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必ずコメントに参ります by iina
<THX方式>人造人間“レプリカント”は、その創造主たる人間に反旗する事件が多発する。
そんなレプリカントを「解任(処刑)」する任務を負うのが、警察の専任捜査官「ブレードランナー」。
こんどの主人公ブレードランナーが“K”(ライアン・ゴズリング)であり、前作は“デッカード“(ハリソン・フォード)。
前作の舞台設定は2019年。
本作はその30年後の2049年、さらに荒廃が進んだ地球。
果たして、彼らは何者か 
原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか❔』だそうだが、人造人間は自身が何者かを確かめる好奇心を抱くものだろうか・・・。
なにしろ、「デッカード=レプリカント説」があるという。

そもそも人造人間は自身が何者かを確かめようとする好奇心を抱くものでしょうか・・・。
あらゆることに長け人間より優れていると自覚したマシンは、自らを破壊しようとされるなら、歯向かいはしそうですが・・・。
はい、コンピューターの性能が人間の脳を超える「2045年問題」のことです。
己がマシンであるとしか答えがないはずなのに、・・・あんな能力までもっていれば、確かめたくなるかもしれませんね。
(ネタバレ映画館) さん へ
> 生殖機能を持つようじゃ、もはやロボットではないですね・・・
絶対に超えられない能力だと思うのです・・・。
世の中は、N極S極が何度も逆転し、日本にもチバニアンがあったり、ブラックホール云々とかありますから、あるいは・・・。
(映画1ヵ月フリーパスポートもらうぞ~) さん へ
映像的には、凝っているなとは思わされました。
ながいストーリーもだれることなく見終えました。
> 反逆した旧型レプリカントを捜索するブレードランナーのKもまた新型モデルのレプリカントで、彼だけ人間に限りなく近い雰囲気を持つ。
このあり得ない一点があるがために、それがどうしたと言いたくなります。(^▽^;)
(セレンディピティ ダイアリー) さん へ
画家ターナーの「チチェスター運河」の色彩を風景を映像にしていたのでしたか。 φ(..)メモメモ
http://kurarc.exblog.jp/21570176/
原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか❔』は、1968年に出版されており、クローン羊のドリー(1996年7月5日 - 2003年2月14日)でしたね。
参考になりました。ありがとうございました。
> 「俺には本物がわかる」というセリフとラストとの相関には脱帽(レプリカントが“偽物”じゃない)。
・・・なるほど・・・。
iinaの町では、イオンシネマで公開してましたから見て参りました。
それも、一番大きなスクリーンの<THX方式>での鑑賞でしたから、迫力満点でした。
(ITニュース、ほか何でもあり。by KGR) さん へ
「ブレードランナー」が不朽の名作といわれるようになってから、テレビ放映されたときに見ましたが、よく分からなかったです。 (^△^;)
> レプリカントはクローンではないが、クローンでは「大人がいきなり生まれる」ことはない。
AIマシンをクローン化することは、不可能だと考えるのですが、本作ではAIマシンとしてのレプリカントに生殖能力まで与えていました。
そんなことができるのか、はたまた己の出目に疑問に感じそれを追及するという高度な感性をもつものでしょうか❔
結局、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか❔』 に行き着きます。原作者がこの問題を考えて、「ブレードランナー」を創作したのでしょうね・・・。
(12時間Blog) さん へ
>「ブレードランナー」・・・劇場公開版から始まってインターナショナル版、ディレクターズカット版、ファイナル・カット版というのが存在していて、それぞれ微妙に展開やエンディングが違ってたりするんですが、
そんなに存在するのでしたか・・・。
どこぞで読んだところによると、監督がデッカード=レプリカントの解釈もあると聞かされて、その説が気に入り、その後はその説だと思い込みたかった風です。
本作は、ハッキリとはさせてないものの、たばたけさんのようにその説に組みしたくない人向けに曖昧のまゝなのでしょうか・・・❔
(極私的映画論+α) さん へ
『2001年宇宙の旅』も公開が1968年でしたが2001年になってもあれほどの進歩を遂げていませんでした。
2019年になっても「ブレードランナー」のような世界になっていなさそうであり、そのことにホッとしていると思います。
30年後というのは、自分が想像でき得る近未来の範疇ですから或いはと思わされます。
ちなみに、iinaが中学生のときに教科書に載っていた小説「二十年後」とは世界観がまったく違います。小説家の創造は、生きた時代を想います。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/f27ffbf57c363b4eda348fca3be930d6
先月、車検に出した契機にワイパーは自前で安く取り替えました。2049年の車は、雨降りでもワイパーなしで視界を確保しているでしょうか?
>1982年に制作され、近未来SFの在り方を完全に変えた伝説の映画「ブレードランナー」。アンドロイド=レプリカントの行方を追う捜査官“ブレードランナー”の姿を、驚異のビジュアルで描いた傑作であります。
(beatitude) さん へ
> いやいやいや、それやっちゃったら人間とレプリカントの境無いでしょ。はっ、違う。それがテーマだ。
原作者が『アンドロイドは電気羊の夢を見るか❔』と悩むはずです。
映像は、綺麗でした。
(You got a movie) さん へ
>じっくりと見せてくれる映画になっていて、人間はどうなってゆくのか?生命の尊厳とは?と重く問いかけるものが伝わってくる。
近未来SF映画として傑作とされる「ブレードランナー」の続編ですから、こんな悩ましい課題を物語りに据えないと
一歩先を描けぬと考えての人造人間“レプリカント”の能力なのでしょうか・・・。
(映画と本の『たんぽぽ館』) さん へ
>人とレプリカント、さらには人工知能の違いは一体何なのか。そうした技術が進めが進むほど混沌としてきます。
心臓移植の是非が、当初に倫理的に論議された時代がありました。
AIマシンとクローンは、ちがうはずですが、クローンに人工知能を洗脳させることは可能になるでしようか・・・。
>会社に午前半休を申請し、京都で最も早い時間に上映される回の予約までして、期待半分、不安半分で劇場の席に着いた。
思い入れがが半端でないですね。 ^^
まさか、映画鑑賞を自己申告して半休したわけでは・・・。
iinaが大阪時代に、桂離宮と西本願寺を同日に予約したのを上司に話して、有給休暇を公認でもらったことがありました。
京都の三条界隈の映画館には、何度か通いました。そのときは、内緒で仕事の合間に見ましたっけ("^ω^)・・・。
ライアン・ゴズリングは、喋らなくても存在感がある俳優でした。
(こねたみっくす) さん へ
「Tears in rain」
「涙のように、雨のように」で定着してますが、正確には「雨に消されてしまう、涙のように」でしょうか・・・。
「All those ... moments will be lost in time, like tears...in rain. ... Time.... to die....」
「こうした瞬間は全て、時の流れの中で失われてしまう。雨に消されてしまう、涙のように。死ぬ……時、だ……」
この近未来の映画では、人造人間“レプリカント”を処刑する側に警察捜査官「ブレードランナー」を置いて、人間がコントロールしている社会でした。
ロボットが人類に反乱するターミネーターな社会でないだけ救いがあります。
> 自分が選ばれし者ではなかったことが分かったときの落胆と安堵が入り混じった複雑な感情
マサカな展開になっていれば出来過ぎだし、そうではなかった本作も何気なく気落ちしたものです。
それは、胃によくないですから「強力わかもと」を飲んで胃の調子を整えなくてはなりません。(^△^;)
>Kが一人のレプリカントを処分した際見つけたものが、大きな衝撃を呼び、それに巻き込まれたKが思いもよらぬ真実を知るという話。
レプリカントのKが、命令を受けることなく自分の意志で謎を追い求めることは起こり得るのかどうか・・・。
本作では、まったく人間のように謎に肉薄していくますから面白くもあり、それが現実になれば怖い展開です。
(タケヤと愉快な仲間達) さん へ
>82年作自体がマニアックな作品で上映当初は全く流行らなかった。・・・「興業的な期待」をかけてもそれは無理ってもんである
まことに鋭いご指摘でした。
前作の舞台設定が再来年の2019年。本作はその30年後の2049年というと、当方が生きていれば丁度百歳どす。
(日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~) さん へ
> インターナショナル・バージョン?、完全版?、ディレクターズ・カット?、そしてファイナル・カットに至る。
そのようであるらしいですね。
もっとも当初の作品をテレビ放映したときに見ましたが、果たしてどのバージョンだったのでしょう ❔
いずれにしても、あまり理解できなかったのです。(^▽^;)
本作は、マシンが自分のルーツの謎に興味を抱くことがあり得るか・・・原作が『アンドロイドは電気羊の夢を見るか❔』であるところから、作者自身が疑問に感じていることでした( ^ω^)・・・。
不思議な作品でした。
初作の雰囲気はまったく損なわず
美術館にいるような錯覚に捉われました。
少し長いですけどね~(笑