岩本楼
鎌倉時代に青銅の鳥居をくぐった通りの中程右手にあった「岩本坊」は、のちに「岩本院」となり江の島・三宮の総別当職を務めていた。この由緒ある院は、1862年(文久2年)「岩本院の稚児あがり、普段着なれし振袖から、髷も島田に由比ヶ浜」の台詞(セリフ)で有名な、河竹黙阿弥の「白浪五人男」の舞台として取り上げられた。
ちなみに、歌舞伎の白浪五人男に登場する「弁天小僧」は、岩本院の稚児がモデルであるともいわれている。なるほど、それで弁天小僧。
その他にも、芝居、講談、小説など、数々の名作に岩本院の名は取り上げられ、740年余りの長きにわたって広く世に語り継がれている。
江の島大師
鹿児島にある高野山真言宗最福寺の別院として1993年(平成5年)に創建。真紅の仁王像が守る山門の奥に美術館を思わせる石造の本堂があり、国内最大級ともいわれる高さ6mの赤不動像が本尊として祀られている。
最福寺とは、朝鮮総連本部を落札したが資金調達できなかった池口恵観法主を頂くお寺といった方が分かりよいかもしれない。
奥ノ院の先から階段を下りると海岸。そして、岩屋に至る。
江の島の案内
数十年前に行ったきりです江の島は、修学旅行で泊まった旅館はマンションになって居ます(笑)
いとこに写真を見せられ解りました
懐かしい写真を見せて頂きありがとうございました
弁天小僧とは
何気なく耳にして気にもしてませんでしたが・・・
なるほどそう言う事でしたか、iina様のおかげで
いろいろな知識を得られます。
冒頭の海の眺め良いですね、朝からさわやかな気分になれます。
>最福寺とは、朝鮮総連本部を落札したが・・・
いや~っ よくわかりましたヨ(^o^)。
歌詞の2番に江ノ島がありました。
♪ 以前を言ゃあ 江ノ島で
年期づとめのお稚児さん
くすねる銭もだんだんに
とうとう島を追われ鳥
噂に高い白波の
オット俺らァ五人男のきれはしさ
子供の頃よく歌ったものでした。
今日の私のブログで、iinaさんが以前取り上げていた「空飛ぶペンギン」に無断でリンクさせていただきました。
よろしくお願いします。
散歩していると、お花や案内板に行きあうものです。
「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂(まさご)と五右衛門が歌に残せし盗人 (ぬすびと)の
種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪(しらなみ)の夜働き、以前を言やあ
江の島で年季勤めの稚児(ちご)ヶ淵(ふち)、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭(まきせん)を
当(あて)に小皿(こざら)の一文子(もんこ)、百が二百と賽銭 (さいせん)の
くすね銭(ぜに)せえだんだんに 悪事はのぼる上(かみ)の宮(みや)、
岩本院で講中(こうじゅう)の枕捜(まくらさが)しも度重(たびかさ)なり、
お手長講(てながこう)と札附(ふだつき)に とうとう島を追い出され、
それから若衆(わかしゅ)の美人局(つゝもたせ)ここやかしこの寺島で、
小耳に聞いた祖父さんの似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助という
小若衆さ。」
そうでした。弁天小僧菊之助が名でした。
(延岡の山歩人K)さん へ
さくらが、満開でした。
きのうは、近くの公園にでかけてみたところ、六分咲きといったイメージでした。きょうは、別の桜並木を目指しますが、
きっと満開ですよ。
この季節の贅沢をたっぷり味わうことにいてします。
(らいちゃん) へ
「4月1日に綿を抜く」から「わたぬき」となり「綿貫」と書くのでしたか。φ(..)メモメモ
その名を冠する方は、富山の宮司さんにいます。その綿貫さんは、縁起の善い名をいただいているものです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e2518468d36f23562c41e0808a663c17
美空ひばりが「弁天小僧」を歌うのを覚えていますが、三浦 洸一も歌っていたのですね。
「空飛ぶペンギン」は、ほんものっぽいですから だまされますね。リンクを歓迎します。
粉雪舞う中で、四月がスタートです。
何処へも行かれないので・・iinaさんのブログで
旅気分~味わっていますよ! ありがとうございます。
①に戻るで又綺麗な河津桜が見られました。なんとも美しい!桜です。
「四月の雪」とは、ロマンチックです。
関東でも、むかしに4月に雪が降ったこともありましたが、北国ではあり得る雪なのでしょうか。
桜は、いまがちょうど満開で見ごろです。明日あさってが雨の予報ですから、花吹雪までがんばって咲いていて
もらいたいと思っています。
(kawaiihukutyan)さん へ
坂に桜が、いい雰囲気で咲きほこっています。
椿と木蓮も、アクセントになって美しい春ですね。
早目に咲く河津桜は、ピンク色が濃いですが、いま咲いている染井吉野は、淡いピンクというより白に近いように
思われます。
こんしゅうは、桜を缶ビールを友に花見としゃれ込みます。