










みどりまち文庫セミナー
人生100年時代 あらためて コミュニティを切り口に考えよう
慶応義塾大学 秋山美紀
日時:2015年4月4日 18:30-20:30
場所:みどりまち文庫
コミュニティというと、個人的には、医師会、大学の医局、町内会、高校・中学などの同窓(会)、さまざまな職種の仕事仲間などを思い出してしまうが、その実態は人により異なり曖昧であることに気づく。
一方で、地域包括ケアにおけるコミュニティの在り方として、地域での支え合い・助け合いなどが強制され(?)、そのような活動を行っていない私のようなものには、なんとなく居心地の悪さすら感じることもある。
そんななか、一人で好きなことをやっていても、どこかに「仲間がいる感覚」「自分に何らかの役割がある感覚」「誰かに支えられている感覚」をもてるならそこには「認識としてのコミュニティ」が存在するという秋山さんのレクチャーは、目から鱗の内容だった。
○コミュニティとは何か?
マッキーヴァー(米社会学者)
「我々と思える仲間感覚」
「自分に何らかの役割がある感覚」
「お互い様で支え合っている感覚」
コミュニティは、多分に感覚的なもの
その人にとってのコミュニティは、ライフコースの場面によって変化する
○なぜ、今コミュニティか?
1、生きがいを得られる居場所としてのコミュニティー
長寿社会を迎え、定年退職後も人に役立ちたい、人に認められたい、生きがいを持ちたいという思いをもつ
熟年者の参加の場としての「コミュニティ」が注目されている。
2、個人も社会も健やかになる「資本」としてのコミュニティー
人のつながりや信頼の共有が、個人も社会も健やかにしていく
社会関係資本 ソーシャルキャピトル
3、不足する地域ケア資源の補完としてのコミュニティー
地域包括ケアにおけるコミュニティ
地域包括ケアの英訳は Community-based Integrated Care
community-based におけるcommunity は
地理的な範囲を超えた「つながり・支え合い」の意が含まれる
Integegrated(包括、一緒に統合する、ごちゃまぜ)には、
チームだけではなく、対象者の統合、異なるシステムの統合の意味も含まれる
○会話がなくてもコミュニティは成立する
特段意識せず、自分が心地よいと思えること、好きなこと、心が満たされることを入り口に
趣味、同窓会、生涯教育、地域貢献、アルバイトなど、人の輪に参加すること、一人で好きなことをすることも良い
自分自身と向き合う一人の時間を心地よいものにすることは、人生を生きるために重要
一人の時間を過ごしていても、どこかに「仲間がいる感覚」「自分に何らかの役割がある感覚」「誰かに支えられている感覚」をもてるならが、その人には認識としてコミュニティが存在することになる。
まとめると、帰属やつながりを感じられ、かといって窮屈ではない「認識としてのコミュニティ」が、人が安心感や満足感を持って生きていくために重要ということになるだろう。