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定期購読している雑誌の心療内科医の先生が書かれている、コラムを毎号楽しみにしています。
今月号は、「許可を求めないと安心できない」症候群と名づけたくなるような発言と言動のこと。
どうやら、最近許可を求めないと安心できないというような人が多いんだそうです。
『「私はこうしていいのだろうか」と悩む人が多い、悩むこと自体は悪くないのだけれど
最初に、「私は自分ではこう思う」と自分を主語にして考えてから、
「私はこう思い、こうしたいのですが、どう思うか?」とスタートはまず自分が大切。』というような内容。
以前、私が友人に悩みを相談していた時に、
彼女に「昔から、私と話しているときにはあなたは既に答えが出ているよね」
と言われたことを思い出しました。
どう思う?と聞く前に私はきっと自分で気がつかないうちに
悩んで自分の中で答えを出しているんだろうなって。
その答えを、人に話すことで最後の整理をしているんだろうなってその時気が付いたものです。
最近、仕事などでも気が付くのが、
言われたことしかできない、自分で考えて行動できない・・・っていう新人が多い事。
この前のマネージャー会議でも、それがメインテーマでした。
今はそういう人が多いので、そういう現実を受け入れた上で、
どうやって育てていくかという話になったのです。(苦笑)
ふう~
何でも他人に許可を求める人は、当然ながら許可を得る事で、
その後に起きた出来事に対して、責任を逃れる口実ができます。
「だからあの時、あなたに許可を得たではないですか」というふうに言われるんですよね。
上手く行った時には、自分の判断でしたっていうふうになるんだろうけれど。(苦笑)
そういうふうになるのは、そのコラムでは、
「自分の思考やそれに伴う行動に対して、責任を持たされないで育てられたから」と書かれていました。
ふう~それって子育ての問題だけなのか??
私の場合、確かにドイツに来るのも自分で決めたので、
嫌なことがあっても逃げる事、言い訳はできなかったな~
結婚のことも、自分で決めたから辛かった時も母親に自分で決めたことでしょう?
と言われた時には確かに反論できなかったな・・・等いろいろと考えさせられました。
本当に改めて考えると、他人に答えをゆだねるという事は、責任も他人にゆだねるという事なんですよね。
確かに、自分の人生(行動)に自分が責任を持たないで、
誰が持ってくれるんだ??
これを読んだ後、さだまさしの歌「主人公」の歌詞の一部分、
♪ どんな小さな物語でも、自分の人生では誰もがみな主人公 ♪ が頭をまわりました。
中学の頃、「主人公」の歌が好き!と初めて話したクラスメイトも、
15年以上前からアメリカで自分で決めて人生切り開いているし、
私も彼に負けないくらい、自分の人生には責任を持って
色々な答えを自分なりに出しながら進まないと、と改めて思った冬の休みの午後です。
(でも、新人と向き合い、イライラしているとそういう思いも薄らいでいくんですけどね)