チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「どんどん上達する驚異の語学術」

2015-08-18 07:58:22 | 独学

 85. どんどん上達する驚異の語学術   (文芸春秋2015年7月号 佐々木淳子著)

 『 今まで外国人に縁のなかった日本人が、ごく普通に外国人と仕事をすることになるだろう。それでは、日本に赴任する外国人たちはいったいどんな所で日本語を学んでいて、どんな苦労をしているのだろう。

 今回は日本在住の外国人エグゼクティブなどにフリーランスで教えている日本語教師、小山曉子に話を聞いた。彼女は日本語教師になってから三十二年間、非常にバラエティに富んだ人々を教えてきた。

 「外国人から聞かれて驚いた質問は?」と聞いてみると、「そうねえ、天皇陛下に謁見するための馬車の乗り方と、おじぎの仕方とか?」と言って、彼女はふふっと笑った。

 小山は複数の国の大使館員も教えている。その時は、宮内庁からもらったというマニュアルと首っぴきで、作法を教えてそうだ。

 世界展開している大型小売店の初代支社長も彼女のクライアントだ。金髪に青い目をした彼は、通訳を連れて、出店用地買収に回ったがうまく行かない。日本語を猛勉強して、地元住民と直接対話を試みた。

 飲み会では、応仁の乱と明治維新が好きという歴史のうんちくを披露し、日本好きをアピール。用地買収に成功し、日本支社を世界一の売り上げにした。

 同じく彼女のクライアントである、「日本――喪失と再起の物語」を上梓したフィナンシャルタイムズの元東京支局長、デイヴィド・ピリングは、その日本語能力を駆使して、大地町のイルカ漁や、まぐろ漁船の取材のほか、七人の総理経験者、村上春樹などのインタビューに成功している。

 日本語教育の現場は、世界から見た日本の立ち位置を映し出す鏡だと小山はいう。バブル崩壊時も、リーマンショックの時も、日本人のほとんどがまだその危機に気づかないうちに、外国人学習者が日本から消えた。

 「バブル崩壊と騒がれる半年ぐらい前から、学習者がガクッと減って、どうしたんだろうと思ったら経済危機が来た」と小山は振り返る。

 バブル崩壊と報道された直後には、暴落した土地や建物を買収した外資系金融会社やメーカーなどに勤める外国人が日本に入ってきて、かえってクライアントが増えたという。そして東日本大震災から五年目の現在も学習者は増えており、教師は人手不足の状態だ。

 彼女は徹底して「日本語を使って何がしたいか」にこだわっている。たとえば、あるイギリス人ジャーナリストは、N1(旧日本語能力試験一級レベル)に合格したいと小山のところにやってきた。

 彼の弱点は、多くの欧米人と同じように漢字とカタカナだ。N1に受かるために必要な漢字は約2000字。これは一般の新聞が読めるレベルである。これを習得するのが彼の望みだった。

 彼によく聞いてみると、日本の競馬に興味があるという。そこで彼女が解読の教材に選んだのは、「競馬新聞」だった。「日本語教師は、どういうわけか「AERA」を教材に使う人が多い。

 でも、あそこに載っている記事で使われている語彙が彼らに必要かっていうと必ずしもそうじゃない。日常で使えなくては勉強する意味がないでしょう?」

 もし競馬新聞が読めれば、漢字は十分クリアできるだろうと彼女は踏んだ。しかも馬の名前を読んでいるうちに、彼の苦手なカタカナも克服できる。一石二鳥というわけだ。

 この学習が彼の日本での活動の幅を一気に広げた。競馬場に足しげく通うようになり、とうとう彼はこんなことを言い始めた。「馬主になってみたい」

 日本には一口馬主の制度があるという。彼は、その制度を利用して馬主になり、馬主会に入会、ほかの馬主たちと一緒に北海道の牧場に馬を見に行きジンギスカンをつつき、酒を酌み交わし、好きな馬のことについて熱く語った。

 すると、その行動が彼の日本語に更なる磨きをかけた。そしてついにN1に合格、日本の馬が香港やイギリスで出走するとなれば、同行してそれを記事にする。そんな趣味と実益を兼ねた仕事も手に入れた。

 まるで昔ばなしの「わらしべ長者」だ。使える日本語を手に入れれば、それがきっかけで一層日本語が上手になり、さらに価値あるものが手に入る。そうやって彼は新しい日本語をどんどん獲得していった。

 「人は好きなことなら、自分で勝手に勉強します。私はちょっと好奇心をくすぐってあげるだけ」と、小山はてのひらで何かを転がすしぐさをした。

 もちろん彼女の方にも苦労があるそうで、「競馬の用語は、意味がわかんないから、以前アルバイトしていたスナックで「鼻の差って何?」「八馬身って?」と意味を聞いたりして予習が大変だった」と笑う。

 たいていのビジネスパーソンは、多忙で日本語を学ぶ時間が足りない。「メールのやりとりなどが英語で済むなら、ひらがなが書けるようになるより、人脈を広げる会話ができるようになった方がいい。

 また、ビジネスの日本語と一口に言うけど、市販の教科書がその人に合っているとは限らないですよね。たとえば、ITエンジニアに商談のための日本語はいらないし、製薬会社勤務の中国人だったら、必ず耳にするであろう「ブラシーボ(偽薬)」という言葉は覚えていたい。

 弁護士だったら。法律用語が必要です。ビジネスの日本語は、彼らが頻繁に使うものを教材にした方がいいんですよ」さらに初対面の人と会話しなければならない事態を想定して、自国の新聞と、日本語の新聞を二紙購読し、自分の国のネタを仕込んでおくといいと生徒にアドバイスする。

 「雑談をするためには、相手を想定してシュミレーションしておくようにと指導します。日本語では、初対面の人にはスーパー敬語、何度か会っているうちに丁寧語、親しくなったらくだけた表現と、話し方は変化する。相手によって表現が変わるので」

 しかし、具体的な商談などについては中途半端な日本語より、通訳を介したほうが無難だと小山は学習者に釘をさす。日本人は最後まで言わない言語習慣を持っている。

 裏にある日本文化を理解せずに、流暢な発音でコミュニケーションすると、誤解されてしまうことがある。特に中国人や韓国人は容姿が似ているだけに、その姿ではっきりものを言いすぎると、失礼な人だと思われやすい。

 学習者の立場によっては、プライベートでは日本語を話しても、会社の中では日本語を話せないふりをしておけとアドバイスすることもあるという。 』

 

 『 小山自身は高校時代に米軍横田基地内でベビーシッターのアルバイトをしながら、英語を覚えた。 「自分の日本語教師としての強みは、語学を勉強するのが嫌いだったことでしょうね。

 英語が好きな人は万遍なく英語を勉強しようとするでしょう? でも私は、必要最小限伝えなければならないことを伝えればいと思っていたんですよ。

 たとえば、「今日は、テストがあるから九時までに帰りたい」とか、「土曜日は一日働けます」などのフレーズを、英語のできる日本人に教えてもらってそれを覚えていったんですよね」

 彼女にとって英語は学問ではなく〔道具」なのだ。その徹底的な割り切りが、彼女の今の日本語教師としての姿勢につながっている。

 高校卒業後、小山は大学に進学せず銀行で働きはじめた。しかし、二〇歳の頃に父親が倒れ、彼女は家計を支えるため、渋谷の場外馬券売り場の向かいに喫茶店を開いて客を集めた。

 ところが、ショバ代を求める暴力団が毎日押しかけては営業を妨害する。そこで、彼女は組長に直談判して嫌がらせをやめさせたという武勇伝を持っている。

 その後妹に店をまかせてからは英会話喫茶のマネージメントなどいくつかの職を経たのち、日本語教師養成講座に通い、日本語教育能力検定試験に合格。

 昼は日本語教師、夜はスナックで働いて、自分の運命を切り開いてきた。日本語教師として十分な評判を得ても、彼女は長い間スナックを辞めなかった。

 「お客さんは、デパートやメーカー勤務、製薬会社、弁護士など様々な分野の人達で、隠語や専門語、裏話など、業界のことを教えてくれた。上司と部下で連れ立ってやって来るお客さんの会話を聞いているのも勉強になりました」

 そして接客業の経験が彼女にこう語らせる。「教師だってサービス業だよね。本当に使える日本語を教えて、お客さんを喜ばせるのが私の仕事」

 政府系金融機関に勤めるイギリス人はこう漏らしているという。「本国ではみんな、笑ったり冗談を言い合ったりしながら、楽しく仕事をしている。でも、日本のオフィスでは誰も話さず、笑いもせず、黙って下を向いている。

 前任者も、その前も、日本にいると鬱になるからと、任期が終わるのを待って帰っていった」 「子どものお遊戯会に参加しようと思い有給休暇を取ると驚かれる。なぜ休む理由を一々申告しなければならないんだ」

 「意見が聞きたくて会議を開くのに誰も発言せず、ただの報告会になっている。時間の無駄だ。報告だけならメールで足りるだろう」

 日本語が道具として使いにくい背景に、排他的で、変化を歓迎しない日本人の在り方が透けて見える。

 小山はこう指摘する。「日本に来たビジネスパーソンたちの中には、職場環境になじめず帰国してしまう人もいる。せっかく二年、三年教育を施しても、優秀な人材は、活気のあるほかのアジア諸国にどんどん取られてしまう。

 もったいないよね。今はまだ日本の経済状態がいいけど、このまま日本企業が変わらなければ、今後も日本に来てくれるかどうか。社内で英語を使うからグローバル企業だ、なんて言っているけど、いくら言葉を身につけてもだめ。

 グローバル化っていうのは、表面的な話ではない。要するに、どんな労働者であろうと、もっと個人を尊重する働き方をしようっていうことなんですよ」

 最後に、小山が学習者から聞いた、日本人に見え隠れする優越感を表す言葉を記してこの記事を閉じることにしよう。「日本人は、すぐに「日本語は難しいでしょう?」と聞くけど、そんなことはない。

 漢字は難しいけど、そんなことはない。漢字は難しいけど、発音も文法も難しくない。ほかの言語だって簡単なところも難しいところもあるよ。それに、日本人はすぐ「日本人は特別だから」と言う。

 でも、どこの国だって、それぞれ特別だろう? 日本だけが特別だと思うのは間違いだよ」 』

 

 どんな言語であろうと、言語は道具であり、役立つことが重要である。日本の学校の校長先生の形式だけの挨拶、日本人の形式で内容のない様々な儀式から卒業し、より役に立つ内容のあるものを目指すべきではないでしょうか。

 英語に於いても、日本語に於いても、より内容のある、役に立つ教科書、役に立つ知恵を授けることのできる教員、真摯に学問を向き合う学生を目指すことで、世界に通用する人材が育つのではないでしょうか。 (第84回)