9月7日(木)雨
予定通り昨日は飲んでしまいました。実は静岡から昔懇意にしていただいたお客様が名古屋で一杯やりませんかとお誘いを受け、なつかしくかつあれから5年以上たつのに毎年ゴルフをしたり、飲んだり付き合っていただいてます。去年は仙台まで行ってゴルフをしてきましたが今年は骨折やらで音信不通だったのですが急にメールが来て飲むことになりました。そこで馬鹿の一つ覚えでマグロのしゃぶしゃぶを食べにいきました。この前は満員でダメでしたが昨日は客が一人もいなくて、一年ぶりの近況を話しながらマグロのしゃぶしゃぶは結構好評でした。Kさんからはいつも名古屋に来ると普段食べれないおいしいものを紹介してくれるねとほめられて、自分もうれしくなってしまいます。ちなみに前回はうなぎ釜飯でした。折角名古屋に出てきて今日はゴルフに行っているはずですけどこの雨ではちょっと大変でしょうね。
ところで「大学」の続きですけどエッセンスは前回で終わりでその解釈が伝首章~十章なので気楽に意味の補完ができればいいと思います。
(伝首章)
康誥(こうこう)に曰く、克(よ)く徳を明らかにすと。大甲(たいこう)に曰く、(こ)の天の明命(めいめい)を顧みると。帝典(ていてん)に曰く、克く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。皆自ら明らかにするなり。
右伝の首章。明徳を明らかにすることを釈す。
(解釈)
四書五経の五経(詩経・書経・易経・礼記・春秋)の中の書経には過去の模範的国家の偉人の言葉が記されています。殷王朝は商書、周王朝は周書、堯は堯典といいます。そのことを踏まえた上で以下の解釈を読んでください。
周書の中に出てくる周公が康叔に告げた言に”よく徳を明らかにすること”とあり、商書には伊いんが太甲を諌めた言に”天の明々白々たる命令を顧みて、絶えず気をつけていれば失うことはない”とあり、堯典には堯の徳を称して、大徳を明らかにするとあります。以上の三つはみな自ら己の”明徳”を明らかにするといったものです。峻徳と言ったのは明徳の分量の大なることを言います。
右伝の首章は曾子が明徳を明らかにすることを解釈したものです。
要は明徳とはどんなことかを古代の理想とする国の歴史になぞらえて解釈したものです。と言われてもなかなか難しいですよね。僕らが殷や周の歴史自体を知らないのですから。
今日はここまでにしましょう。それではまた。