十数年前に、東京に帰ってきました。市原に移住しました。のんびりと自然の中で生活しようなどと、夢のような気持ちでした。でも、結局、やる事は、同じでした。
歌はソリスト集団土気トスカーナに、
テニスはアスレチックセンターで、
バイオリンはカルチャーセンターでと、私の生活パターンは、ひと月後には、整いました。
その中でテニスのUコーチとの出会いが、こちらでの音楽活動の基盤を作ってくれる事になったのです。彼は、プロのギタリストでもあったのです。
ある日、志津公民館でコピーをしていると、事務所から、年配の女性が出てみえました。「何をコピーされてるんですか?」私、「歌の伴奏のピアノの楽譜です。」彼女、「ここで、コンサートしませんか?」
私の歌も聴いた事のない人です。私の雰囲気と楽譜だけで、誘って下さったのです。勿論、飛びつきました。
急ぎ仲間を~。まず、ギターのテニスコーチを、旧友のバイオリン弾きを東京から、ピアノは、土気トスカーナのピアニストと四人が揃い、一年間、春夏秋冬と4回ロビコンをしました。
練習など、とても大変でした。でも、バイオリン、ギターのソロ、ギターと歌のduoでラテンをと、バラエティーに富んだものが出来ました。最後は、市原本庁のロビコンを持たせて貰えて、満足でしたが、出来が良くなかった。最後の最後が、心残り。
その後、Uコーチのテリトリーのライブハウス2軒で歌わせて貰い、大多喜の植物園では、ピアノの弾き歌いをしました。
私が関わり始めて、間もなく、二つのライブハウスは、つぶれました。申し訳ありません。
その後、千葉シニアに、アルゼンチンタンゴのサークル(Tango Cielo)(Cielo-->空、そら)を主催する女性がバイオリンで、入部され、私は、歌を売り込みました。スペイン語の意味も分からず歌っている事がだんだん恥ずかしくなり、スペイン語を習う事になり、現在に至っています。未だに、歌詞は、訳せません。
これは、人との出会いの連鎖で波紋が広がるという典型のような出来事でした。
幸せな市原デビューでした。
TetsukoさんはViolin担当です。コスモスの外ではいろんなバンドで歌手兼バイオリニストで活躍!写真下は2017年四谷の市民ホールでのタンゴシエロのステージ、バンドネオンは大河内 裕さん、右端は佐々木さん(タンゴシエロ主催者) KenM
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