大学時代からの友人の一周忌を偲ぼうと、数人で杉並まで。
気持ちよく晴れた空、新緑が風に揺れて、くすのきの薫りがふわりと漂う5月。
去年の告別式も、こんな晴れて気持ちのいい日だった。
あの日、女性の友人代表として弔辞を読んだのんだったが(その場で言われて、その場で書いて)、本当に、彼は”こんなに気持ちのいい季節に逝ってしまった”のであった。
今も、考えると涙が出てくる。。。。。
無宗教であったし、「お墓の抽選に外れた」(奥さん談)ということで、まだお骨が部屋の中に。
お墓参り、ならぬ、お骨参りだ。
リビングは花でいっぱい。お線香代わりに普通の(?)お香立てが。
花とお香の薫りがいい匂い~。。
お香立てにお香は1本しか立てられない。。。
う~ん、イマイチ拝むにも格好がつかない。。
偲ぶ会、とはいいながらも、まずはビール。
「こんな時はなんて言うの?」
「なんて言うんだろう」
仕方ないから「乾杯!」。
そこへ後からやってきた友人が加わって、もう一回グラスをあげて、今度はその友人が「献杯!」。
そっか~、そういえば「献杯」って言うんだね~。
みんないい年して、何も知らないのであった。
その日集まった友人のうち、一人は通信社の部長、一人は原発のプラントなどを手がける超大手建設会社設計士、ということで、話題はやっぱり原発問題。
あれやこれや話すうちに、男と女とでは、TVニュースの見方もこうも違うのか!と発見。
連日の記者会見で登場する、すっかりおなじみになった面々ー
「枝野長官とか東電の松本さんとか見てると、『やっと床屋さんに行けるようになったんだね~』と安心するし、N審議官のアタマは絶対にズラだな~」と言うと、
「そうやって見てるんだ~!!??」と、通信社はびっくり(原発の取材が長いとかで、よく事情を知ってる!)。
「だって、ひと月くらい前の女性週刊誌には、テレビに出てくる報道官、コメンテイター、ニュースキャスター、東電の広報者などなどを、学歴やらキャリアやら写真やらに「打たれ弱いエリートの典型」だの、「ハーバード大学院出身アタマはカツラ」とか、キャッチを入れてずらり並べてページ組んでたよ」。
「え~っ!?」なのであった。
男は、キャリアと肩書きに拘る。プロセスと蘊蓄にも拘る。
女は見た目の直感。実感。結論だ。
「それで、どうなの?」である。(一般論としてね。例外もあるよ、もちろん)
どんなに偉そうな理論を並べても、「それで、どうなの?」
ひと昔前は、”男は中身で勝負”なんて時代もあったが、今は見た目。
ビジュアルが大事な時代なのだ。
映像を見ているだけで、「この人、本当は”悪かった”なんて思ってないな」とかよ~っく分かるもの。
目が浮ついてたり、目線を合わせようとしないとか、言葉ではなんと言ってても、態度に出てる。
そういう点では、天皇家は本当にすごい。
しっかりと相手を見て、話を聞いて、丸ごと受け入れている。
存在自体が”癒し”そのものだ。
で、まあ、偲ぶ会は、ちっとも偲ぶ話にならなくて、もっぱら原発関係。
気持ちのいい5月の午後に、ビールと、東北の日本酒と、極上の赤ワインで、楽しく美味しく過ごしたのであった。
気持ちよく晴れた空、新緑が風に揺れて、くすのきの薫りがふわりと漂う5月。
去年の告別式も、こんな晴れて気持ちのいい日だった。
あの日、女性の友人代表として弔辞を読んだのんだったが(その場で言われて、その場で書いて)、本当に、彼は”こんなに気持ちのいい季節に逝ってしまった”のであった。
今も、考えると涙が出てくる。。。。。
無宗教であったし、「お墓の抽選に外れた」(奥さん談)ということで、まだお骨が部屋の中に。
お墓参り、ならぬ、お骨参りだ。
リビングは花でいっぱい。お線香代わりに普通の(?)お香立てが。
花とお香の薫りがいい匂い~。。
お香立てにお香は1本しか立てられない。。。
う~ん、イマイチ拝むにも格好がつかない。。
偲ぶ会、とはいいながらも、まずはビール。
「こんな時はなんて言うの?」
「なんて言うんだろう」
仕方ないから「乾杯!」。
そこへ後からやってきた友人が加わって、もう一回グラスをあげて、今度はその友人が「献杯!」。
そっか~、そういえば「献杯」って言うんだね~。
みんないい年して、何も知らないのであった。
その日集まった友人のうち、一人は通信社の部長、一人は原発のプラントなどを手がける超大手建設会社設計士、ということで、話題はやっぱり原発問題。
あれやこれや話すうちに、男と女とでは、TVニュースの見方もこうも違うのか!と発見。
連日の記者会見で登場する、すっかりおなじみになった面々ー
「枝野長官とか東電の松本さんとか見てると、『やっと床屋さんに行けるようになったんだね~』と安心するし、N審議官のアタマは絶対にズラだな~」と言うと、
「そうやって見てるんだ~!!??」と、通信社はびっくり(原発の取材が長いとかで、よく事情を知ってる!)。
「だって、ひと月くらい前の女性週刊誌には、テレビに出てくる報道官、コメンテイター、ニュースキャスター、東電の広報者などなどを、学歴やらキャリアやら写真やらに「打たれ弱いエリートの典型」だの、「ハーバード大学院出身アタマはカツラ」とか、キャッチを入れてずらり並べてページ組んでたよ」。
「え~っ!?」なのであった。
男は、キャリアと肩書きに拘る。プロセスと蘊蓄にも拘る。
女は見た目の直感。実感。結論だ。
「それで、どうなの?」である。(一般論としてね。例外もあるよ、もちろん)
どんなに偉そうな理論を並べても、「それで、どうなの?」
ひと昔前は、”男は中身で勝負”なんて時代もあったが、今は見た目。
ビジュアルが大事な時代なのだ。
映像を見ているだけで、「この人、本当は”悪かった”なんて思ってないな」とかよ~っく分かるもの。
目が浮ついてたり、目線を合わせようとしないとか、言葉ではなんと言ってても、態度に出てる。
そういう点では、天皇家は本当にすごい。
しっかりと相手を見て、話を聞いて、丸ごと受け入れている。
存在自体が”癒し”そのものだ。
で、まあ、偲ぶ会は、ちっとも偲ぶ話にならなくて、もっぱら原発関係。
気持ちのいい5月の午後に、ビールと、東北の日本酒と、極上の赤ワインで、楽しく美味しく過ごしたのであった。