16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その1)
人類最初の都市は、メソポタミアのシュメール文明(前3500~1800年)の諸都市である。灌漑農耕によって、大麦、小麦などの穀物、野菜や果物の生産が高まり、山羊や羊の牧畜も行われ、余剰農産物を生み、都市人口を支えることが可能となった。
シュメール時代最盛期のウルのジュクラット神殿は、3層の城壁の囲まれた南北1030m、東西690mの都市で、神殿、王宮と王墓、住宅地の遺構で、この都市には、3万4千人が暮し、神官、書記、宝石、木材の加工技術者たちで、「食料生産活動」に直接関わらない人々だった。
さらに、植民地を各地に持ち、出先機関を置いていた。こうした交易などの経済活動、また神殿への奉納など富みの管理の必要性から、それまでのトークンだけでは補えず、楔形文字、数字、60進法、土木技術、青銅器、鉄器を発明した。
シュメール文明の繁栄を伝える「ウルの秘宝」の出土品の中に、紺碧に輝く石、ラピスラズリがあった。この石はアフガニスタンの最北のパダクシン渓谷が古い鉱脈でウルから3千キロも離れている。このことは遠大な交易路がすでに完成していたことを意味する。
京大の前川和也が大英博物館に20年足を運び楔形文字を解読し不思議な事実を発見した。紀元前2350~2100年にかけて、シュメールの都市国家の1つラガシュで1h当たりの麦の収穫量が4割減っているのだ。もう一つ不思議な現象は麦の生産高のうち小麦の収量が激減しているのである。
シュメール初期は二割が小麦であったが、末期になると2%まで減少している。収穫高の減少と小麦から大麦への転換。この二つの不可解な変化の原因を、前川教授は西アジアの乾燥地帯に特有な自然現象「塩害」に求めた。また小麦と大麦を比べると、小麦は塩害に非常に弱く、大麦は比較的強い。従って、二つの現象は塩害によって説明される。
この4千5百年前の現象は、今世紀にナイル川にアスワンハイダムを建設し、ナイルデルタの灌漑によって豊かに実った小麦が、3,4十年の後に塩害によって耕作不能に陥ているのは、考えさせられる。(四大文明 メソポタミア 松本建)
イギリスの歴史家ギボンは、「文明がその頂点にあるとき、すでにその滅亡の種子が芽生えている」と書き残している。シュメールの都市は、我々に多くのものを残し、我々がエントロピーに逆走する多くの手段を与えた、非常に賢い人々であったが、灌漑とレバノン杉などの伐採によって、砂漠化と塩害によって、メソポタミア文明も衰退した。(第32回)
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