さいきん、新潟で橋の欄干を高くするか低くするかでもめた。信濃川のゆったりとした流れをこどもに見せたくも安全も確保したい。
結局、多少の危険を犯してもこどもたちに自慢な川の悠久たる流れをみせようと欄干を低くした。
一方、北九州では、ブランコ事故のために地域内のブランコを総て撤去させたそうだ。
いずれの措置が優っているだろうか。
怪我の原因となる危険物を取り払うと事故は起きないが、そのためにブランコのたのしさをも奪ってしまった。橋の欄干が低いために落ちないよう注意して川の流れを身近に接すれば、危険の存在を自覚させ、同時に自然の豊かさを味わうことができる。
似たような風潮がある。
公園の砂場に、鉄柵を設けて犬猫が入れぬようにした。動物たちの排泄物で汚されるという。不衛生であることだけを捕らえると、その措置は正しい。
だが、無菌状態で育ったこどもたちは弱くなった。日本が貧しい時代は、こどもたちは裸足で走り回ってたくましく育ったではないか。
すでに起こっている現象だが、後進国といわれる地域では発症しない病気に衛生的に恵まれすぎた環境で育つた子供たちが、罹るようになったという。安全圏で育ち大人になった時代に病気に抵抗力がなくなってしまった。
多少の危険の中にたくましさを求めるというのは、豊かになりすぎた者が陥る懐古なのだろうか。
結局、多少の危険を犯してもこどもたちに自慢な川の悠久たる流れをみせようと欄干を低くした。
一方、北九州では、ブランコ事故のために地域内のブランコを総て撤去させたそうだ。
いずれの措置が優っているだろうか。
怪我の原因となる危険物を取り払うと事故は起きないが、そのためにブランコのたのしさをも奪ってしまった。橋の欄干が低いために落ちないよう注意して川の流れを身近に接すれば、危険の存在を自覚させ、同時に自然の豊かさを味わうことができる。
似たような風潮がある。
公園の砂場に、鉄柵を設けて犬猫が入れぬようにした。動物たちの排泄物で汚されるという。不衛生であることだけを捕らえると、その措置は正しい。
だが、無菌状態で育ったこどもたちは弱くなった。日本が貧しい時代は、こどもたちは裸足で走り回ってたくましく育ったではないか。
すでに起こっている現象だが、後進国といわれる地域では発症しない病気に衛生的に恵まれすぎた環境で育つた子供たちが、罹るようになったという。安全圏で育ち大人になった時代に病気に抵抗力がなくなってしまった。
多少の危険の中にたくましさを求めるというのは、豊かになりすぎた者が陥る懐古なのだろうか。
こういった問題はご存知のように、何か起こ
って初めて動くのですが。これまで20年も
30年もそのままであった事件です。
欄干があと・・高ければまた良かったとは
全滅に近いこの広島で、残った被爆者は
前をむいて、歩いて行くことが、亡くなった
被爆者への、たむけの言葉だったのかも・・
言えませんね。
こちらは広島で、原爆による被災のため、
マイナスからの出発だった思います。
見下ろす水面の流れは飽きることもないようです。
それを次世帯に伝えたい。
そして、橋の欄干の高さ論争にまで発展したという。
そこに最近の風潮がかぶさり、論争は極端に離れます。
さて、如何 ?
むつかしい判断ともいえます。
実は、きのうのラジオで永六輔が話題にしたものでした。
犬猫のはなしの方はiinaの感想です。