izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

「椿宿の辺りに」は、人の身体と大地の繋がりの物語。面白かった!

2019-08-08 11:26:24 | 本と雑誌

この本を読もうと思ったきっかけは、東京新聞に掲載された師岡カリーナの書評。

師岡カリーナは、最近気になる文章家だ。これまでの日本人の作家・コラムニスト・書評家の視点とは異なる価値観を通して、日本の社会や文化を冷徹に考察していて面白い(しかも文章は軽やかで柔らかくユーモアに満ちている)。

 

「竹取物語」に触れた文章では、3人の皇子達の滑稽さや愚かさ、かぐや姫の(ちょっとイジワルで)不遜な面にユーモラスな“突っ込み”を入れていて、「竹取物語って、そんなに面白かったっけ?!」。思わずオススメの江國香織・文/立原位貫・画による新潮社版を買ってしまいました。

あらためて竹取物語を手に取ると、物語の気宇壮大なスケールと、美しい文体と端正な版画を通して、伸びやかで自在な時代に想いが飛ぶ(よく考えてみると、かぐや姫は、何故、何のために、天上の世界からやって来たのだろう。。。子供の頃は不思議とも思わず、そのまんま受け入れていたのに??)。

 

で、その師岡カリーナがオススメの「椿宿の辺りに」は、物語を読むワクワクドキドキが一杯の本であった。

帯に“家の治水と私の三十肩と鬱・・・”とあるが、主人公は山幸彦(古事記に登場する人物。誰でも子供の頃に、山彦・海彦のお話しを聞いたり読んだりしたことがあるよね)。他に、同じく原因不明の痛みに悩む従姉妹が海幸比子(海彦ね)と、亀シという不思議な能力を持った整体師の女性。後から宙幸彦も登場する。

身体の不調が、実は、ほとんど忘れている先祖伝来の実家である椿宿の屋敷の過去に繋がり、そこに行くと、ウソのように身体の不調が消え、その代わりに、先祖代々からの因縁が表出し。。。。

陰惨な事件や噴火や治水事業で崩れた大地のバランスが、時と場所を越えて子孫の身体に異変をもたらしたのか。。。謎解きはどんどん深まっていく。

お稲荷さんや、黒大黒、思わぬ血縁等々、日本の土着的な縁や風習などと近代の合理主義的な町作りなどが軋むように絡まり合い、子孫の身体に信号を送ってきたといった設定である。 

 

奇想天外なストーリ−展開と登場人物たちの時にユニークで皮肉たっぷり、クスッと笑いたくなる会話や、椿宿までの風景や道筋で起きる出来事、かつてあった道や水路や、さらに遡ってその家が抱えてきた惨劇やらが、まるで自分がそこにいるように臨場感のある文体で進み、グイグイと引きずり込まれて、時間を忘れるほど読書に熱中した暑い暑い8月であります。

 

「椿宿の辺りに」梨木香歩著・朝日新聞出版

 

 

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この数ヶ月で感銘を受けた本3冊

2019-06-14 13:46:07 | 本と雑誌

高校時代から大学時代にかけては、毎日毎日、ヒマに任せて読書三昧。。

日本文学全集は中学時代に読み切り(ほとんど理解してなかったと思う)、高校時代は毎日1冊は読破。夜、ベッドに入ってからもスタンドの灯りで読書読書。。。そのせいで(?)、大学に入学して最初の視力検査では「はい、一歩前に出て」。一番上の大きな文字が見えなかったのでありました(!?)。

懲りずに、大学時代は演劇サークルやジャズ研で遊びながら、やっぱり読書読書。。

 

好きな作家の本は集中して読み漁るタチだが、一方で、知らないジャンルの本も多々あり、最近は雑誌は新聞の書評欄を読んで興味を引かれた本をAmazonで買うことが多い。のであるが、「銀座6」で本がズラーッと並ぶ「蔦屋書店」を見るとやっぱりワクワクする!装丁が美しくて思わず手に取る本もあれば、興味のあるジャンルで面白そうな本を見つけることもある。手に取ってパラパラとページをめくって「これ買って行こう!」と思っても、何冊もはムリ。本は重いのだ。

で、この半年くらいの間で読んだ本のなかで面白かったが以下の本3冊。

「渦〜妹背山婦女庭訓 魂結び」大島真寿美著/文藝春秋

江戸時代の大阪・道頓堀を舞台に、浄瑠璃作家・近松半二の生涯を描いた本である。

小さいころから浄瑠璃小屋に入り浸り。成長して大人になってからもただひたすら浄瑠璃のことしか考えられず周囲からは「阿呆ぼん」と呼ばれ、母親には疎まれていた近松半二。歌舞伎に押されて人気が陰ってきた浄瑠璃を「妹背山婦女庭訓」という比類なき名作によって再び活気を取り戻す。半二が仲間の力を得てああでもないこうでもないと新作を産み出すその場の様子は、生と死、虚と実を捲き込んで激しくうねる”浄瑠璃”という渦の中にみずから身を投じて、そこから何かを掴み出そうとする狂気と紙一重の情熱。まるで眼の前でこの作品が生まれるその場に立ち会っているかのような高揚を感じる。これを読むと人形浄瑠璃(今は文楽と言われることが多いようだ)を観たくなる!

2018年1月号から11月号まで「オール讀物」に掲載され、2019年3月10日発行の新刊ホヤホヤ。

追伸:6月17日の新聞によると、「渦」は今年の直木賞候補になったとのこと。ホントに面白いから!

 

・「若冲」澤田瞳子著/文春文庫

これは以前にも書いたが、1月の投薬入院中に、病院の図書室で見つけて読み耽った文庫本。伊藤若冲の生涯を虚実ない交ぜにしながら、若冲のあの絵がどうして生まれたのか!?に迫る物語である。もう一度じっくり読みたくて、退院後、買ったのであった。

同時代の画家達ー池大雅、与謝野蕪村、円山応挙らとの交流や当時の時代から、他とはまるで異なる若冲が描いた作品が生まれた背景に、”愛”を据えて、史実にはない「妻がいたこと。その妻が、家業を顧みずに絵を描くことに没頭する若冲に絶望して(?)自死したこと」によって自分を責めつつ、若冲を姉の仇と憎み若冲の贋作を描き続ける義弟との確執。。。。

こちらも、文字と画という違いはあっても、何かに取り憑かれたように自分の中のものを表現しようと葛藤する人間の激しい心を描いている。「史実としての発見はなくとも、若冲にはまちがいなく愛した女がいた」という上田秀人氏の解説も力強く暖かい。

2016年にこの作品で第5回歴史時代作家クラブ賞作品賞と第9回親鸞賞を受賞。「この時代小説がすごい!」単行本部門1位、直木賞候補にもなっている。読んでいてワクワクドキドキ!の本だ。

 

それにしても「渦〜」といい「若冲」といい、後生に残る素晴らしい作品は、作者の膨大なエネルギーと一念とそれを抱えて潰れない強さから生まれてくるのだなぁ〜。それがどうやって生まれてきたかを描く作家の情熱も素晴らしく大きいものだなぁ〜。。と感服するばかり。読み始めると途中で止まらない!

 

・「1日3時間だけ働いて おだやかに暮らす ための思考法」山口揚平著/プレジデント社

がらっと変わってこちらはノウハウ・ハウツー本になるのか・・・と思いながら、何となく手に取って目次を見たら、テーマは”思考法”!

本文から気になる箇所を引くとーー

・物事を理解するとはその輪郭を明らかにすること
・本質を見抜く

・自分の武器が微細であるほど、様々な選択肢への応用力が増す。

・「何でも出来る」「何でもやってみよう」と言う姿勢が大事である

・天才性の拠り所は、4象限に分けられる・・・算数・・理科・・国語・・社会

 

算数、理科、国語、社会については、まだ小学生だった姪に、それら基本の4教科は何のために勉強するか?を語ったことがあったので、まさにそうそう!それそれ!! 

一番共感したのが、あとがきにある以下の部分だ。

「・・・幸せとは物量のことではなく一体性のことである。人と心がつながったとき、もしくは期待と実態が一致しているとき、人は幸福を感じられる。安くて狭い4畳半だったが、私の期待はそれ以下だったということだ」

著者の山口氏は、2020年以降の社会を見据えながら、人としての幸福はどこにあるか?を考えることを勧めている。思考を中心に据えて社会活動を見れば、これから先の時代が見えてくる。幸せとは何か?も含めてこれまでの価値観が変わる予感もある。

2019年3月1日発行。

 

 

 

 

 

 

 

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「ヌヌ〜完璧なベビーシッター」・・・深い孤独と哀しみに満ちたサスペンス

2018-07-30 10:30:26 | 本と雑誌

2016年にゴンクール賞を受賞した、モロッコ生まれのフランス人作家レイラ・スリマニの「ヌヌ 完璧なベビーシッター」(松本百合子訳・集英社文庫)。

 

パリ10区のこじんまりしたアパルトマンに住むマッセ家で、幼い長女とミラと、赤ん坊の長男アダムが、ヌヌ(ベビーシッターのこと)であるルイーズに惨殺された。。

その事件から遡って、マッセ家がヌヌを雇い入れるまでの夫婦の葛藤、ルイーズがこの家のヌヌになるまでとなってからの状況が無駄のない文章で淡々と(調書のように)描かれている。

ルイーズは子守りだけでなく、料理も掃除も手を抜かずにこなし、ワンルームのアパルトマンはブルジョア家庭のように変わった。一方で、気難しく抜け目のないミラの我慢できないワガママや、手のかかる赤ん坊のアダム、口では感謝を言いながらもどこかヌヌに対して壁を作っているマッセ夫妻。。。文章を読みながら、その時その時の情景を想像しながら、この悲劇の伏線が普段の日常に潜んでいることを察していく。

 

何故ルイーズは子ども達を殺したのか。。。。?

「人は同時に、虐待者にも犠牲者にもなれるという事実を暴き出している」という仏 ロブス誌の書評が帯に紹介されているが、普通に暮らしている日々がこんなにも脆くあやふやなことは、どこの国でもあること。

時にはマッセ家の立場になったり、時にはルイーズの目で感じたり、角度を変えて読むと受け取り方も違う。

最後まで目を離せない物語でありました。

 

 

 

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「おいぼれハムレット」(橋本 治・口演 酒井捏造・速記)で大笑い!

2018-07-02 11:54:06 | 本と雑誌

桃尻語訳による枕草子を始め、絵本徒然草、窯変源氏物語、桃尻誤訳百人一首等々、数多の現代語訳による古典を発表してきた橋本治センセイによる、「落語世界文学全集」の第1回目「おいぼれハムレット」。

これが面白いのなんの!!

 

帯に「西洋のお大名家のお話しも色々とございます内で、『長ろうべきか死すべきか』で評判を取りました後日譚」とある通り、歳を取っていぼれた「ハムレット」である。原作では、最後には全員が死んでしまうが、ここでは誰も死なず、元気に年寄りをやってる。

ここでは、オフィーリアも死なずに歳を取って(耳が遠いフリ、呆けてるフリをする)尼になっていて、時々ハムレットの前に現れてはジャマするかき回す。。。。

北風吹きすさぶ城壁の天辺のシーンから始まるのだが、ハムレットもすでに80歳過ぎ。付き従ホレイショーも同様に歳を取り、半分呆けている。。。 

 

“落語”版であるから、語り口はほとんど落語か講談か、ハムレットは『ご隠居』。

三代揃って長男の名前は“ハムレット”で、弟は“クローディアス”、奥方は“ガートルード”。なので、誰が誰だか分からなくなってる(読む方も混乱してくる)。。。ハチャメチャです。

スラブからの難民が城内に押しかけてくるのを、「通すだけなのよね?通って、ノルウェーに行っちゃうんだわよね?」と妃のガートルード。「だったらさっさと門開けなさい!ささと明けて、追っ払っちゃいなさい!・・」。。。。あれれ。。?これはあれ??

 

最後は、墓から掘り出されたシェークスピアの髑髏を手に「これに酒を接ぎますと、“お前ェ、ふざけるのも大概にしとけよ”と申しますそうで」とオチが付いて、めでたく『お後がよろしいようで』で終わり。

 

巻末に、「ページが余っちまったンで、楽屋噺でもなんでも」と席亭に言われたと、あとがき代わりの談があるが、これもまた財務省事務次官のセクハラの“言葉遊び”があったり(最後の文章は「あたしももう年なんでね、落語世界文学全集なんて言ったって、いつまで続くか分かりゃしませんよ。死んだらおしまい。予定は未定ってことでね。じゃ、あたしは帰りますよ。お疲れさん。キスしていい?ハハハハハ。最近のお気に入りだよ」)、抱腹絶倒の可笑しさ。

橋本治センセイの“知”は古今東西剛柔自由自在。大笑いのうちにたっぷりアタマが刺激されました。

   

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「羊と鋼の森」には、”静かに澄んで懐かしい”世界が広がっていた

2016-09-06 14:37:40 | 本と雑誌

時間がふと空いた時は、映画を観に行くか、美術展に行くか、あるいは散歩がてらのショッピングに行くか、するが、時々無償に本が読みたくなる。

 

好きな作家は、須賀敦子、茨木のり子、ガルシア・マルケス、村上春樹、萩原浩、藤原新也・・・その他、いろいろ雑多。

お片付け大得意であるが、好きな作家の本は処分できずに置いてある。その時だけ夢中!の本もあれば、何年でも懐かしく大切に思う本もある。

ぶらぶらと書店を歩きながら、表紙やタイトルが気になる本を探す。芥川賞・直木賞はあまり興味ないが,『本屋大賞』を取った作品は気になる。

「羊と鋼の森」も、表紙の写真とタイトルの不思議さに引かれ、さらに「本屋大賞」三冠受賞!という帯で即!買い。

 

本文中に何度か、「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えているような文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」という引用が出てくるが(原民喜という作家の言葉だそう)、まさにその言葉通りの文章だ。

その”文体”を”音”に置き換えて、そんな音を目指す若い調律師(北海道の森で育し、木や鳥の名前を良く知っている)と、ピアニストを目指す若い女性(双子の美少女)のお話である。

 

“羊”は、ピアノの弦を叩くハンマーのこと(ハンマーは羊の毛で作られるフェルト),“鋼”はピアノの弦。ピアノの蓋を開けるとそこには、羊(ハンマー)と鋼(弦)の森があって、弾き手と調律師との感性が一致するとそこには一つの曲をきっかけに、さらに大きく素晴らしい世界が広がっていく。

読み進むにつれて気持ちが静かになって、文章に描かれたふとした光景ー放課後のがらんとした教室や、調律に向かった家の様子、本番前のコンサートホールのしんとした客席や暗がり、純朴な青年のぎこちなさ(彼は双子の美少女が見分けられない。違う服装をしているのに、そこに関心が向かないから。でも、二人が引くピアノの音で性格を見分けることができる)などが、目の前にあるように見え、その場の温度や風や光を感じる。

自分の想像力がどんどん解放されていく感覚だ。

 

子供の頃、家にはピアノがあって時々は調律師が来ていたのだったが、この本を読むまでは、その仕事がこれほど深く洞察に満ちたものであるとは、考えたこともなかった(!)

 

音を通して世界と調和している、言葉が見つからなければ音で表現すればいい。。誰にも、音でなくても言葉でなくても、自分が表現でき没頭する何かがあれば、世界は平和で心満ち足りているのだ。きっとね。

ともあれ、深く静かな余韻を残す本でありました。

 

「羊と鋼の森」宮下奈都 文藝春秋社刊

 

 

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