9月9日(土)晴
今日は折角書いたのが途中で消えてしまって書き直しです。はっきり言っていやになっちゃいました。とにかく漢字が難しくて辞書から引き出しながら書いているので結構時間がかかるのですよ。とりあえず、今日中に間に合うところまで書いてアップします。そして月曜にでも修正しますのでこの文は来週見るようにして下さい。
(伝三章)
詩に云わく、邦畿千里(ほうきせんり)、惟れ(これ)民の止まる所と。詩に云わく、緡蛮(めんばん)たる黄鳥、丘隅(きゅうぐう)に止まると。子曰く、止まるにおいて、その止まる所を知る。人をもってして鳥に如かざる可けんや。あ
詩に云わく、穆々(ぼくぼく)たる文王、於緝煕(ああしゅうき)にして敬して止まると。人の君と為っては仁に止まる。人の臣と為っては敬に止まる。人の子と為っては孝に止まる。人の父に為っては慈に止まる。国人と交わっては信に止まる。
詩に云わく、彼の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗々(いい)たり。斐たる君子有り、切するがごとく磋するがごとく、琢(たく)するがごとく磨(ま)するがごとし。瑟(ひつ)たり(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐(ひ)たる君子あり、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からずと。切するがごとく磋するがごとしとは学を道(い)うなり。琢(たく)するがごとく磨(ま)するがごとしとは自ら修むるなり。瑟(ひつ)たり(かん)たりとは威戯(いぎ)なり。斐(ひ)たる君子あり、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からずとは、盛徳至善(せいとくしいぜん)、民の忘るる能(あた)わざるを道(い)うなり。
詩に云わく、於戯(ああ)前王忘れずと。君子はその賢を賢としてその親を親とし、小人はその楽しみを楽しみてその利を利とす。ここをもって世を没して忘れざるなり。
右伝の三章。至善に止まるを釈す。
(解釈)
月曜に入れます。以下に解釈をいれます。
詩経に商の都は千里四方の広さで、民が止まりおるところとあります。同じく詩経に緡蛮(めんばん)と鳴くうぐいすは樹木がうっそうと茂る丘隅(きゅうぐう)の地に止まっている。孔子は是を解釈して止まりおるには、あのうぐいすのごときものすら、その止まりおるところを知っている。いわんや人として至善(しいぜん)を選んで止まることができないようなら、鳥にも及ばないことである。
詩経に周の文王を耽美して、穆々(ぼくぼく)として深遠なる文王は、その徳が継続して絶えることなく、敬してその止まるべきところにいると言います。すなわち、人君となっては仁に止まり、その行うところは必ずや仁政となります。人臣となっては敬に止まり、その主に忠誠をつくし、謹直に職をつとめべきであります。人の子となっては孝に止まり、親孝行すべきであります。また人の父となっては慈に止まり、一家を慈愛を持って守るべきであります。また国人と交わっては信に止まり、信用を欠く事のないようにすべきであります。人として文王を模範とすべきである。
詩経に衛の武公を美してこう言っている。彼の淇水(きすい)と言う川のほとりには、緑竹が美しく茂っている。あの美しき緑竹のごとく、斐然(ひぜん)として文ある君子がいる。その人はたとえば骨角を治めるには、切ったりあるいは磨いたりして器とするがごとく、また玉石を治めるには、これを打ったり磨いたりして美しくするがごとく、学問・徳行を兼ね備えている。その精神は瑟(ひつかん=厳密で毅然としていること)と謹厳であり、その風采は赫喧(かくけん=権威があって猛々しくはないさま)としている。このような君子はいつまでも忘れることができない。
ここには僕らがよく使う熟語”切磋琢磨”の語源になる文章がでてきてます。
同じく詩経に周の文王・武王を指して、前王忘れずとある。文武は既に崩ずるも後世の人が長く思慕して忘れないのは、よき模範となっているからである。後の君子は賢を賢として遺法に従い、祖先であるがゆえにその親を親として永く尊敬する。又百姓は又前王の余沢により、太平の楽を享け、各々がその業に安んじて利を得ている。君子も小人も皆前王の恩沢を受けていることは大である。従って後の人は、その人が没したあとも永く忘れないのである。
右は伝三章で、至善に止まるを解釈したものである。
以上が解釈です。ちょっと長いけど、孔子が理想とした周の文王・武王の話ですね。”切磋琢磨”もここででてきましたね。我々の日常の原典を知るのもまた楽しからずやですね。