もののはじめblog

コメント歓迎 ! 
必ずコメントに参ります by iina

足柄関所跡

2022年02月05日 | 歴史街道
足柄峠に関所を設け、石の上に手形を差し出させて通行させたと伝える。「おじぎ石」
官道として栄えていたが、1618年に箱根路ができて足柄街道と呼ばれるようになった。いまは足柄古道
 一里塚

【足柄聖天堂(しょうでんどう)】


「下の安穏」にも効能があるとか。

金時山高い山が。湯気の上がる箱根・大涌谷。

足柄峠からの富士山


愛鷹山(あしたかやま)

足柄峠の住所:静岡県駿東郡小山町竹之下

 
          > つづく >>

コメント (7)    この記事についてブログを書く
« ケーキが悪いから菓子渋る | トップ | 足柄山の金太郎 »

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
足柄山 (らいちゃん)
2022-02-05 10:38:38
足柄峠から眺める富士山は最高ですね。
素晴らしい眺めです。
足柄山と言えば、金太郎を思い出します。
まだ行ったことはありませんが、子供の頃、文部省唱歌「金太郎」をよく歌いました。
♪ あしがらやまの やまおくで
  けだものあつめて すもうのけいこ
  ハッケヨイヨイ ノコッタ
  ハッケヨイヨイ ノコッタ

>園芸用だったものを、まずい物にもかかわらず飲まそうと考えたものです。よほど、食料事情が悪かったのですね。
戦後の食糧事情が悪い時だったのでしょうね。
食べられるものは何でも食べたのでしょう。
私の親父は百姓だったので、自家栽培のサツマイモや麦飯を食べていました。
返信する
(らいちゃん) へ (iina)
2022-02-05 13:00:28
> ワタナベ姓のお宅では、わざわざ鬼を追い出す豆まきをしなくてもよく、福だけを招けば良いということのようです
さすがな渡辺 綱です。^^

源頼光に従った四天王に、渡辺 綱と坂田金時こと幼名・金太郎がいました。
その金太郎の古里を足柄峠から巡りましたから、近々にブログいたします。
源頼光が足柄山でその能力を認めて、家来にしました。

返信する
Unknown (りょうかん)
2022-02-05 15:50:38
足柄山に関所があったのですね。

足柄山の きんたろう
くまにまたがり おうまのけいこ
  ハイシ ドウドウ ハイドウドウ
  ハイシ ドウドウ ハイドウドウ

だと思ってたら、「足柄山の」が「まさかりかついで」でした。
  
返信する
足柄峠と富士山 (ウォーク更家)
2022-02-05 16:39:46
写真の富士山、裾野から全体が綺麗に撮れていて素晴らしいです。

足柄山の関所、歴史書ではあまり見ないですが、歴史が古いからでしょうか、それとも通る旅人が少なかったからでしょうかね。

源頼光と四天王、歴史というよりロマンを感じます。
返信する
(ウォーク更家) さん へ (iina)
2022-02-06 10:29:29
「蔦木(つたき)宿」もいつもの通りに歩きこたえがありましたね。

武田信玄は、父の信虎を追放し諏訪頼重を攻め落とし、頼重の娘を側室として迎え、後に信玄の子・勝頼を生みます。
歴史は、めぐり巡って暗転するものです。


> 蔦木宿は、1611年に新設された宿場で、東西に桝形が配されました。
足柄道も、そのころ1618年に箱根路ができて、官道ではなくなり足柄街道と呼ばれるようになったということでした。

きようは、金太郎の古里を訪ねました。

返信する
(りょうかん) さん へ (iina)
2022-02-06 10:37:10
金太郎の古里を訪ねた夕日の滝に、「金太郎の歌碑」が立ってました。

金太郎は、立派な武将に成長しました。
幼いころに、足柄山の動物たちと相撲したり、お馬の稽古をしていたのが報われました。

返信する
今日のころころこころ さん へ (iina)
2022-02-09 09:28:18
足柄聖天堂からUターンしたのでしたか。
足柄峠まで2~3分歩けば、富士の絶景を拝めたのに惜しいことでした。

足柄万葉公園でも富士山を眺められますから、ブログに載せてないのなら、曇っていて見えなかったかもしれませんね。残念。

金太郎の古里にも寄りましたょ。

*  今日のころころこころさんのブログアドレスをコメント上に置きました。
返信する

コメントを投稿

歴史街道」カテゴリの最新記事