3. 滅びゆくことばを追って (青木晴夫著 1983年発行)
1960年初夏、若き日本人言語学者は、アイダホ州ネズパース保護地に向かった。消えゆくことばネズパース語調査が目的である。アメリカ北西部の大自然に繰りひろげられる言語調査活動とインディアンとの交流を通して浮かびあったものは何か。これは、ことばによるインディアン文化発見の旅の瑞々しい記録である。
著者は、初夏のキャンプの集会で指名されて、次のように語りだした。
『本日は、かねてからうわさにも聞き、書物でも読んだことのあるネズパース族の皆様に、かくも多数お目にかかれて、たいへんうれしく思います。私がここへ来たのは、ネズパース語を記録に残すためであります。
私は短い時日の間に、皆様のように、美しく流暢にネズパース語が話せるようになるとは夢にも思っておりません。しかし、ネズパース語の話せる皆様が、記録保存のために具体的な活動をしておいでにならない以上、だれかがこの仕事をやらなくてはならないことは明らかであります。
皆様は、確かにりっぱにこのことばをお話になる。しかし皆様のお孫さんのうち、このことばを話せる人が何人あるでしょうか。私は、十歳以下でネズパース語が出来る人はほとんどない、と見てよいと思います。そのうち誰もこのことばを話す人がなくなってしまうわけです。
私は、今日や明日のために仕事をしているのではありません。5年、十年先のために仕事をしているでもありません。今から50年先、百年先、あなたがたも、私も、ネズパース語も、なくなったとき、その時のために私は仕事をしているのです。
何万年の間皆さんの祖先はネズパース語を話してきました。この長い歴史が、とうとう終わりに近づいていているのです。私はジョーゼフ酋長のような偉人を産んだネズパース族、短い期間の間に、アパルーサという世界羨望の的となるような馬の品種改良の才能を示したネズパース族、その人たちのことばが、誰にも記録されずに消滅するのは、人類にとって大きな損失であると思います。』
『このキャンプの片すみに汗ぶろがあった。 汗ぶろとは、英語のスウェットバス(Sweat-Bath)の直訳だ。ネズパース語の原名はウィスティタモ(Wistitiamo)という。
着いた所は、松林をしばらく降りていった小川のほとりの平たい所である。
ここに木枝を曲げ両端を地面に突きさしたものを、何本も使って、半球型の骨組みを作り、その上に毛布やいろんな物を乗せて作ったおわんを伏せたような家ができていた。人間が立つと腰までくらいしかない。このおわんの中に四つんばいになって四,五人がはいれるようになっている。
この回りには、まっ裸のインディァンが四、五人立ったりすわったりしていた。小川の一部が掘り広げてあって、ここには首までつかったのがふたりいた。私たち新着の一行が皆裸になると先着のひとりが「あいているよ」と言った。そこで四人、ぞろぞろ四つんばいになってこのおわんの中に入った。
中には麦わらが敷いてあって、汗臭い。わらは湿っている。中はまっ暗で何も見えない。さっきのひとりが外側から、入口のまくりあげてあった一枚の毛布をおろしてしまったのである。インディアンの年長のひとりが「さあ始めるか」と言った。皆が「よかろう」という。
「ガールフレンドの名は」「マリアン」「ああ、マリアンね。よしよし」そこでシュンシュンという音がした。この年長のインディアン、いわば汗ぶろの頭領は、「マリアン、マリアン」と言いながら、小さな洗面器にはいった水を、おわんの一隅に積み重ねてある焼けた石にぶっかけたのである。
熱い水蒸気がパッとからだを打つ、いい気持ちである。「お前はまだメアリが好きか」「そうだ」と返事があり、「メアリ」「シュンシュン」そこでまた湯気がパッと感じられる。こうして皆の女友だちの名が呼ばれた時、このおわんは水蒸気で一杯になった。
自分の体にふれると汗びっしょりである。不思議にそう熱いとは思わない。この蒸し風呂は、ネズパースに限らないのである。カリフォルニアのにもやるのがいる。ただしカリフォルニアでは、汗ぶろでも煙ぶろである。自己燻製式入浴法とでもいうべき妙なやり方だ。目を遠くに走らせると、フィンランド、トルコ、日本など北極圏を囲んで、一種の蒸し風呂文化圏とでも呼ぶべきものが、北米まで広がっていることになる。』
『思えば、今までいろいろな偉い先生にお目にかかったことがある。日本では服部四郎先生、金田一春彦先生、アメリカではインディアン語のハーズ先生、梵語のエメノー先生、言語理論のチョムスキー先生などだ。このかたがたは、世界第一流の学者である。それでいてその謙虚さといったらない。偉い人に限って、人をチンピラ扱いにしないものである。』(第4回)
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