9月4日(月)晴
昨日に続いて「大学」を読んでいくことにします。「大学」儒教の経典と言われる「四書五経」の中の四書の一つです。他には「論語」・「孟子」・「中庸」があります。「大学」は朱子学の祖、朱熹によって元々は礼記の中にあったものを四書として整理されたと言われています。政治思想の根本を説いたものと言われていますが、人間の在り方や修身の教科書としての意義の方が大きいように思います。
(経一章)から始めますが、長くなるところは途中省略もありで行きます。
(経一章)大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(アラタ)にするに在り、至善(シイゼン)に止まるに在り。
(解釈)
大学の道は、天から得られる本当の徳を追求し、人間の身に付けるべきものが何であるかを明らかにすることが第一。次に一般の人民を導き、旧来の悪習を取り除き新しく変えていくことである。そして至善(君の仁、臣の敬、子の孝、父の慈、友の信)の状態を維持することである。要するに学問を究める道はまず孔子の言う「徳」を明らかにすることであり、さらに一般人民の欲望のままの行動を改めさせることであり、そうして出来た善に満ちた世界を維持していくことが大学の道です。
止まるを知って后(のち)定まる有り、定まって后能(よ)く静かに、静かにして后能く安く、安くして后能く慮(おもんばか)り、慮りて后能く得。
物に本末あり、事に終始あり。先後(せんこう)する所を知れば則ち道に近し。
(解釈2)
至善(しいぜん)に止まることを知って、そのあとに志の向かうところが定まります。心が動揺することなく一定になれば、そのあと静かにして騒乱することなどありません。心が静かにして、そのあと身は安らかにできます。身が安らかになれば、そのあと事に当たって熟慮することができます。熟慮することができれば、過ちのない良い結果を得ることができます。
物には本末ががあります。明徳があって新民ができるのです。事には終始があります。すなわち至善に止まること知ることから始まってよい結果が得られることで終わります。物の本末、事の終始の順序を知れば大学の道はおのずと近いことになります。
結構簡単だと思ったのですが難しいですね。自分で言い出していながらいやになっています。ひょっとすると途中でやめてしまうかもしれませんがその時はごめんなさいです。
それではまたあした。