1333年(元弘3年)5月の新田義貞の鎌倉幕府攻めの際、此処から進軍したので「稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)」の碑が立つ。
当時の波打ち際は、切り立った崖で岩が高く道が狭小なため軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、潮が引いて干潟となったので岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されている。
稲村ヶ崎の西側
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