夏休みに三重の実家に帰省してお墓参りに行った。
実家からお墓までは徒歩3分ほど。「お墓に行ってくるわ~」と声をかけて、線香片手にぶらぶらと出かけた。家のすぐ側をJR名松線が通っている一日に一両編成の電車が上下あわせて12本。超ローカルな路線・・・。中学時代バスケット部の試合にはいつもこの電車を利用していたが、一本乗り遅れたら大変
試合に間に合わない。部員の集まりが悪くていつもひやひやしながら電車に飛び乗っていたことを思い出す。
わずか徒歩3分の距離だけど風景は随分変わった。畑だったところにおしゃれな2階建ての家が建ち、道は綺麗に舗装されている・・・。それでも暑苦しい蝉の鳴き声と、なんとなく懐かしい匂いは以前と変わらず、それらをゆっくり楽しみながらお墓へ・・・。
お盆だと言うこともあってお墓は大盛況!?花の水を換え、熱くなっている墓石に水をかけ、線香をあげる。先祖代々のお墓、祖父母のお墓、最後に父のお墓に手を合わせる。
48歳で亡くなった父。子供の私から見て結構なおじさんのイメージだった。おじさんくさいという意味ではなく、(表現するのが難しいが)若者とは違う世界にいる大人。物事をよく知っていて適切な判断を下す存在という意味合い。父の実態がどうだっったかということではなく、21歳のわたしには父親ぐらいの歳の人が自分とは別世界の人のように感じていた。
あれから25年・・・。亡くなった時の父の年齢に限りなく近づいた。気持ちの上では20代の頃と変わらないところもあるし、大人になりきれていないところもある。物事をよく知っているかというとそうでもないような気がする。少なくとも、子供の頃父を見て感じたイメージと実際とは違う。きっと、父もそうだったんだろうな・・・。同時に、今の自分をウチの会社や研修の受講者の若手社員が見たとき、子供の頃私が父に抱いたようなイメージを持つんだろうと気づいた。
だからこそ、自分自身の言動に気をつけなくては。
「男は男らしく」「女は女らしく」「若者は若者らしく」「大人は大人らしく」そして「自分らしく」。らしさを活かす!
「大人らしくは」、おばはんくさくとかおとなしくという意味ではない。大人としての自覚ある言動、子供や若者の見本となるような言動をとるということ 当たり前のようでそうでない大人も多い。