12月9日(水)晴後曇
昨日は1回目の忘年会でした。僕が月に1度行く栄の居酒屋はなぜか満員で予約がとれませんでしたので、伏見の居酒屋まで出かけ、時々集まっては飲んでいる6人で内輪の忘年会です。2時間ほど飲んでお開きで、そのあとはいつもの3人でスナックに行ってきました。最近僕はあまり飲めないので食べてばかりです。昨日はあまり気が進まなかったのですが、あそこはもうしばらくは遠慮しようと思ってます。今週は明日もあさっても連続で忘年会がありますが一次会で早々に引き揚げる予定です。今年は多分例年よりはかなり少なくなると思うので楽と言えば楽です。まぁさびしい話ですが仕事をしているから飲めるのであって、田舎に帰ったらまったく縁がなくなると思えば徐々に少なくなっていくのは理想的かもしれません。来週以降は2回約束があるだけなのでブログも休みは少なくなります。また見て下さいね。
ところで今日の船の話はブリッジです。ブリッジと言うと日本語では「船橋(せんきょう)」と訳していますが、操舵室のことを言います。それではどうしてブリッジ(橋)と言うのか御存知でしょうか?
帆船は舵と直結した舵輪が船尾にあるため、船尾の甲板で操船していますが、蒸気船の時代になると、船体の中央に機関室、両舷側には外輪があって、船尾の甲板で操船しようとすると見通しが悪くてとても操船できませんでした。そこで両舷の外輪の覆いを橋状の構造物でつなぎ、その上に操舵室を設けて操船するようになりました。そこで操舵室のことをブリッジと言うようになった訳です。
その後外輪はなくなり、スクリュープロペラ船になってしまいましたが、操舵室は今でもブリッジと呼んでいるのです。
時代とともに姿や形は変わっていきますが、その目的が同じものは呼称だけがそのまま残る典型的な例だと思います。このように姿・形は変わっても昔の名前をそのまま引き継いでいく例は他にもいっぱいありそうですね。
今日はこれまでです。それではまた。