オット母96才、先日天寿を全うしましたが、思いがけずの入院からまさかの療養型病院への転院の記録です。
コロナ禍であることから、思いがけず入院したBこさんとはヨメである私は対面は出来ないまま、車いすで介護タクシーで「療養型病院」への転院をしました。
その時オットが受けた説明では、もう自宅に戻ることは出来ないとの事で、もしかしたら在宅介護が続くかと思って介護用品なども支払いは停止にしてもらったものの、借りていた介護用品ももう使用することはないと言う事で、介護用品の会社との契約も完全に解除し、引き取りをお願いしました。
考えてみればBこさんのオットG夫さんが、介護が必要になった時に一緒に介護手続きを取ったBこさんは足掛け12年、その会社との付き合いがありました。
デイサービスの方も途中からの利用はしましたが、なかなか行きたがらなかったので、唯一ずっとお付き合いがあったのはこの介護用品の会社でした。
玄関、トイレ、Bこさんの自室には様々な介護用品、また、最近では車いすやカートなども借りていましたので、それらを返すと、家の中はちょっとガランとした感じに。広々とは違う、寂しい感じがしました。
車椅子で段差を乗り越えるためにあちこち私自身が張り付けたものもあり、それらも最後の方はサイズの合わないものをカッターナイフで汚く切り落としてあったので、ばりばりと剥がして元の敷居の姿に戻しました。
ダイニングテーブルや椅子も、Bこさんの移動を考えて無理やりの置き方をしていたので、元に戻し、円背の為幾つも用意してあった椅子ももう転院後は座る人もなく、無用のものとなってしまいました。
転院後は補聴器は使えず、したがって携帯電話も不要、もう買い物に行くこともないので、年会費の掛かるカードは解約、生協の会員も脱退手続きをしとと、なかなかその契約解除も本人確認が必要なので、大変な作業でした。
オットと2人きりの生活と言うのも、結婚して40年にして初めての事でしたが、ほぼほぼ引越しのような状態でしたので、落ち着く暇もない日を過ごすことになりました。
しばらくは転院後の病院からの連絡もないまま、オットも私もBこさんが在宅中には出来なかった事(例えば1日かかる病院への診察など)をしているうちに日は過ぎていき、何年もきっと療養型病院での生活が続くのだろうと覚悟していました。
近づくお正月、昨年まで(こちらで印刷して住所も要れたものを用意して)年賀状も自分で出していたけれど今年はどうするのだろうなんて思っていた時に、療養型の病院からのBこさんの体力が落ちてきたので、何があるかわからないから面会が出来るようにするので、来れたら来るようにとの連絡が入りました。
「転院後の様子2」に続きます。
本当に大変さまでした
こちらのblogを読ませていただき、とても勉強になりました、感謝しております。
コメントありがとうございます。
少しでも参考になればうれしいです。今後も継続していきますので、よろしくお願いします。