チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「インドの衝撃」

2015-08-01 09:33:59 | 独学

 83. インドの衝撃  (NHKスペシャル取材班 編著 2007年12月)

 『 インテルでは、インド人の優れた頭脳に早くから注目していた。1993年のインテルを代表するマイクロプロセッサとなる「ペンティアム」を開発したのは、実はインド人エンジニアたちだった。

 ペンティアムは、一つのチップに、三百十万ものトランジスターを集積し、コンピュータの演算速度をそれまでの三百倍に、演算の容量を五倍にもした画期的なものだった。

 そのため、ペンティアムは「高速、高性能」の代名詞となり、アメリカではマンガやテレビのトークショーでも頻繁に引き合いに出され、コンピュータとは縁のない人たちにまで広く一般的に使われる言葉となった。

 その開発チームを率い、「ペンティアムの父」と呼ばれるのが、インド出身のビノッド・ダームである。開発当時四十歳。のちにインテル本社でマイクロプロセッサ・グループの副社長にまでのぼりつめた。

 ダームは世界的にも優れな頭脳を持つインド人の代表として、しばしばその名を挙げられている。しかし、実はペンティアム開発チームには複数のインド人エンジニアがおり、ダームの活躍もアメリカのインテル本社では氷山の一角だった。

 今、インテルがインドで「創業以来、最も早い」というスピードで成長を遂げているその背景にも、一人の傑出したインド人エンジニアの存在があった。

 ラム・バサンサラム、六十歳。洗いざらしの白いシャツに、ジーンズという出で立ちで颯爽と登場したバサンサラムは、インテル・インドの№2である。彼はインドの工科大学を卒業後、アメリカ大学院に学び、インテルに入社して二十九年になる。

 上司は、「ペンティアムの父」ダームと共に、初代ペンティアムを開発したインド人エンジニアの一人で、その活躍ぶりを間近に見ながら研究開発に励んできた。

 彼自身もアメリカのインテル本社で様々な新しいテクノロジーを生みだしてきた。今やパソコンをプリンターやマウス、メモリースティック等、周辺装置と接続する上で欠かせない「USB]やコンピュータ上の三次元グラフィックスなどインテルが誇る新世代の技術を開発してきた。

 1999年、当時、アメリカは空前のITブームで、インテルが必要とするエンジニアの獲得が困難になっていた。年明け早々、バサンサラムは上司から呼び出されて、こう切り出された。

 「インドに研究開発拠点を作ってくれないか」 バサンサラムは、二つ返事で引き受けた。 当時、バサンサラムはアメリカに暮らして三十年になっていた。

 インテル本社で順風満帆のエンジニア生活を送っていたが、いつかは生まれ育ったインドに帰り、インドの発展に貢献したいと常々思っていたという。

 早速、その年の三月、バサンサラムは単身インドに乗りこんだ。そして、バンガロールにある雑居ビルの一室で、たった一人でインテル・インドを立ち上げた。

 それからわずか七年で、インド全土でエンジニア三千人を抱え、世界中にあるインテルのR&Dセンターのなかでも、アメリカに次ぐ規模の研究開発拠点となったインテル・インドはコンピュータのネットワークやセキュリティなど、以前はアメリカの本部でしか行えなかった分野を担うようになった。 』

 

 『 インドには、理工系の大学や理工系学部で学ぶ学生の人数が非常に多い。こうした大学や学部を卒業した人数は、2006年には四十四万人、2007年には五十万人で、毎年四~五万人ずつ増加している。

 その中でも、最高峰が、インド工科大学(Indian Institutes of Technology)、通称IITである。毎年、五千人の定員に対して、受験者数は三十万人にものぼる。競争率はなんと六十倍である。

 アメリカの名門ハーバード大学がおよそ十一倍、MITが八倍、東京大学が三倍というから、倍率でみると、間違いなく世界最難関の大学ということになる。

 IITは、デリー校、ボンベイ校、マドラス校、カラグプル校、カンプール校、ローキー校、グワハティ校の七校 で構成され、全体で学生数は二万六千人である。

 インドの学制は、日本の六・三・三制とは異なり、五・三・四制となっている。日本の小学校にあたる一年生から五年生と、中学校に当たる六年生から八年生を合わせて「初等教育」と呼び、日本の高校にあたる九年生から一二年生を「中等教育」、大学以上を「高等教育」と呼ぶ。

 IITを受験するのは、このインドでいうところの「中等教育」を終える十八歳となる。IITの試験は、特別にJEE(Joint Entrance Examination)と呼ばれる。

 試験科目は、数学、物理、化学の三科目について、午前中三時間、休息を入れて午後また三時間と、計六時間の試験が行われる。問題は百三十二問、受験者の理解力と分析力、そして論理的思考の能力が評価される。

 結果は、単なる合格、不合格が発表されるだけではない。全合格者の中で、自分が何位であるかも通知される。この順位の上位者から順に、IIT全七校のうち、どのIITの、どの学部に進むかを決める権利を与えられる。

 入学試験の順位が悪いと、合格はしたものの希望の学校、希望の学部に進めないということになる。そのため、中には合格しても進学せず、翌年の受験を目指す学生も多かった。

 日本のように「ビリでもとにかく受かれば」というわけにはいかない。一生を決めるこの入試に、とにかく受験生は必死で取り組んできた。しかし、2007年からIITは受験についていくつかの改革を行った。

 たとえ満足できない順位であっても、合格した学生は翌年以降に再度受験することはできなくなり、不合格の学生も受験できるのは二回までに限られることになったのである。

 IITに入りたい一心で、日本同様の暗記と詰め込み偏重の受験勉強をする若者が現れ、青春時代をIIT受験だけで終らせてしまうのは不幸だということと、そんな学生ばかりがIITに入学しては困る、という考えからだという。

 さて、晴れてIITに合格しても、もちろん次のハードルが待ち受けている。IITでは、学生たちはよほどの特別な事情がない限り、全員が大学の寮で暮らす。外の世界の余計な誘惑から隔離された環境に置かれるわけである。

 寮の部屋は、わずか三畳ほど。机とパソコン、ベッド、本や洋服を置く作りつけの棚以外は何もない。テレビも冷蔵庫もコーヒーメーカーもない部屋で、学生たちは四年間、とにかくひたすら勉強に打ち込むことになる。

 七月、広大なインドのさまざまな州から、地域を代表する精鋭たちがIITに集まってくる。インドは多様性の国である。ヒンズー教徒、イスラム教徒、シーク教徒など様々な宗教があり、公用語のヒンディー語、準公用語の英語のほか、二十二の主要言語と千六百五十もの方言がある。

 デリーのある北インドと、バンガロールのある南インドでは人々の習慣も顔つきも気質もまた大きく異なる。学生たちのほとんどは、IITに入学して初めて、自分が生まれ育った地域とは異なる宗教や言語、文化を持つ「インド人」に出会うという。

 「まるで外国留学をしたかのようだった」と学生たちは言っていた。唯一の共通点は、全員が各地の「一番」であることだ。これまで常にクラスはもちろん、学校でも町でも一番だった生徒たちが、人生で初めて「自分よりできる学生」に出会い、「一番でない」成績を取り、大変なショックを受けるという。

 学生の一人、ジョーシは言う。「本当に刺激的です。ここに集まっているのは全く異なるバックグランドを持つ人たちですが、全員が同じ厳しい試験を受け、六十倍の競争率を勝ち抜いたという大きな達成感を共有しています。

 その自信が、さまざまなことをやり遂げていく上で、大いに役立ちます。不可能なことは何ひとつない。やりたいと思ったことは必ず実現できるという自信です。より高い目標を目指して挑戦し、達成していくことができるのです」

 熾烈な受験競争を勝ち抜いた、インドを代表する若い頭脳集団が集まるIIT。その授業は一体どんなものだろうか。さぞかし高度で先進的なものだろうと思っていたが、聞いてみると、以外にも、授業では、基礎をみっちりと教え込むことに重点を置いているという。

 我々はジョーシの受講する化学反応についての授業を取材させてもらった。この日の授業は、複数の液体をビーカー内で混合させた場合に起こる蒸留のシュミレーションであった。

 といっても実際にコンピュターを用いてシュミュレーションするわけでではなく、教室で、温度や圧力、混合される物質の種類や量など様々な条件を変えながら、複数の方程式を用いて蒸留を頭のなかでシュミレーションするというものである。

 「問題を解くには、いくつもの方程式があります。わかっていない条件が何かによって用いる方程式は異なります。ビーカー内の混合物のバランスによって、考えられる方程式をすべて書きあげてください。皆さんがよく使う方程式の他にも複数ありますからね」

 方程式が出揃うと先生はさらにもう一歩踏み込んで学生たちに問いかける。「さて、同じ方程式を用いる場合でも、解き方は複数ありますね。どういう戦略で解くのがいいのか、それはなぜか考えて見てください」

 あやふやな理解や、「なんとなくわかったような気になっている」ことは、決して許されない。教室には緊張感がみなぎっている。さまざまな理論や方程式を駆使して、化学反応を頭の中でたっぷりとシュミレーションした後は、それを実験で確かめることになる。

 実験室でも、主眼に置かれるのは「何が起きているか?」ではなく、「なぜ起きているのか?」である。現象を観察して記録することよりも、その理由を理解することが、重視される。

 マハジャニ准教授はその理由を語る。「世の中には、基礎科学と数学の知識がなければ解けない問題がたくさんあります。経験はもちろん重要ですが、ある業界に例えば十五年、いや三十年身を置いたとしても研究過程で学んだ科学や数学の基礎知識を生かさなければ、解決できない問題があります。

 非常に込み入った問題に直面した時、IITで学んでいるような科学の知識を応用しなければ解決できないのです。だからこそ学生には基礎的な科学や理論に十分に向き合わせなければならないのです。

 私たちがIITで教えているのは、さまざまな概念や理論であって、化学工学や機械工学といったある特定分野の問題ではありません。

 状況を分析する力を身につけさせ、それが結果的に、化学薬品の開発に結びついたり、土木工学や機械工学の問題解決につながたりするのです」

 高度な技術が発達している今の社会では、原発からジェット旅客機、銀行のシステムなど、ひとたび不具合が生じると、その原因究明や復旧に長い時間かかり、時には最後まで原因を解明できないこともある。

 そんな時でも、複雑なシステムを構成する要素を十分に理解していれば、原因を突き止め、再設計することができる、ということでる。 

 さて、IITではどんな実験や研究開発が行われているだろうか。マイクロソフト、GE、インテルなど世界のトップ企業からの資金提供や、共同開発が数多く行われているというIITのこと。

 きっと超近代的で高額な実験装置がズラリと並んでいるに違いない。その代表的なものを撮影させていただこうと、いくつかの研究室を訪れた。しかし、私たちの期待はあっさりと裏切られた。

 研究棟に入ると、まるで半世紀前のような薄暗い廊下が続く。実験室に入ると、その装置のシンプルなことにさらに驚く。これで高度な実験や研究ができるだろうか? 装置の多くは設計から製造までほとんど自前で作られるという。

 航空工学の実験室では、いかにも手作りらしいシンプルな装置を使って実験が行われていた。直径10センチ、長さ1メートルほどの、家の樋のような円形の管が床に水平に置かれている。

 管の両端は開いていて、この中に片側からバーナーの炎をゆっくりと入れていくと、ある地点から「ボオーッ」と汽笛のような音が鳴り始める。

 実は、これは、熱から音にエネルギーが直接変換される「熱音響現象」という実験であった。現象自体はよく知られているが、研究室では、このシンプルな熱音響現象の実験を通じて、ジェット・エンジンやロケット・エンジンの燃焼効率を上げるために必要な条件を得ようとしているという。

 この実験から、どうしてそんなことがわかるのですか?」と聞くと、研究者はこう説明した。熱エネルギーから変換された音波が「ボオーッ」という音を引き起こすのだが、この音が大きくなるにつれ、エンジンの燃焼室内部では構造的なダメージが与えられているのだという。

 しかし、そのダメージを測定するのは容易なことではない。そこで、音の大きさから、ダメージの大きさとその条件を割り出すというわけである。

 また、ジェット・エンジンから排出される窒素酸化物の量は熱と比例する。この実験では、熱イコール音エネルギーなので、音を測定することで、窒素酸化物の排出量を削減するために必要なデータまで得られるというのである。

 実にシンプルな実験装置を使って、ジェット機やロケットのエンジンの燃焼効率を上げ、環境への配慮までできるという、意外にも壮大な実験が行われていたのである。 』

  

  『 インド式数学の実際を探ろうと三年生の算数の授業をのぞいてみた。教室に入ってまず、日本の算数の授業との違いに気づいた。生徒たちの机の上には教科書もノートも鉛筆も一切ない。

 先生は黒板には何も書かずに、口頭で計算問題を次々と出していき、生徒たちは頭の中だけで計算してどんどん答えていく。「89X73は?」「142X56は?」「256÷16は?」いずれも、計算式を目で見て、日本式に紙に書いて計算すれば何も難しいことはないが、問題を耳だけで聞き、かつ紙に書かずに計算しようとすると意外に難しいことに気づくはずだ。

 前の位の計算結果を、次の位の計算をした時には忘れてしまい、足し算ができなくならないだろうか? やってみていただきたい。ちなみに、この学校でも99X99までのニ桁の掛け算を暗記させてはいない。

 代わりに、こうした暗算を繰り返すことで、頭の中にしっかりとした計算式を思い浮かべられるようになり、また、それを長く記憶していられるようになる。

 インドでは一年生の時から授業で暗算を始め、習慣として身につけさせている。毎日十分間、授業の冒頭で繰り返し行って、生徒たちの計算力向上に役立てているという。

 「暗算は、生徒たちの脳を活性化してくれます。脳を鍛え、記憶力も高めてくれるのです。計算には速さが求められるので、生徒たちにいつも暗算を行うように教育し、計算の速度をキープするように訓練しています」と担任の教師は話す。

 我々は、算数好きにさせるインド式教育の家庭編を探るため。クラスで最も優秀といわれる三年生の女の子ビドゥシの家庭にお邪魔した。

 さぞかし、特別な英才教育をしているだろうと思ったが、父親のバラトが「算数好きを作る鍵」として見せてくれたのは、市販の計算ゲームだった。

 正方形の盤上に、手持ちの数字と+やX、÷などの符号の駒を並べ、縦方向か横方向かに計算式を成立させるというものだ。いわば、数字のクロスワードパズルのようなものである。

 例えば、「12÷4=8-5」と一人が置き、さらに次の人が計算式に駒をつなげて「9÷3+12÷4=8-5+2+1」など。可能な限り計算式を作っていく。

 沢山の数字数字や符号を用いて手持ちの駒を早く使いきった人が勝ちである。単純なようだが、じつは、ひとつひとつの数字や符号の駒に得点が書いてあり、また盤上のマス目には「X3」などが書いてある。この両者を掛け合わせて、同時に得点も計算するまさに計算し尽くしゲームである。

 お母さんが説明する。「子供たちはゲームをしながら学んでいます。妹はまだ掛け算など全く習っていませんが、お姉ちゃんが「4X3=12]とやているのを見て、4に3を掛けるのは4を3回足すのと同じだと自分で導き出しました。ビドゥシもまだ、掛け算とと足し算の方程式を習っていませんが、=の両側にある式が等しくなるということを理解しました」

 生活のあらゆる場面を「学びの場」に変えるインド。これこそが、算数に強い頭脳を育てるのではないかと感じた。 』

  

 『1981年1月、ムルティの自宅のアパートをオフィス代わりにして、インフォシスは産声を上げた。しかし、現実はきびしく、十年間全く利益を出すことができなかった。

 1992年、インフォシスは、アメリカ東海岸のボストンに初めて海外オフィスを構え、少しずつソフトウエア作りを請け負っていた。

 顧客を開拓する上で、大きな力となったのは、IITのネットワークだった。早い時期に、大口の顧客となったリーボックのマーケティングのトップをはじめ、大学卒業後、アメリカに渡った卒業生たちは、様々な企業の中枢にいた。

 インドで起業し、頭脳の力だけでゼロから新しいビジネス・スタイルを創り出そうとするムルティらを彼らは応援した。また、シリコンバレーをITブームの中心地にした起業家たちの15%が実はインド人であった。

 インフォシスは、シリコンバレーのベンチャー企業のソフト作りを請け負って、アメリカのITブームを下支えした。さらなる追い風は、「西暦2000年問題」いやゆるY2Kである。

 古いコンピューに組み込まれているソフトが1999年から2000年になる瞬間を正しく認識できず、事故を起こしてはならないと、ソフトを点検し必要とあれば書き換えるために大量のエンジニアが必要となった。

 膨大な人数がいて、英語ができ、しかも人件費が安いインド人エンジニアは、にわかに世界の脚光をあびることになった。こうした世界の変化を追い風に、インフォシスは、1999年には、売り上げ高が初めて1億ドルに達し、翌2000年に2億ドル、2001年には4億ドルと破竹の勢いで成長し、2007年には30億ドルを突破している。

 創業から二六年。この間にインフォシスは従業員数で1万倍以上に成長し、2006年も売上高は年46%の成長を続けている。ソフトウエア作りの下請けから取引先と関係のできたインフォシスは、顧客企業が直接行わなずとも自分たちが肩代わりできる仕事を引き受けていった。

 たとえば社内のコンピュータネットワークやシステム作り、バラバラに存在していたデータを規格化、データベース化して一括管理するなど、さまざまだ。

 顧客企業はそのようなアウトソーシングで浮いた時間や人材を、より重要な仕事、長期戦略の立案や新商品開発などに集中させることができるようになる。

 一方、インフォシスもどんどん経験を積み、その業務内容を拡大していった。インフォシスの収益の98%以上は海外企業との取引によるものだ。

 例えば、マイクロソフトとアップル、エアバスとボーイング、ビザカードとマスターカードのように、ライバル企業の両方から何らかの形で関わることも多い。

 そのため、インフォシスでは、それぞれの顧客の企業秘密を守るべく、例えば、マイクロソフト専門のビルがあり、そこにはマイクロソフト専属チーム以外の者は許可なく入ることはできないというように厳しく管理されている。

 取材の許可を得て訪れたマイクロソフト・チームでは、アメリカ西海岸にあるマイクロソフト本社と専用回線で結ばれ、インドとのおよそ半日の時差を利用して、アメリカが夜の間に、インフォシスのエンジニアがソフト開発を行い、二四時間体制で開発が進められる。

 2007年1月、マイクロソフトが六年ぶりに発表した、ウィンドウズ・ビスタでも、インフォシスは1年以上にわたり、その開発を支えてきた。

 従来のウィンドウズに比べ多機能になったビスタが、複数のアプリケーションを同時に開いてもスムーズに作動するかどうかなどを詳細に検証し、必要とあれば具体的な改善策を提案した。

 この他にも最近、世界で話題になった製品にインフォシスの技術が生かされた例として、世界最初の総二階建て、世界最大のジャンボジェット機、エアバスA380の設計がある。

 ヨーロッパの複数国が関わるプロジェクトゆえ、開発に予定以上の時間がかかったとはいえ、世界最高水準の技術を選りすぐって作り上げた航空機である。インフォシスは、そのA380で、航空機にとってはきわめて重要な、主翼の一部の設計を担った。

 これまで、航空機の製造では、アイデアから、設計、試作、テスト、再設計、再テスト……と複雑な過程を繰り返し、長い時間かかっていたが、インフォシスはこうした過程の大部分を、コンピュータでシュミュレーションすることを可能にした。

 A380のコンセプト決定の段階から、エアバスが実際に機体を製造する際に使用する最終図面の引き渡しに至るまで、そのデザインや開発をインフォシスは担っていた。

 物理的な製造や実際のテストは一切行わない。インフォシスはマイクロソフトの時と同様、ヨーロッパにあるエアバス本社と専用回線でつながり、共同で開発を進めてきたという。

 チームのメンバーは、航空機の構造計算において20~30年の経験を持つエキスパートが多く、その知識と経験を、シュミレーションソフトなど最新のテクノロジーと組み合わせることで、A380のような巨大ジェットの開発をも可能にしたのだ。 』

 

 『 フリードマンが「The Wold Is Flat」を書くきっかけとなったのは、2004年にバンガロールのインフォシス本社を訪ねて、CEOのナンダン・ニカレに出会ったことだったという。

 「アウトソーシングは、世界中で起きている根本的な変化のほんの一面にすぎません。ITバブルの時代にアメリカを中心に各国ではブロードバンドや海底ケーブルなどに莫大な投資が行われ、コンピュータは世界中に普及しました。

 同時に様々なものがデジタル化され、データを切り分けてインドや中国に送り、離れた土地で誰でも作業ができるようになりました。

 我々の仕事、ことに頭脳を使う仕事の自由度が飛躍的に高まったのです。いまバンガロールであなたが目にしているのは、こうした物事の一大集約なのです」 

 以降、フリードマンは、「フラットな世界」が何をもたらすかについて考えたという。

 「フラット化した世界では、もはや地理的概念も距離も意味をなさなくなります。世界が丸いままだったら、頭脳優秀なインド人や日本人はマイクロソフトやインテルと一緒に最高レベルの技術革新を行いたいと思っても、海外移住するしかありませんでした。

 しかし、世界がフラットになった今、どんな発展途上国にいようと、グローバル・プレイヤーになれるのです。移住しなくても、技術革新を担うことができるのです。

 フラット化した世界では、アメリカ人の仕事、日本人の仕事などというものはありません。仕事は誰のものでもなく、最も生産性が高く、最も優秀で、いい結果を出せ、そして、時に最も賃金の安い担い手のところにいくことななります」 』

  

 インドの科学教育から、我々は何を学ぶべきか。我々は数学と物理化学に関する数式をどうすれば、自分の味方につけることが、できるだろうか。

 どのようなステップで、数学、物理化学の科学的センスを、自分の味方につけるべきか。

 1.四則演算を暗算で自由に素早くでき、定量的把握が常にできるようにする。

 2.幾何の基本的図形問題を通じて、空間的図形認識力を高める。

 3.鶴亀算(連立方程式)によって、様々な問題の中で、鶴亀算で解ける物を識別する力を養う。

 4.微分積分の数学的な意味とその応用分野を理解する。

 5.物理化学の現象を説明する数式の意味を、理解できるように、工夫する。

 6.数学、物理、化学の公式の意味をできるだけ理解して、論理的思考と科学的分析力を向上させる。

 日本の学校(特に大学)が真摯にに学問と取り組んで、世界に通用する人材を養成しているように見えないのは、私の杞憂でしょうか。(第82回)