izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

その場所に馴染めない人たちそれぞれの日々—「よそ者たちの愛」(鈴木仁子訳・白水社)

2020-08-18 15:20:00 | 本と雑誌

誰でも一度は感じたことがあるのではないだろうか?「ここは自分の居場所ではない・・」あるいは「ここには馴染めない・・」といううっすらとした頼りなさ。自分がいる場所や、仕事や属している集団(会社だったり家庭だったり組織だったり云々)で、ある程度うまくやっているが、それでも何となく感じる存在感の希薄さ。

テレツィア・モーラ著/鈴木仁子翻訳の「よそ者たちの愛」は、そんな社会にうまく馴染めない”よそ者たち“の、それぞれの日々のを淡々と描いた短編10編が集められた本である。

 

例えば「魚は泳ぐ、鳥は飛ぶ」—— “マラソンマン”というあだ名の年金暮らしの男の話。

どこといって特異なところはないのだが、質問されたことしか答えず、丁寧だが二言三言しか話さない。洗いざらしの灰色のシャツを纏い、顔付きは悲しげな道化、しかし悲しんではいるわけではない。

ある日、身分証明書と家の鍵を入れたバッグを盗まれ(!)、犯人(と思える男)を延々と追いかける。。いつしか盗人を追いかけるという目的も曖昧になり、やがて呆気にとられる結末。。。。魚も鳥も、目的があって泳ぐのでも飛ぶのでもない。それが生きることだから。

 

周囲に面倒をかけてばかりの若いカップル。毎朝日の出に出かけ日の入りに戻る男(お陽さまといっしょに出発するが、残念なのはお陽さまがいつも自分の背後にしかいない)。いつも片方の口角をつり上げている夫から逃れられない女性・・・登場人物はそれぞれにうっすらとした違和感を抱えている。

 

ワタシが好きなのは、「求めつづけて」の一節——

「翌朝昇ってきたお陽さまは灰色、そして私のこの日の残りも同じく灰色だ。ほどよい寒さの、こぬか雨の晩秋。運河は、向こう側に遊歩道がついている。

昔から川岸を歩いたものだった。私の生まれた村はドナウ川の支流にあって、私の通った中高等学校(ギムナジウム)はドナウの本流に面していた。学校の眼の前が遊歩道で、そこには絵になる風景の材料がそろっていた。プラタナス、ベンチ、並木の根上がりでひび割れた歩道、ところどころの階段。けれど私たち生徒がその階段を下りることは禁じられていた。」

「私はね、八年付き合っていた恋人に去られたの、と私は話す。あなたは私の命よ、と彼に言ったら、彼は去った。私の友人たちは、どんな人間にだってそんなことを言うもんじゃない、と言った。私はそれで彼らのもとを去って、ここに来た。」

その場の景色や空の様子や空気の湿り気、街の雑踏や匂いが漂ってきて、それに主人公の不確かな気持ちが重なる。。

 

「布巾を纏った自画像」では、話しをするといつも「口角の片方をつりあげ」て(あざ笑ってるの?認めてるの?訊ねちゃだめだ。)、ひたすら籠もって自画像を描き続ける男フェリックスと暮らす掃除婦をしている女性。

「自転車に乗ったはじめての日、それがここで幸福に酔ったはじめての日。

その前に幸福に酔ったのは、フェリックスがわたしを妻と呼んだ日。

その前は、わたしがベルリンに来た最初の日。

その前は、八年生を終了したとき。。。」

 

 

作者のテレツィア・モーラは、オーストリア国境に近いハンガリーの村でドイツ語マイノリティとして育ち、その後、ブタペスト大学に入学し、東西ドイツの壁崩壊後の90年にドイツに移住。フンボルト大学で演劇学とハンガリー文学を修め、脚本家として働くとともにドイツ語で小説を書き始めたという。

この本に収められているどの物語の主人公も、“どこであってもいい”が、“どこにも馴染めない”『よそ者』である。本の推薦人の師岡カリーマの言葉を借りれば、“社会で疎外されたというよりはむしろ、”自らが多数派の価値観やペースに馴染めなかったりする面倒だけど目が離せない面々”。様々な事情でその場所に安住できない弱さをかかえる人物たちの気持ちが淡々と描かれていて、読んでいて時に切なく可笑しい。

 

巻末のリストを読んで、この本を翻訳した鈴木仁子さんは、ヴィルヘルム・ゲナツィーノの「そんな雨の日の雨傘に」を翻訳した方だと知った(!)「そんな雨の日の雨傘に」は数年前に読んだが、淡々として軽妙でさり気なく、しっとりしているのにクールな文章に引き込まれたものだ。今回の「よそ者たちの愛」も綿密に選ばれた言葉の使い方と表記(漢字、ひらがな)が素晴らしく、読んでいていつしか主人公に寄り添う気持ちが湧いてくる。

外国文学は翻訳者によって印象がまるで変わる。素晴らしい翻訳本に出会った時は、文章がストンと心に落ちてくる。暑〜い暑〜い今年の夏ではあるが、なんとなく心が静かになってくる本でありました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっと読んだ!ルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」。

2020-06-17 13:25:25 | 本と雑誌

ルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」(岸本佐知子 訳 / 講談社)は、2020年の本屋大賞翻訳小説部門第2位 (それに第10回"Twitter文学賞”海外編第1位)を受賞している。去年からずっと読みたいと思って、amazonの買物リストに入れておいた本だ。

「なんだろう〜?」と思わせる不思議なタイトルと、古い映画のような雰囲気のカバー写真がシックで知的。24編のお話からなるこの本は、作者自身の体験に根ざした様々なシーンが淡々と、壮絶に思える場面でもどこかユーモラスな醒めた目線で、詩的な物語になって描かれている。

アラスカで生まれ、鉱山技師だった父についてアメリカ各地の鉱山町を転々とし、第二次世界大戦に伴う父親の出征でテキサス州エルパソに移り、そこで”腕はいいが酒浸りの歯科医の祖父”の元で、母親と叔父もアルコール依存症という貧民街という環境の中で育ち、終戦後、両親と妹と移り住んだチリのサンチャゴではお屋敷に召し使いつきの豪奢な生活を送る。。。。

その後、N.Y、メキシコ、カリフォルニアに住み、その間、教師、掃除婦、電話交換手、ERの看護師などをしながらシングルマザーで4人の息子を育て、アルコール依存症を克服してからは刑務所で受刑者に創作を教え、1994年にはコロラド大学の客員教授となり、最終的に准教授になるが、子供の頃に煩っていた脊柱側湾症側彎症の後遺症による肺疾患が悪化し、ガンのために68歳で死去する。ルシア・ベルリンの生涯は、それだけでもう圧倒される。

 

ERの看護師の目線で書かれた「わたしの騎手」はたった2ページの短い作品だが、最後の2行が素晴らしい。「暗い部屋で二人きり、レントゲン技師がくるのを待った。わたしは馬にするみたいに彼をなだめた。「どうどう、いい子ね、どうどう。ゆっくり・・・ゆっくりよ・・・」彼はわたしの腕の中で静かになり、ぶるっと小さく鼻から息を吐いた。その細い背中をわたしは撫でた。するとみごとな子馬のように、背中は細かく痙攣して光った。すばらしかった。」

1ページと2行(!)、という短い物語もある。「まだ濡れているときはキャビアそっくりで、踏むとガラスのかけらみたいな、だれかが氷を囓ってるみたいな音がする。」”マカダム”という道路の舗装の素材がタイトルになっていて、それがとても印象的な情景を創り出している。精錬所から吹いてくるテキサスの赤土。埃が舞う道路。。。行間から土埃の匂いとテキサスの暑さが伝わってくる。

 

「深くて暗い塊の夜の底。」で始まる「どうにもならない」も好きな物語だ。

「酒屋もバーも閉まっている。彼女はマットレスの下に手を入れた。ウォッカの一パイント瓶は空だった。ベッドから出て、立ち上がる。体がひどく震えて、床にへたりこんだ。このまま酒を飲まなければ、譫妄が始まるか、でなければ心臓発作だ。」。

部屋中の小銭を掻き集めて、朝の6時からやっている歩いて45分かかる酒屋までなんとか行きつき、息子たちが目を覚ます前に家に戻る。。。。13歳の息子がいう「どうやって手に入れたんだよ、酒」。。。まだ明け切らない暗い朝の通りを、道路のひび割れを数えながら、倒れそうになりながら、よたよたしながら歩く彼女の姿は、ずっと昔に観た映画「酒と薔薇の日々」のラストシーンを思い起こさせる。(「酒と薔薇の日々」は1962年のアメリカ映画。ヘンリー・マンシーにの美しい主題曲が有名だが、内容はアルコールに溺れていく男女のシリアスで哀しい内容。リー・レミックが演じる壊れていく女性の姿が切ない)。

 

どこから読んでも、何度読んでも、簡潔で無駄のない文章がその時その場の情景をまるで眼の前に見るように描きだす。行ったことのないチリやメキシコやアリゾナの暑い空気や色が感じられ、やりきれない思いや絶望感、諦めなどが背景と一緒にくっきりと立ち上がる。”絵を描くように文章で表現する”という言葉を思い出す(翻訳の素晴らしさも見逃せない!まるでルシア・ベルリン本人が直接日本語で書いたようなキリッとして淀みのない美しい文章!)。

こんな本は時間があるときにゆっくり、味わいながら、丁寧に読みたいものだ。本の中に入り込んで、物語の主人公と一体化するような読書は、今回のコロナウィルスの自粛のお陰と言ってもいいかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外出自粛で読んだ脱力系2冊〜「へろへろ / 鹿子裕文」 & 「ひとりで生きる/ ひろし」 

2020-04-27 16:05:46 | 本と雑誌

ともかく外出できない。

今まで週に3〜4日は太極拳と経絡ストレッチの教室、その他の日は映画や美術館に画廊、ステージにランチ・・・文化・芸術方面でたっぷり遊んでいたのがすべて閉館・中止。“普通の日”がどれだけ大切なことか、あらためてこれまでの生活スタイルや価値観を見直す日々である。

 

 出かけられない、家にいるしかない。。。ので、本を読む。

最近読んで「なるほどなぁ〜」と思った、脱力系(?)の2冊。

 

 まずは、鹿子裕文著「へろへろ」(!?)。タイトルからして「ン?」なのだが、サブタイトルが「雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々」とあって、ますます「なんじゃ?!」。ナナロク社から2015年に発行された本だ。

 小さなお寺のお茶室で始まったデイサービス「宅老所よりあい」にひょんなことで関わることになり(というか、ほとんど捲き込まれて)、なんやかんやスッタモンダ七転八倒のあげくやがて特別養護老人ホームを立ち上げてしまった(!)までのあれやこれやドタバタの顛末を、その中心人物である下村恵美子(と村瀬孝生)を軸に、「根拠なんか別にない。ただ、やれると思う気持ちいがあるだけ」で突き進むスタッフと周囲のサポーター達を描いた本である。元になっているのは、「宅老所よりあい」の雑誌『ヨレヨレ』。詩人の谷川俊太郎が詩を寄せ、(当時)中学生だったモンド君が描く似顔絵表紙のインパクトもあり、書店に置いたらあっという間にメチャクチャ売れた!というほとんど伝説化した雑誌である。

 『ヨレヨレ』を編集した鹿子裕文さんは今年初めまで定期的に東京新聞にコラムを書いていて、ワタシはそれを読むのが毎週楽しみだった。ロック雑誌「オンステージ」や「宝島」の編集に携わっていたというそのキャリアを知れば、『ヨレヨレ』のぶっ飛んだ内容(!?)と信念を変えない真面目さ(!)が醸し出す、奇妙な面白可笑しさも納得!

 地域住民への特養ホーム建設の説明会で「僕たちは、老人ホームに入らないで済むための老人ホームを作ります」と言った村瀬孝生の言葉は、この人たちの真髄だろう。“介護”というとつい身構えてしまいがちだが、これはもっと自然にもっと自由に、年を取ることを受け入れる、付き合う、ということを考えさせてくれる。それでいいのだ!である。

 

もう一冊は、「ひとりで生きていく」。2019年12月廣済堂出版。

ピン芸人として「ヒロシです。」で始まる自虐ネタでブームになった後ドロップアウトしたように忘れられた時期があり、今は、You Tubeに「ヒロシちゃんねる」を配信する人気のユーチューバーヒロシが「ひとりで生きていく」ことへの様々な思いを綴ったエッセイ(&少しのノウハウ)だ。 

 

「50歳、未婚、彼女なし、一緒に飲みに行くといった友人とも言うべき関係の人もなし」だが、「ひとりで生きる。それは旅するように日々生きるということ」と、彼はいう。

TVに出始めた頃から、どう見てもTV界に馴染めそうにないナイーブでどことなく品がある様子が印象的で、滅多に見ないお笑い番組も「ヒロシ。」が出る番組は見ていた。自虐ネタを集めた本「ヒロシです。」ももちろん買って読んだ。今でいうお笑い芸人とは一線を引くような独特の存在感と、といって決して”暗い”という感じでもないところが気になる存在だった。

「ヒロシ。」が語りのバックに流していた1970年公開のイタリア映画「ガラスの部屋」の哀愁を帯びた主題曲も語りとピッタリあって、可笑しさが増幅された(その後、あるTV番組で、ヒロシがこの曲を歌ったカンツォーネ歌手ペピーノ・ガリアルディと会ったのだが、歳をとっていかにも陽気なイタリアオヤジと化した姿にショックを受けたのもまた可笑しかった。映画の主役俳優レイモンド・ラブロックは素敵だったよ〜♥当時、見たもンね\(^_^)/〜。今思えば、どことなくヒロシと(顔じゃなくて)雰囲気が似ていたかもしれない)。

 

もの悲しさを笑いに変えるのは才能だ。ひとりで生きることに、日本では周囲の目は冷たい。本の帯に「群れない、媚びない、期待しない」とあるが、表紙にあるヒロシの姿は飾り立てることもなく、ただスッと立っているだけ。ひとりでいることは本当に美しいと思う。他人を拒絶するわけではないし、人との繋がりを否定するのでもない。でも、人は結局はひとり。を認識していれば、人との付き合いや自分の日々の暮らし方も見方が変わるだろう。

コロナウィルスのお陰で外出自粛が続き、人との接触を避けるこの日々が終わったら、問われるのは今までとは違う社会のあり方ではないか。少なくても忖度やら意味のないお付き合いやら庇い合いやら、これまでの日本型社会の意識は否応なく変わらざるを得ないのではないだろうか。。。なんてことも思う本である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梨木香歩と師岡カリーマ・エルサムニーの「私たちの星で」を読んで、多文化共生の時代を期待する

2019-12-20 14:41:17 | 本と雑誌

「わたしたちのいるところ」に続いて読んだ梨木香歩と師岡カリーマ・エルサムニーの往復書簡「私たちの星で」。

こちらも、仏教国でもキリスト教国でもない、あまり知る機会のないイスラムの世界の価値観から見た今の日本の社会がくっきりと浮かび上がってくる往復書簡だ。

 

師岡カリーマは最近気になっている一人で、日本人の母とエジプト人の父の元東京に生まれ、カイロ国際大学、ロンドン大学で学んだ、まさに多文化を生きている文筆家。東京新聞朝刊に書いているエッセイの視点の深さ、鋭さ、宗教や国家を超えた普遍的な倫理や信仰心から来る目線には、毎度アタマと心を揺さぶられる。

一方の梨木香歩は、こちらも世界各地を歩き回り(まるで放浪するかのよう)、自分の出自とは違う世界で暮らす普通の人たちとのやりとりから、人間としての普遍的な存在の意味を知ろうとする。共通するのは「理解し合いたい。知り合たい」という希求の強さだ。

 

「ロンドンで働くムスリムのタクシー運転手やニューヨークで暮らす厳格な父をもつユダヤ人作家、あるいは”民泊“で出会った型にとらわれないゲイのプログラマー・・・」カリーマが世界各地で出会った人たちとの経験を、梨木香歩は”「健やかさ」への信頼”と表現する。

一方、安保法案反対集会に参加していた梨木香歩が、その場での警察官の様子に「吹き出してしまった」という箇所には、思わず共感!正面切ってガチガチに目尻を上げて抗議するのでなく、あくまでもしなやかにユーモアを忘れず、物事の深層を見つめる感性は、先に読んだ「椿宿あたりで」でも随所に感じたのだった。社会に対する問題意識は持ちつつ、時代の流れや自然のなりゆきにも抗うことなく受け入れいていく。凜としてしなやか、カッコイイ!のだ。

 

文化や社会制度や宗教の違い、あるいは自然環境による習慣の違いなどからくる異文化を拒絶せず黙って受け入れていけば、寛容さが鍛えられ、やがてみんな同じ家族になるのでは・・・という梨木香歩の楽観主義は、分断と不寛容に満ちた現在の一筋の光のように思える。

西暦2000年を迎える頃、“21世紀は共生の時代”と言われた。差別や偏見や格差などのない自由で広々とした世界になると希望を持ったが、現実は逆方向に進んでいる。それでも、環境問題に「NO!」と声を上げた16歳のグレタ・トゥーンベリさんのように、次の世界に向けて強いメッセージを掲げる若い世代が登場しはじめている。

まだ目には見えないけれど、本を読んだり、新聞の小さな記事を読んだり、気持ちの通じる友人と話していると、微かな変化の動きが確かに始まっていることを感じる。まさにこの今、後になって振り返ると時代の変わり目だったと位置付けられる、平成最後=令和元年の年であった。

この本の初版は2017年。2019年の今年3刷りが出版されている。徐々に、少しずつでも、多文化共生の時代がきっと来ると、(この本を読んでさらに)希望を持って見ていたいと思う。

 

梨木香歩と師岡カリーマ・エルサムニーの往復書簡「私たちの星で」/岩波書店

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュンパ・ラヒリ著「わたしのいるところ」は、静謐で美しい佇まいの本だ。

2019-11-27 15:17:00 | 本と雑誌

両親はカルカッタ出身のベンガル人、ロンドン生まれで2歳で渡米。大学院修了後99年にO・ヘンリー賞、「停電の夜に」でピュリッツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。08年に「見知らぬ場所」でフランク・オコナー国際短篇賞受賞。13年にイタリアに移住し、15年にはイタリア語によるエッセイを発表。。。

著者ジュンパ・ラヒリの経歴を見ると、国際化とはこのことか!と驚嘆する。日本語の語彙すら怪しくなりつつあり、学校で学んだ英語、ちょっと囓った中国語などは断片的にしか話せない身としては、置かれた環境の違いに(同時にその知性・感性に)ため息をつくばかり。。。

 

「わたしのいるところ」は、長編といっても何編もの短いストーリーで構成されている。

「歩道で」、「道で」、「美術館で」、「日だまりで」・・・「バールで」、「田舎で」、「ベッドで」・・・どれも2〜3ページの長さで、“生まれ育ったローマと思しき町に暮らす「わたし」の日々の光景が淡々と描かれている。

40代後半の女性、独身、大学教授という設定はあるものの、土地や人の名前はなく、ただ「医院の待合室で顔を合わせた老婦人」とか「かつて同棲していた恋人」とか「学会で泊まったホテルで隣室になった亡命学者」といったように設定されてはいるものの名前は記されず、曖昧な存在のまま。毎日見慣れているはずの光景や何人もの人々、同じような時間が、自分とは関わることなく通り過ぎて行くような、どこにも確たる所属する場がない不確かな気分と、同時に、そんな孤独感からこそ生まれるだろう境地を窺わせる安堵感(?)も漂っている。

特別な出来事も劇的なシーンも難しい言葉もなく、ただそこにある情景を淡々と描写しているだけ。。。簡単な言葉で平易に書かれている日常が、まるで感情も含めて、自分自身が体験していることのように思えてくる。 

 

属する確固たる集団を持たず、国や言語といった自分で選択できないものの外にある世界に自分の立つ場所を持つことの開放感や自由さと不安、といったものがうっすらとベールの向こうに見えるような気がしてくる。

最近日本でも「孤独であること」を見つめ直す意識が出て来ているが、 「その孤独が、いつか背中を押してくれる。」という帯にかかる言葉通り、その孤独ときちんと向き合えるかどうかが、これからの時代の課題なのだろう。

その昔、単行本や雑誌などを仕事としていた頃に「写真や絵のように、文章で情景を切り取りたい」と思っていたけど、この本はまさに思い描いていたような内容。「“やる”じゃなくて”なる“」の心境に到った本。じんわりと静謐で美しい佇まいの本なのであった。

「わたしのいるところ」ジュンパ・ラヒリ著/中嶋浩郎訳 新潮クレスト・ブックス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする