干支に、架空の龍が選ばれた理由は
「龍という文字に鰐(ワニ)の意味もあったので、龍ではなくワニを指していた」とする説がある。
十二支は中国で考えらたもので、龍は麒麟、鳳凰、霊亀とならぶ霊獣の一つで、四種の中で最も力がある動物とされている。
また、皇帝は龍の生まれ代わりで、重要な動物として代々あがめられてきた。
そんな「龍」は、身近な所にもひそむ。タイトルは、ことしの江の島・片瀬海岸に創られた砂像。(カミさん撮影)
江の島に、五頭龍の伝説がある。
『昔、海にすむ五頭を持つ邪悪な龍が、島に現れた天女に恋をし、改心の末に結ばれたという島の伝説(天女と五頭龍)があり、ここで鐘を鳴らした二人は決して別れないと言われている』ことから、鍵をかけ鐘をつくと恋が成就すると人気がある。 右が「龍恋の鐘」
この丘の下には「岩屋の洞窟」があり、洞窟中に龍が住んでいたという伝承があることから、その上にあたるこの丘を「龍野ヶ岡」と言うようになった。
浅草寺ソコかしこに龍
浅草寺も「龍」に縁がある。何故かというと、この寺の山号は金龍山。
飛鳥時代の628年、隅田川から聖観音が現われたとき守護神 龍神が金鱗を輝かせ出現したとの由来が「浅草寺縁起」に記されている。
ソコで、雷門の大提灯の底に「龍」の彫り物をしている。真上のとおり。
その奥の宝蔵門の提燈の底にも龍がいる。もちろん、本堂と二天門の提燈の底にもいて、四提燈すべての底にいる。
最近の二天門には提燈が下げられていないかも。本堂の提燈を「志ん橋」といい、宝蔵寺が「小舟町」。雷門と二天門は、その名が記されている。
手や口を洗いきよめる手水舎にも龍がいる。
沙竭羅龍王像に龍が巻きついて、天井の龍とにらみ合いしている。
春と秋には「金龍の舞」が奉納される。
「龍という文字に鰐(ワニ)の意味もあったので、龍ではなくワニを指していた」とする説がある。
十二支は中国で考えらたもので、龍は麒麟、鳳凰、霊亀とならぶ霊獣の一つで、四種の中で最も力がある動物とされている。
また、皇帝は龍の生まれ代わりで、重要な動物として代々あがめられてきた。
そんな「龍」は、身近な所にもひそむ。タイトルは、ことしの江の島・片瀬海岸に創られた砂像。(カミさん撮影)
江の島に、五頭龍の伝説がある。
『昔、海にすむ五頭を持つ邪悪な龍が、島に現れた天女に恋をし、改心の末に結ばれたという島の伝説(天女と五頭龍)があり、ここで鐘を鳴らした二人は決して別れないと言われている』ことから、鍵をかけ鐘をつくと恋が成就すると人気がある。 右が「龍恋の鐘」
この丘の下には「岩屋の洞窟」があり、洞窟中に龍が住んでいたという伝承があることから、その上にあたるこの丘を「龍野ヶ岡」と言うようになった。
浅草寺ソコかしこに龍
浅草寺も「龍」に縁がある。何故かというと、この寺の山号は金龍山。
飛鳥時代の628年、隅田川から聖観音が現われたとき守護神 龍神が金鱗を輝かせ出現したとの由来が「浅草寺縁起」に記されている。
ソコで、雷門の大提灯の底に「龍」の彫り物をしている。真上のとおり。
その奥の宝蔵門の提燈の底にも龍がいる。もちろん、本堂と二天門の提燈の底にもいて、四提燈すべての底にいる。
最近の二天門には提燈が下げられていないかも。本堂の提燈を「志ん橋」といい、宝蔵寺が「小舟町」。雷門と二天門は、その名が記されている。
手や口を洗いきよめる手水舎にも龍がいる。
沙竭羅龍王像に龍が巻きついて、天井の龍とにらみ合いしている。
春と秋には「金龍の舞」が奉納される。
雷門の大提灯の底にこんな立派な「龍」の彫り物がありましたっけ?、気が付かなかったのかな~?・・・
その力にあやかろうとするのか、龍の彫り物はあちらこちらで見かけますね。
彫り物は勿論素晴らしいのですが、片瀬海岸の砂像は見事な出来栄えですね。
いずれ波や風で消えるのでしょうが勿体ない気がします。
>そもそも政治家の不祥事は、辰年に起きています。
辰年は政治家の不祥事が明るみになる年なのですね。
その昔に、三軒の茶屋があったのでしょうね❔
今日は、多摩川から離れての都会でした。
> 雷門の大提灯の底にこんな立派な「龍」の彫り物がありましたっけ?
浅草に通勤してましたから、雷門大提灯の底に龍が潜んでいることを知りました。
本堂と宝蔵門に二天門の大提燈の底にも彫らています。こんどご確認ください。
ただ、二天門の方は取り外されたかもしれません。
海彦と山彦なら神話ですが、「海千山千」の方はいただけません。
> 片瀬海岸の砂像は見事な出来栄えですね。いずれ波や風で消えるのでしょうが勿体ない気がします。
干支の砂像は立派ですが、もったいないことにやがて消えていきます。
ソコまで見ないですよ。
江ノ島にも龍の伝説があったんですね~~~。
ぐうぜん見つけるか、教えられて龍の彫り物に気がつくのだとおもいます。
江ノ島にも龍の伝説がつたわっていました。