ヒューマントラストシネマ有楽町で、上映中の田中 泯「名付けようのない踊り」を観た。
東京都の感染者数が10000人を突破している毎日(^_^;)。混雑している東京方面には出かけたくない。。でも、映画は観たい!!コロナ下で見逃した映画はたくさんある。田中 泯「名付けようのない踊り」は評判になっていることもあり、この手の映画(派手な宣伝なし。記録。地味で真面目。上映期間が短い。回数が少ない)はすぐに上映終了になってしまうことが多いので、(ワタシの場合)観る機会が少ない。当日の朝まで迷ったけれど、やっぱり行こう!家から有楽町まではJRに乗って一本。乗り換えもなし。あちこちウロウロしなけりゃ大丈夫!(なんせ東京在住の友だちの多くは”3回目のワクチン接種終了”したというのに、横浜はまだ!3回目のワクチン接種を待っていたら何もできないよぉ〜)。
「名付けようのない踊り」は、世界的なダンサーとして活躍する田中 泯の踊りと、この"踊り"に至るまでの生き様を追った映画。
普段は山梨の村で畑を耕している彼は、踊りと演技、踊りと身体について語っている「まっさらにしてその場を感じて踊る。自分を出すとか何かを表現するとかを越えて、その時その場の中で踊る。。踊りも演技も同じところにある。踊るために身体を作るのではなくて、野良作業によって自分の身体をつくり、それで踊る。これぞ魂の中から湧き出る肉体表現だ。」これって凄い〜!!ダンサーは踊るために日々身体を整えている。でも、彼の場合は、まず自分自身の身体があって、踊る”場所”に立ったときに内から表出すう動きが”踊り”となっているのだと。”自分を出すとか何かを表現するとかを越えて、その時その場の中で踊る”という言葉にも眼からウロコが落ちる思い(?!)。
彼は、自分の子供時代のことを「わたしのこども」と表現する。その「わたしのこども」時代の記憶や感覚は、アニメーションで描かれているのだが、その線と動きが素晴らしく繊細で情感に満ちている。風のそよぎや草の匂い、雲の不穏な動きや、日に照らされた山の小道の暑さや乾いた土の感触・・・・アニメーションからはそんな記憶の中にある感覚が、呼び覚まされてくる。
映画は田中 泯自身の語りと、これまで世界各地で踊ってきた記録を見せながら、踊りとアニメーションが生む映像の奥行きの深さに、”美しい”ってなんだろう?とあらためて自問する。
終わりまで眼をそらすことができない。時々引き込まれるように眠気がさしてくるが、それもまた彼の踊りが及ぼす慈愛、癒やし、解放感・・・あるがままでいい、受け入れていい、と思える状態なのだった。
映画館内はガラガラ状態で安心安心。4つか5つ空けた座席に座った高齢の男性が、映画が始まるとほとんど同時に、「ク〜、ク〜」っと寝息を立て始めた(?!)。その向こうに座った男性は、座席を移動した。
大きなイビキなワケではないけれど、やっぱり静かな上映中の館内では気に障る。それでも結構集中して鑑賞。終わったら同じビル内の「點」でランチして、サクサクと横浜に帰りました。