桃太郎や一寸法師で退治されるのは、いつも鬼。そのうえ、節分になれば豆まで投げつけられる。可哀想。 俗に幽霊が出るという夜中の2時は「丑みつ時」と呼ばれ、十二支の方角からきている。 干支の順に12時がネズミ、1時は牛、2時は寅・・・とふっていくと夜中の2時は丑が最も満ちた時間つまり「丑みつ時」になる。 方位にすると「艮(うしとら)=鬼門(きもん)」になる。幽霊の出る時間と鬼の来る方角が一致する。 鬼のスタイルが、牛の角にトラのパンツなのは鬼門が丑寅だからで、まさしくオヤジギャグそのもの。 一方、桃太郎に従い鬼を討つ3匹は、猿・キジ(鳥)・犬であり、その方角は幸運が来るという西を指しており、方位が丑寅と対になっていてとても奥が深い。 |
鬼とは『隠(おぬ)』『陰(おん)』に由来するもので、目に見えない邪気・この世の者とは思えないものという意味があった。
そのため、昔は災害や疫病などの災難は鬼のせいだと思われていた。
鬼が日本に出現するのは古代に遡り、ただ「あしきもの」といわれていた。鬼とは、中国では幽霊のことだった。
大和朝廷は、反体制勢力を鬼と呼び蔑視した。とくに東北や九州の勢力等は、鬼と呼ばれ朝廷から武力行使を受けた。
朝廷に従わぬ地方豪族を鬼に想定することで、討伐する大義名分を得た。そして、地方豪族が一掃されるや今度は盗賊等が鬼とされ、鬼は都を跋扈し山に潜んだ。
ところで、「何故、鬼は豆が嫌いなのか❔」
節分のように 何かを投げて鬼を祓う、という儀式は「追儺(ついな)」の儀式として平安初期頃から行われていた。
当時は豆だけでなく米や麦なども蒔いていたという。
でも、「当時一番収穫があった」「投げやすかった」「蒔いた音が良かった」とか・・・。
そういう理由で豆がメインになったというオチ。
追
「 陸奥 」をふくらませた。 [ 浅草寺の節分 ]
その分、気をつかい、出費もかさみます。ご苦労さま。
馬鹿げていて他愛なくて、昔の人は余程時間を持て余していたのでしょうね。
どれほどの値段なのでしょうね・・・❔
面白ですね。
そうですか、大和朝廷は、地方豪族を鬼として、勝者の伝説を残していったんですね。
この時代ですから、お手頃な値段ですね。^^
那須一族の血をひく名門だった芦野氏は、幕府に優遇されたとは、江戸時代はそんな時代です。
> 大和朝廷は、地方豪族を鬼として、勝者の伝説を残していったんですね。
水稲農業の耕地化が進み、武力で追われたわけではなく、ただ草獣がいないため東へ東へと移動したようです。
東北に黄金が発見されたましたが、朝廷に差し出さぬからと蝦夷との戦いが繰り広げられることになりました。
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