![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/06/f06fcfe888f7bf377c4fd906ae8f16b1.jpg)
儒教は徳治主義である。
徳治主義とは、徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想。この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透している。
「徳」に、明確な答えはない。時代によって状況によって正しいということは変化するからだ。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」。
そのときに正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」とされる。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」となる。
つまり、徳治主義では、失敗した原因は徳が不足していたからであり、「悪」だからだ。
徳治主義とは実は、究極の成果主義と言える。
例えば、AがBに騙されてお金を取られたとする。
儒教の徳治主義では、騙されたAが悪い、となる。
騙されたのはAに徳がなく、バカだからだ。 徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのだ。
儒教の国以外では、嘘をつき、間違った情報で騙したBが、悪い。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるだろうが、Bに非が無い、もしくはほとんどの非がAにあるという考えにはならない。騙されたAが悪いと判断するのは儒教国だけだ。
その結果、嘘をつくことが正当化される。騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得。
騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからだ。 嘘はつき得ということになる。
儒教国以外の私たちの多くは「嘘は罪だ」と思っている。では、なぜ嘘は罪なのだろうか?
それは、「神」の存在があるからだ。 神が嘘を裁いているから、嘘は罪なのだ。
一神教では絶対的存在の「神」が居る。神には絶対的な力があり、人間では到底叶わない、底しれない能力がある。当然、嘘だって見抜く。
日本ほど寺社仏閣・祠・地蔵といった宗教物がある国はない。日本人が嘘をつかないのは「言霊信仰」もあるだろうが、やはり人では無い特別な存在(神・霊・仏・閻魔様など)が見張っているという感覚があるからだろう。
儒教にはその神が居ない。儒教はハッキリと神を否定する。
神がいないので、「嘘をついたら、神様が見ていて罰を下す」 という感覚がない。
罰が下るという感覚が無い以上、「罪悪感」もない。抑制するものが一般的な習俗の国よりも薄くなる。
[ 擅恣企画サイトより ]
儒教では、「 徳 」 が 「 得 」 を 説くとは、考え及ばなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
<< もどる <
徳治主義とは、徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想。この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透している。
「徳」に、明確な答えはない。時代によって状況によって正しいということは変化するからだ。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」。
そのときに正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」とされる。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」となる。
つまり、徳治主義では、失敗した原因は徳が不足していたからであり、「悪」だからだ。
徳治主義とは実は、究極の成果主義と言える。
例えば、AがBに騙されてお金を取られたとする。
儒教の徳治主義では、騙されたAが悪い、となる。
騙されたのはAに徳がなく、バカだからだ。 徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのだ。
儒教の国以外では、嘘をつき、間違った情報で騙したBが、悪い。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるだろうが、Bに非が無い、もしくはほとんどの非がAにあるという考えにはならない。騙されたAが悪いと判断するのは儒教国だけだ。
その結果、嘘をつくことが正当化される。騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得。
騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからだ。 嘘はつき得ということになる。
儒教国以外の私たちの多くは「嘘は罪だ」と思っている。では、なぜ嘘は罪なのだろうか?
それは、「神」の存在があるからだ。 神が嘘を裁いているから、嘘は罪なのだ。
一神教では絶対的存在の「神」が居る。神には絶対的な力があり、人間では到底叶わない、底しれない能力がある。当然、嘘だって見抜く。
日本ほど寺社仏閣・祠・地蔵といった宗教物がある国はない。日本人が嘘をつかないのは「言霊信仰」もあるだろうが、やはり人では無い特別な存在(神・霊・仏・閻魔様など)が見張っているという感覚があるからだろう。
儒教にはその神が居ない。儒教はハッキリと神を否定する。
神がいないので、「嘘をついたら、神様が見ていて罰を下す」 という感覚がない。
罰が下るという感覚が無い以上、「罪悪感」もない。抑制するものが一般的な習俗の国よりも薄くなる。
[ 擅恣企画サイトより ]
儒教では、「 徳 」 が 「 得 」 を 説くとは、考え及ばなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](http://blog.with2.net/img/banner/m01/br_banner_fuji.gif)
日本人は嘘をつくと罪になりますが、隣の中国、韓国、北朝鮮は平気で嘘をつきます。
今日、その理由がよく分かりました。
矢張りこの三国とは価値観の一は出来ないようですね。
>きのう、健康診断を受けてきました。
1週間後に結果がでますが、去年のように何もないことを願っています。
健康指標の数値に異常が無ければいいですね。
秋になって時候がよくなれば適度な運動を心掛けてくださいね。
やっぱり「日本人に生まれて 良かった~!」と
改めて思いました。
らいちゃんは、文学者の素養がおありです。このことは考えたこともありません。
いずれにせよ、「却って」でも「反って」でもよいときいて、 かえって ホッとしています。 (-_-;)
> 矢張りこの三国(中国、韓国、北朝鮮)とは価値観の一致は期待出来ないようですね。
徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くということからしても、期待薄です。
そのように考える日本人に生まれて幸せです。
「泥棒にも三分の理」で「この家は空き巣に入って下さい」と言っているから入るのだ、と言います。
入られる家にも問題があります。
振り込め詐欺は、人の欲をついて、「還付金がある」と言う。
税金の誤納や、高額医療費の還付金、税金を納めていない人や、高額な医療費も払っていない人が、
どうして還付金の詐欺にあうのでしょうね。
金が還ると聞いて、目が眩むのでしょうか?
馬鹿だからと言うのは解りますが、
徳が無いからでしょうか?
三分の理屈ではありませんが、騙される方にも問題があるのでは・・・・。
> 騙される方にも問題があるのでは・・・・。
オレオレ詐欺や振り込め詐欺に、騙されるなと喧伝されているのに、相変わらず減りません。
たしかに、人の欲をつかれて騙されるわけですから、騙される方も悪いに違いありません。
一番の悪者は誰かといえば、騙す側だと考えます。まちがっても、騙される奴が一番悪いなどとは考えもしません。
儒教の徳治主義では、騙された奴が悪いと考えるようですが、すくなくとも日本人には受け容れられないのではないでしょうか・・・。
悪徳商法は、おのれの「 得 」ばかりを追求するので、文字通り「 悪徳 」なのでしょう。
お読みしていると、儒教というのを勉強した事も有りませんが、一方的な考え方に不思議だと思う人が居ないのか?と疑問を持ちました。
私の持論は、世の中は常に「性悪説」で流れていて、神仏等の宗教には違和感を持っています。また、キリスト・イスラム・ユダヤなども同様ですが、世界で信者数の多いのがキリスト❔らしいですね。
私は、無神論者です。難しい事は解りませんが、自己判断で良い物だけを吸収すれば良い筈ですから、何もその宗教にのめり込む必要は無いと思いますが、多くの信者が存在します。これがまた不可解だと常に思っております。
このコメントを書いて、支離滅裂ではないかと危惧しますが、所詮、脳味噌の悪い私には理解できる限界があると反省します。
失礼しました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/64b3e9b0a96e431c2f94b7f172ce5f43
正月には神社に初詣にでかけ、クリスチャンでもないのに聖バレンタインデーを祝い、クリスマスを騒ぎます。
そして、葬式や法事のときには、「南無阿弥陀仏」と称えます。例外はあっても、大半の日本人の形態と思えます。いかにも、八百万の神のいる日本の宗教観です。
「神は存在するか❔」は、悩ましい問題です。
一応、当方も考えました。それも次のように数学的に考えてみました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0c34a1319fcb3a86165a525a9b4a463c
例えば、江戸城の大奥は男は将軍しか入れません。
ところが茶坊主は、大奥内で雑用をこなします。芝居の黒子に似ている。そこに居ても、居ない。
神をそんな存在とみなすと何かと便利です。こんな風に考えるのは不遜なことですが、精神的に安定します。
「信ずる者は幸いである」となるわけでしょう・・・。
また、「この国のかたち」司馬遼太郎をシリーズ化していますから、「日本の神と仏」についても触れています。
靖国神社については、9月8日「幕末から維新」で触れる予定です。