1985年の年金改革で、全員が加入する基礎年金(国民年金)が創設され、各年金制度の土台部分は1つになった。同時に民間サラリーマンの「厚生年金」と公務員等の「共済年金」も一つになる方向が決まった。
ところが、最終的な法律改正には到っていず、20年達っても一元化は遅々としている。
1997年にJRやJTなど旧三公社の共済年金、2002年には農協職員などの農林年金が、それぞれ厚生年金に統合されたが、これらは財政が悪化した年金の「救済統合」に過ぎない。
つまり、半官であった旧三公社の不良共済年金を厚生年金に押し付け、潤沢なサラリーマンの「厚生年金」の積立金を当てにして統合されたのです。
その後、バブルが崩壊して株式市場に活気を呼び戻そうと、国が政策的に「厚生年金」の積立金を投入したが、潤沢な資金であったはずが欠損を出し財政悪化した。一方の公務員等の「共済年金」は手堅い運用しかしなかったために健全な資金内容になった。
資金の健全性の面では、バブル前に比べ官民の立場は逆転した。
共済年金は、給付面でも厚生年金が生涯賃金の平均値を使うのに対し最終賃金を用いる優位性は高い。つまり、改革する立場にいる者が、自分たちの年金の改悪に向かう改革を、性急に一元化しょうなどとは決して思わないことだ。
iina思うに、サラリーマンにとり二階建てになっている土台部分の「国民年金」で充分なのではないのか。この部位の年金は定額制になっており、厚生年金でいう報酬比例部分は積立年金に相当するから、社会保険的な「国民年金」を継続してもっと充実させ、不足分は自助努力の自助年金にするというのが好ましく思える。
しかし、年金をこれからもらうiinaにしてみれば、いままで(積み立てたと思いたい世代間年金)の厚生年金を放棄するなんてできないし、大変革がなされると老後の生活設計が狂ってしまう。
頭の良いお役人さんが考える一例を披露して、この問題を締めたい。
かつて、年金を専門にしていたiinaが、バブル崩壊前に講演で聴いた話が次です。
日本人は貯蓄好きなので、保険料率を上げれば、個人が貯めた貯蓄部分を国に吸い上げるだけで済み、有効な手立てのひとつである。
ところが、最終的な法律改正には到っていず、20年達っても一元化は遅々としている。
1997年にJRやJTなど旧三公社の共済年金、2002年には農協職員などの農林年金が、それぞれ厚生年金に統合されたが、これらは財政が悪化した年金の「救済統合」に過ぎない。
つまり、半官であった旧三公社の不良共済年金を厚生年金に押し付け、潤沢なサラリーマンの「厚生年金」の積立金を当てにして統合されたのです。
その後、バブルが崩壊して株式市場に活気を呼び戻そうと、国が政策的に「厚生年金」の積立金を投入したが、潤沢な資金であったはずが欠損を出し財政悪化した。一方の公務員等の「共済年金」は手堅い運用しかしなかったために健全な資金内容になった。
資金の健全性の面では、バブル前に比べ官民の立場は逆転した。
共済年金は、給付面でも厚生年金が生涯賃金の平均値を使うのに対し最終賃金を用いる優位性は高い。つまり、改革する立場にいる者が、自分たちの年金の改悪に向かう改革を、性急に一元化しょうなどとは決して思わないことだ。
iina思うに、サラリーマンにとり二階建てになっている土台部分の「国民年金」で充分なのではないのか。この部位の年金は定額制になっており、厚生年金でいう報酬比例部分は積立年金に相当するから、社会保険的な「国民年金」を継続してもっと充実させ、不足分は自助努力の自助年金にするというのが好ましく思える。
しかし、年金をこれからもらうiinaにしてみれば、いままで(積み立てたと思いたい世代間年金)の厚生年金を放棄するなんてできないし、大変革がなされると老後の生活設計が狂ってしまう。
頭の良いお役人さんが考える一例を披露して、この問題を締めたい。
かつて、年金を専門にしていたiinaが、バブル崩壊前に講演で聴いた話が次です。
日本人は貯蓄好きなので、保険料率を上げれば、個人が貯めた貯蓄部分を国に吸い上げるだけで済み、有効な手立てのひとつである。

歴史カテゴリー、大変参考になりました。
ありがとうございます。
年金に関しましても、どうにもならない苛立ちを含め、負の遺産は、全て、我々が被る可能性を、
意識せざるを得ません。
これからも、頑張ってください。
TBありがとうございます。
確かに、マスコミでは共済年金に関する話題は出てきませんね。私は現在学校の非常勤講師ですが、これは「非正規職員」のため、自営業者と同じく国民年金をかけています。共済の制度は、全く分からないし知らされることもありません。
会社員時代、ピークの年には月2万7千円が天引きされていた厚生年金。その一部が、誰とも分からぬお役人や箱物事業につぎ込まれているのでしょうか。税金共々、江戸時代までの「年貢」を思い浮かべます。
アスベスト被害も同様、「大事なところが後回し・うやむや」になっている感は否めません
年金制度は、本来は「積立方式」なのですが、制度が未熟のために現行では世代間方式になっています。
一部の声に積立金は貯め過ぎとも聞かれます。それも一理あって、制度が滞りなく運営されていれば問題ありません。しかし、将来の保険料と年金給付のバランスが健全か否かを考えておかねばなりません。
つまり、理論上の責任準備金といまの積立金との差が不足分で、これを将来的にまかなえるかどうかをシュミレーションしておく必要があります。
それも年金制度如何なので、基本路線が揺らぐことのないようして欲しいものです。
定年を迎えて、年金をあてにした老後を考えたiinaにとっても、これが揺らぐと、高齢者の雇用環境も悪くなって老後が不幸になる心配があります。
マスコミなどの論調は、高齢者社会は悪いことの連鎖を想像させるけど、本来は安定したおだやかな社会であるはずなのですよね。
本来、よかれとおもってつくられた制度でも、時代と共に見直しが必要ですね。そこに利権や権威等々が絡んでくると、残念ながら血がよどみ汚染を生んだりするのですね。