近の憲法改正論議も、集団自衛権の問題もなんだか論点がおかしくて、参加は見送った。
まあ共産主義者は、本来改憲論者だはずなのだが、歴史的な大転換が大昔にあって今では護憲派という摩訶不思議な事になっているのだが、彼らはどう思っているのあろうか。革命を捨てた共産主義者とは、社会主義者のことにならないのはなぜか、不思議だ。
憲法改正議論でイマイチだと思うのは、だれもが曖昧な議論しかしない事だ。本来の憲法の意味を解っている人が政治家の中に少ないからだと思う。
憲法には二つの意味がある。将来こうゆう国にするという目標だ。そしてそのためになにが必要なのか、重要項目を書き出したものと言える。この文脈では、自民党案も幸福実現党案も変わらない。幸福実現党のほうがこの傾向が強い。
次ぎに、王権のような強力な権力を縛るための法でもある。用は、権力者達のべからず集にもなっている。3権分立の規定などがそうだ。そして公務員に対しても15・17条の縛りがあるはずだ。そうした縛りに対して、国民の自由を規定したりしているので、最初の意味があったりする。
歴史的に見れば後者の意味が最も強い。所が出てくる改正案は前者ばかりだ。これでは議論しようも無い。
その前に、第二十五条 の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」は実現しているのだろうか。そもそも現憲法下で完璧に実現されたと言えるものはあるのだろうか。その意味では現憲法を改正する意味は無いと思う。
9条問題は余りにも大きい。世界第3位の国のGNPの1%の予算だ。それで編制されている自衛隊は実はかなり強力な軍隊でもある。だから何らかの制限を加えて認めないと不味いわけで、自国の領土拡張をしない、と言う規定だけだろうか。軍事的に同盟関係を結んでいる国がある限り、集団的自衛権の発動があり得るわけですが、それは憲法には含まれないでしょう。こればかりは政治判断以外はあり得ないわけで、そのために選挙制度があるのだと言うのを忘れないようにしたいものです。
で、猫を撮っているわけです。3日なのでニャ~ということで、岩大の3匹です。前半は天信系、ここからは農学部系です。学生ボランティア活動で、天信系は現在2匹です。農学部系は5匹。すべて避妊治療を施されています。かなり早く進んだと思いますが、とても大変な仕事だったと思います。里親を見つけたり、避妊手術をさせたり。
あのおばさんを説得するのは本当に大変だったでしょう。
食事を与える皿も消毒したりしています。彼らには頭が下がります。
毛つやも良くなって来ています。
多分のら猫にテキト~に餌を与えるのは、表現の自由ではないと思います。文化的生活なのかな。他者への侵害となればそれはどうなのか。
野良猫への憲法はまだ無い。
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