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国立科学博物館とマグネトロン 2015.12

2015-12-16 15:25:08 | 博物・美術館

2015.12.15(火)

免許更新に下谷警察署に行った帰りに、博物館を覗きみると2FにJRC製のレーダ、衛星通信などとマグネトロン(レーダの心臓部マイクロ波発信器)が展示されている。


2F「科学技術で地球を探る」テーマで観測ステーションのコーナー

  

船舶レーダ、インマルサット(衛星通信)と富士山レーダに使ったマグネトロン

船舶レーダの東京湾映像

  

富士山頂の気象レーダ1964年

 富士山気象レーダに使った新JRC製波長28GHz 10cm 2MWのマグネトロン、S氏がリュックで担いで山頂に運び上げる

 

 レーダの利用ポスター  飛行機や船舶の監視、気象予報、自動車の衝突予防、野球のスピードガン


  同じ2Fの科学技術の歩み」のコーナに、最初のマグネトロンが展示

1939年に世界初のマグネトロンが完成し、海軍の艦船に電波探信儀(レーダ)使用される

 

JRC製「M60S形マグネトロン」受信用と、 右上「M312形マグネトロン」送信用 3035MHz 出力6.6kW 電波探信儀の心臓部

送信用水冷式マグネトロン  ドイツの「ウルツブルク・レーダー」の技術を受けたのか?・・映画「ナバロンの要塞」砲台の設置レーダ 

 

「M60S形マグネトロン」受信用 昭和19年10月29日製 SN/42989 日本海軍のイカリマークがある。

 

昭和19年11月16日製 SN/49590 励磁器にマウントされた受信用マグネトロンM60S

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コンピータ素子の変遷    マグネトロンの近くに、デジタル素子の変遷があり懐かしく覗き見る    

1世代は電磁リレーから始まり真空管へ、2世代はパラメトロンとトランジスタに、3世代は画期的な集積回路のICに置き換わり、LSIからは集積度が年々加速する

 

1976年最初のNECマイコン

 

世界最初のLSIマイクロプロセッサ(インテル・嶋正利)

 

 1956年 最初に稼働した電子計算機(富士フイルム) 真空管1700本             1955年 リレー計算機 電話交換機リレー22000個 


★ 年に1~2度立ち寄るが、今回はJRCのレーダが目に留まった。 20年ほど前には、JRCのフライトシュミレータ(YS-11用)が展示してあったがその後目にしていない。

★ 1942年6月のミッドウェイ開戦では、戦艦「日向」の電波探信儀が停止され使うことなく、日本の攻撃機は空母「ヨークタウン」のレーダー で探知され大敗した。

 


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