物は置き場所、人には居場所(その11) 日常をデザインする哲学庵 庵主 五十嵐玲二
10. 社会のことを自分ごとに(島根県海士町の試み)
ホイジンガの人間の三つの生き方の第二道 「世界そのものの改良をめざす」とある〔世界そのもの〕を〔身のまわりの現実〕に換え、「身のまわりの現実の改良と完成をめざす」第2.5の道とします。
第一の道(彼岸への道)や第三の道(芸術への道)を目指すにしても、此岸(しがん)(現実への道)が安定していることが、大切なのではないのではないでしょうか。
第2.5の道として、フィリピンの小さな島カオハンガ島での取り組みと、中国黄土高原の小さな村でのアンズの取り組みを紹介しました。
これらは、海外での取り組みなので、ここでは、鳥取県の沖合六十キロの日本海に浮かぶ、隠岐(おき)諸島の島前三島のひとつ・中ノ島に位置する、 面積33.5平方キロ、人口二四〇〇人の海士(あま)町での取り組みを紹介いたします。
以下の話は、朝日新聞フロントランナーと海士町のブログよりの抜粋です。
『 山内町長が当選した二〇〇二年は、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中で離島が合併してもメリットがないと判断し、単独の道を選んだ。
ところが二〇〇三年の三位一体改革による地方交付税が削減され、「二〇〇八年には海士町は財政再建団体へ転落する」これが当時のシミュレーションだった。すなわち財政破綻や過疎の危機にひんし、「島が消える」寸前だった。
ここで、徹底した行財政改革を断行するには、自ら身を削らなければならない。そう考えた山内町長は、町長給与三〇%カットを宣言する。
ある夜、残業中の町長に町幹部から電話がかかる。指定の店に行くと管理職全員がそろっていた。「僕らの給料も下げてください」と頼む彼らに「やかましい。お前らには求めん言うただろう」と答えた。
翌日。町長室に総務課長が来て、「本気です。僕たちもついていかせてください。」と言った。町長は泣きながらその申し出を受ける。四月から管理職は二十%減。
組合が「僕たちも」と申し出た、十月から一般職員も十~二十%減。翌年はカット率がさらに上がり、町長五〇%、議員四〇%、職員一六~三〇%カットし、二億円の人件費削減に成功した。
「職員がそこまでやるのか、というのが住民意識を変えた」と町長は振り返る。町のことが、住民の自分ごとになった。 』
『 海士町は「日本一給料の安い自治体」となったが、小さく守りに入ったわけではなかった。生き残りをかけ、ここから攻めに転じる。
「前の民主党の時代だったでしょうか。官から民へということがいわれた。それは理想的な言葉なんですが、私たちのような民力がない小さなところだと、やっぱり官が本気にならないといけない。漁師も農家も自分たちだけで営業できるわけではない」という山内町長。
しかし、海士町には離島というハンデがあった。「うちには市場がないですから、漁師が魚を捕ったら漁協へ渡して、漁協が境港(鳥取県)の魚市に出す。今日獲ってきたものでもあくる日の船で行けば、鮮度は落ちて買い叩かれる。この流通機構を変えて漁師が儲けられる仕組みをつくらないと、後継者は育ちません」
そこで海士町では第三セクター「ふるさと海士」を立上げ、細胞組織を壊すことなく冷凍、鮮度を保ってまま魚介を出荷できる「CASシステム」という最新技術を導入した。
(CASシステム : とは水を瞬時に凍らせることで氷晶化を防ぎ、細胞膜を無傷に保つことを可能としている。
食品を冷却しながら磁場環境の中におき微弱エネルギーを与えることで細胞中の水分子を振動させることにより過冷却状態に保ち、その後瞬時に同時に冷凍させることにより水分の氷結晶化を抑える。
細胞を傷つけずに冷凍が可能なため、テェースバンクなどの医療の移植技術の分野でも応用されつつある。1997年に、株式会社アビーによって開発された。)
海士町で一貫生産に成功したブランド「いわがき・春香」や特産の「しろイカ」などを直接、都市の消費者に届けることがねらいだ。システムそのものは一億円しなかったが、建物まで含めて五億円が必要だった。
「県議会はなんでそんなにお金がかかるのか、絶対に黒字にならないと批判しましたが、あれが海士町のものづくりの一大革命だった」と山内町長は振りかえる。
背水の陣だったが、産地直送の新鮮な魚介は人気となり、首都圏の外食チェーンをはじめ、百貨店やスーパー、米国や中国など海外にも販路を広げていった。
山内町長が社長を兼ねた「ふるさと海士」は見事黒字化。2012年には売上2億円、595万円の黒字決算となり、4期連続で黒字が続いている。
「運ぶための氷代や汽船運賃、漁協の手数料、魚市場の手数料をすべて抜いた。でも、町が儲けているわけではありません。今、しろイカの最盛期ですが、一番儲けた漁師さんだとふた月半くらいで600万円。
漁師さんからすれば、ありがたい話です。ようやくそれがわかってもらえました」 「目標は外貨獲得」 と笑って話す山内町長だが、「島の中だけで経済をまわしてもだめ。島の外からいかにお金を持ってくるか、それが大事です」と話す。
「それまでは予算ありきで、国から補助金が下りて終わり。自ら役場が企画しなかった。これからの行政は、特に我々のように小さいところは、営業をやらないと」 』
『 海士町を訪れると、のんびりと草をはむ隠岐牛に出会う。隠岐特有の黒毛和種。急峻な崖地で放牧されながら、ミネラルを含んだ牧草を食べて育つため、足腰の強くおいしい肉質牛が育つという。
これまで海士町では子牛のみが生産され、本土で肥育されて松坂牛や神戸牛となって市場に出ていた。しかし、公共事業が減ったことで売上が激減した建設業の経営者が、2004年に異業種だった畜産業へ進出。
「隠岐潮風ファーム」を立ち上げて、島生まれ島育ちの隠岐牛のブランド化を目指した。2年後に3頭を初出荷、すべて高品位の格付けをえて、肉質は松坂牛並みの評価を受ける。
現在、月間12頭を品質の厳しい東京食肉市場に絞って出荷しているが、今後は新しい牛舎を建設して、出荷頭数を倍の24頭に増やす計画だ。
インタビューした日、山内町長は東京に出張中だった。東京都中央卸売市場食肉市場で10月に開かれていたイベント「東京市場まつり2013」で、隠岐牛をPRするためだ。
イベントでは、海士町の職員がしろイカを始めとする島の特産品を、声を上げて販売していた。町長以下、職員全員で海士町を売りだしているのだ。
「東京のお客さんは舌が肥えているので、良いものは買ってくれます。東京で認められれば、ブランドになる。一見、短絡的な考え方ですが、間違いではなかったなと。また、東京の人たちに食べてもらえるというのが、漁師や農家の人たちの誇りになる」 』
『 海士町の快進撃はビジネスだけではない。最近、特に注目を集めているのが、島外からの高校の入学者やIターン、Uターンによる住民の増加だ。
山内町長は、離島が生き残るために産業を立ち上げ「島をまるごとブランド化」する戦略をとった。「では、そもそも島が生き残るとは何か。それは、この島で人々が暮らし続けること」という。
そのために必要なのが、「地域活性化のための交流」。海士町では、島外から人を呼ぶため、さまざまなプロジェクトを行ってきた。
たとえば、隠岐諸島の島前地域で唯一の高校である島根県立隠岐島前高校は、少子化と過疎化で2008年度には生徒数が30人を切っていた。
このままでは高校は統廃合され、島の子供たちは15歳で島外に出なくてはいけなくなる。人口が流出、その仕送りも島民にとって負担になる。だったら、島外の子供たちを高校に呼ぶしか存続の道はない。「島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がった。
難関大学進学を目指す「特別進学コース」や地域づくりを担うリーダーを育てる「地域創造コース」などを新設、島外からの”留学生”に旅費や食費を補助する制度を作り、「島留学」を銘打った。
この取り組みは評判を呼び、2012年度からは異例の学級増、2013年度も45人が入学、島外からの生徒は22人だった。「22人のうち、19人が県外です。しかも、東京あたりから。ドバイから帰国した子もいます。
19人のうち15人は学校長推薦を受けた優秀な子たちです。今年も東京と大阪で高校の説明会をやったのですが、201人の親子が参加されていました。ただ、建物が手狭な関係で、島外から入学できるのは24人ぐらい。
今、島外からの子供たちにとっては狭き門になっています。島の子供たちとの間で、摩擦は生まれないか初めは心配していました。でも、島の子供たちは刺激を受けているし、うまく同化もしている」 』
『 子供だけではない。大人もなぜか海士町に集まっている。その数、246世帯、361人(2012年度末)で、一流大学の卒業生や一流企業でキャリアを持つ20代から40代の現役世帯が続々とIターンしているのだ。
海士町教育委員会で島前高校魅力化プロジェクトを手がけるプロデュサーは、ソニーで働いていた岩本悠さん。一橋大学を卒業後、海士町で「干しナマコ」の加工会社を立ち上げ、中国に輸出を始めた宮崎雅也さん。
他にも、島の活性化に一役買うような人は枚挙にいとまがない。一体、なぜ? 「町はIターンの人たちに直接的なお金の援助はしません。ただ、本気で頑張る人には本気でステージを与えようと思っています。
若い人たちは、都会の生活に疲れたり、海士町に仕事があったから来たのではなく、新しい仕事を作りに来ている。友達が友達を呼んで、次々に縁によって来ている人たちです。
逆に言えば、彼らをお金で引き止めることは絶対にできません。彼らが島の閉鎖性とどう向き合うか心配でしたが、島民と良い化学反応を起こして、活性化につながっています」
山内町長の持論は、「役場は住民総合サービス株式会社」だ。町長は社長、副町長は専務、管理職は取締役、職員は社員で、税金を納める住民は株主で、サービスを受ける顧客でもあるという。
「2012年は全国の自治体などから1400人ほどの視察が来ましたが、CASシステムや島前高校を見ながら、最終的には職員の動きを見ていました。「町長、ここは役場じゃないですね」って言われます(笑)。
私は社長のつもりでやってきましたが、トップ一人のアイデアでは成功しません。職員に恵まれて、その意識も変わりました。そして、役場が変われば、町民も変わります。
海士町は小さな島なので、自分がやったことが、どう自分に返ってくるかという連鎖がすごくちっちゃいんです。だから島全体のことが自分ごとになりやすい。社会のことを自分のことに出来るのです。 』 (第11回)
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