ことしも年納めの観音さまに、東京歳之市羽子板商より大羽子板が贈られ、本堂に飾られています。
羽子板は、遊び具としてだけでなくお正月に飾られるようになったのは、邪気や悪いものをはね(羽根)のけ 福をもたらすという縁起物です。
かつては、「羽子木板」の「木」が略された「ハゴイタ」、「はごきいた」の「は」が取れた「コギイタ」という二つの名称が使われたらしく、室町から安土桃山時代にかけて「ハゴイタ」と呼ばれるようになり、江戸中期まで上層階級の間では「コギイタ」と呼ばれ、現在の「羽子板」に至ったといいます。
ところが、”羽根つき”は元来日本のものではなく、「中国」から来たとする説があります。
14世紀頃の中国では、硬貨を重りとして付けた羽根を蹴る遊びがあり、それが室町時代に日本へ伝播したのが起源とされています。
日本では独自の遊び方が考えだされ、「ツクバネ」という落葉樹の実を羽根にして、これを手でついて遊ぶようになりました。
その後、時代の移り変わりと共に遊び方も変わってゆき、板を使って羽根をつくようになりました。
これが「羽子板」の原形です。
なので、「羽子板」は日本で誕生した日本文化そのものです。
なお、羽子板市は、曜日に関係なく17日~19日です。
[ 一昨年の羽子板市 ]
羽子板は、遊び具としてだけでなくお正月に飾られるようになったのは、邪気や悪いものをはね(羽根)のけ 福をもたらすという縁起物です。
かつては、「羽子木板」の「木」が略された「ハゴイタ」、「はごきいた」の「は」が取れた「コギイタ」という二つの名称が使われたらしく、室町から安土桃山時代にかけて「ハゴイタ」と呼ばれるようになり、江戸中期まで上層階級の間では「コギイタ」と呼ばれ、現在の「羽子板」に至ったといいます。
ところが、”羽根つき”は元来日本のものではなく、「中国」から来たとする説があります。
14世紀頃の中国では、硬貨を重りとして付けた羽根を蹴る遊びがあり、それが室町時代に日本へ伝播したのが起源とされています。
日本では独自の遊び方が考えだされ、「ツクバネ」という落葉樹の実を羽根にして、これを手でついて遊ぶようになりました。
その後、時代の移り変わりと共に遊び方も変わってゆき、板を使って羽根をつくようになりました。
これが「羽子板」の原形です。
なので、「羽子板」は日本で誕生した日本文化そのものです。
なお、羽子板市は、曜日に関係なく17日~19日です。
[ 一昨年の羽子板市 ]
一転して、あたたかく空は真っ青でした。
たくさん撮ってきましたから、2日間に渡ってブログにアップ
しますから、ご覧ください。
明日までです。
<(_ _)>☆
昨年のものも一緒に拝見させて
いただきました
変わり羽子板を見たのは本当に初めてで、
有名な方とかの羽子板、本当に
感動しました
羽つきの由来など、本当に勉強に
なりました
また、ぜひ、日記で勉強させてください☆
蕎麦の愛好会が多いですね。
趣味が高じて、商売したもののこだわりが強いので失敗も多いと聞きます。
17-19日の羽子板市で、雰囲気を切り撮ってきますから、
たのしみにしていてください。
鉄不足を補うために、しょっちゅう鉄をしゃぶっておくと
いいかも知れませんね。
健康診断で、貧血という症状はなかったのにデーターから
指摘された経験があります。
そうしたら、病がかくれている可能性がありますと脅さました。
椎間板ヘルニアのことだったのかも・・・?
(あやのすけ)さん へ
最近のイルミネーションは、凝っていて"夜景"だけに”やけ”に綺麗です。
助六は、浅草の花川戸の住人なので市川団十郎の十八番なのです。
清水の次郎長と同じ名のつけ方で、花川戸助六と申します。
なにしろ駅前なものですから、iinaは毎日その花川戸を歩いています。
テラスのテーブルで、遠くの景色を借景にしてリンゴの
パリパリピッツァをつまみながら、話がはずむと
いうのは、好いですね。
ことしも、師走になりました。
歌舞伎座が来年3月で改築ということで寂しい気もしますが、助六はそんな意味もあるのでしょうか?
また師走の浅草の風物詩、羽子板市のレポ楽しみにしております。
子どもの頃の羽根つきは、懐かしい風景と
なってしまいましたが、外で元気に羽根つきをして、元気ももらっていたのですね。
今年の羽子板市には、時の人として、
どなたが、登場するでしょうか・・・。