2016年5月16日
文化大革命から50周年を迎えた支那。
支那国内では文化大革命中に行われた非道行為や、その実態或いは責任の所在などを明らかにすることはタブーとされています。
習近平体制になり、ますます統制されています。
そういう昨今のなか、外国メディアによる掘り起こしが盛んになって来ています。
2016年5月13日、AFP通信が広西チワン族自治区で起きた事件を報じています。
通称『人肉宴席』
現地取材をして書いています。
文化大革命の研究者の間ではよく知られた事件ではあります。
記者は当局の公式調査団員に接触をし、未公開の報告書草案を確認しています。
この草案にはショッキングな内容が書かれていました。
「首切りや殴打、生き埋め、水責め、釜茹で、集団虐殺、内臓抜き出し、心臓や肝臓、性器切り取り、肉の削ぎ落とし、ダイナマイト爆破、あらゆる方法が使われた」
長編ノンフィクション『紅色記念碑』という作品があります。
この広西チワン族自治区の事件を含む広西南部で多発した文化大革命中の食人事件を最初に世に知らしめた作品です。
在米支那人作家鄭義の本です。
鄭義が1986年から現地取材を行い、天安門事件の指導者の一人として指名手配を受けて逃亡中の三年間で書き上げ、知人を介して原稿を海外に持ち出し、ようやく日の目を見た!ていう奇跡的な本です。
鄭義がこの事実を暴く80年代初頭には、当局は既に公式調査団を派遣し調査を行っていたそうです。
鄭義は公式の資料にもアクセスし、極めて緻密な取材を行い、実際に食人した元民兵や犠牲者の遺族へのインタビューも行っています。
当然、鄭義は地元政府や党の妨害も受けましたが、地元にはこの食人事件に怒りを覚えて取材協力する元役人や知識人もいました。
少なくとも天安門事件前には、こうした文化大革命の残忍性を告発しようという体制内部に知識人は多数いたようです。
しかしその後『人肉宴席』や他の食人事件の調査結果は封印され、鄭義の本も発禁となります。
文化大革命中、広西チワン自治区ではおよそ
15万人が虐殺されたと推計される
南部では激しい武装闘争や批判闘争(いわゆる吊るし上げ)により
交通が阻害されるほど路上に死体の山が出来たのです。
極限状態の飢えでもなく、身内が殺された復讐心でもなく、祭祀的宗教的風習でもなく、ただ政治的扇動による隣人への嫉妬からの殺戮と食人行為
美女の心臓を食べると病気が治る!と、いう迷信から、美人女子学生を狙って殺したケースも多数あったようです。
特に激しかったのは武宣県でした。
糾弾大会が行われる度に、人肉目当てのババアが籠を持って現れ、人が殺されるのを今か今かと待ちわびて、殺害が行われるや否や死体に群がり人肉を切り取った
武宣県革命委員会女性副主任王文劉という女はもっぱら『男性器』を好んで食べたという報告書が1985年に下部組織から党中央工作組に挙げられています。
当局が調査したが、彼女は党除籍処分を受けて一般労働者に格下げされただけで大した処分は受けていません。
武宣県の文化大革命は北京より一年遅く、1968年から激化、主流派と非主流派の武闘が5月4日から12日まで繰り広げられました。
非主流派の総指揮者・周偉安は逮捕され惨殺。首と足を切り取られ木の上に掲げられた。周偉安の妻は妊娠中であったが、掲げられた夫の死体の下で辱められた。周偉安の二番目の兄も惨殺。
この事件の直前に逃げ出した非主流派の学生二人は群衆に捕まり
縛られて学校の門衛に生きたまま腹を裂かれ、心臓と肝臓を素手で掴み出され豚肉と一緒に料理されて皆に振る舞われた。
鄭義は周偉安の兄に会いインタビューをしています。
文化大革命後に彼ら遺族に補償金が支払われていますが、一人当たり220元というわずかな金額でした。
遺族は自分の家族を食った人々に囲まれながら暮らし続け、仕事もままならず貧しいまま顔を上げて往来を歩くことも出来ないといいます。
先の武闘後も、武宣県ではあちらこちらで食人事件が頻発していました。
批判闘争が起きる度にリンチが起き、人が死ぬ。
人が死ねば食人の宴が繰り広げられていました。
6月18日
武宣中学校庭や人民公社など3カ所でリンチが起き、当たり前に食人が行われました。
人民公社街頭引き回しデモでは小学校教師ら7人が吊るし上げられ、うち6人がリンチで殺され細切れにされて群衆に食われた
この人民公社販売部では一尺八寸の鍋で人肉を調理して十数人に振る舞われました。
こうした話は県の党委員会の資料にも残り、多数の目撃者、実際に殺戮や食人に関わった人物も生存しています。
なんと80年代にはまだ、それらの行為は階級の敵を倒した証だ!と、人肉食を犯罪だと認識しない人もいた
こうした食人事件は日時、場所、犠牲者、加害者の名前から、いかにして殺戮し食べたかまで細かい記録が党の資料と実名の 当事者の証言で裏付けられています。
鄭義の本は、アイリス・チャンの誤謬だらけの本とも、本多勝一の嘘の都市伝説本とも全く違う。
文化大革命資料を掘り起こし、関係者の証言で裏付けた取材で、記録です。
文化大革命時代、食人が行われたのは広西だけではありません。
それこそ支那各地で起きていました。
文化レベルの低い山岳少数民族地域だから起きたとかいう特殊な話しでもありません。
漢族の間で起きた事件!
人肉に薬効があると信じられる地域もあったり、過去の戦乱中に共食いするケースもあり、元々食人に対する倫理的なハードルが低い民族的、文化的背景があるのでしょう。
群衆が政治的狂乱の中で人を次々に殺し食う、こんなホラー映画かゾンビ映画の様な光景が僅か50年前に支那各地で行われていた
支那共産党もその事実に驚愕し、公式に調査したけれど、あまりの凄惨さに封印。
加害者は大した罪にも問われず、なかば野放し状態で食人した者の中には幹部に出世した者もいるという話し。
こんな背景を持つ民族と、我々日本人は対峙せねばなりません。
例えば、沖縄で基地反対を主張し無法を繰り返す反日の連中は、この僅か半世紀前に起きた事件を繰り返すつもりなのか?
文化大革命から50周年を迎えた支那。
支那国内では文化大革命中に行われた非道行為や、その実態或いは責任の所在などを明らかにすることはタブーとされています。
習近平体制になり、ますます統制されています。
そういう昨今のなか、外国メディアによる掘り起こしが盛んになって来ています。
広西チワン
2016年5月13日、AFP通信が広西チワン族自治区で起きた事件を報じています。
通称『人肉宴席』
現地取材をして書いています。
文化大革命の研究者の間ではよく知られた事件ではあります。
記者は当局の公式調査団員に接触をし、未公開の報告書草案を確認しています。
この草案にはショッキングな内容が書かれていました。
「首切りや殴打、生き埋め、水責め、釜茹で、集団虐殺、内臓抜き出し、心臓や肝臓、性器切り取り、肉の削ぎ落とし、ダイナマイト爆破、あらゆる方法が使われた」
長編ノンフィクション『紅色記念碑』という作品があります。
この広西チワン族自治区の事件を含む広西南部で多発した文化大革命中の食人事件を最初に世に知らしめた作品です。
在米支那人作家鄭義の本です。
鄭義が1986年から現地取材を行い、天安門事件の指導者の一人として指名手配を受けて逃亡中の三年間で書き上げ、知人を介して原稿を海外に持ち出し、ようやく日の目を見た!ていう奇跡的な本です。
鄭義がこの事実を暴く80年代初頭には、当局は既に公式調査団を派遣し調査を行っていたそうです。
鄭義は公式の資料にもアクセスし、極めて緻密な取材を行い、実際に食人した元民兵や犠牲者の遺族へのインタビューも行っています。
当然、鄭義は地元政府や党の妨害も受けましたが、地元にはこの食人事件に怒りを覚えて取材協力する元役人や知識人もいました。
少なくとも天安門事件前には、こうした文化大革命の残忍性を告発しようという体制内部に知識人は多数いたようです。
しかしその後『人肉宴席』や他の食人事件の調査結果は封印され、鄭義の本も発禁となります。
性器も心臓も
文化大革命中、広西チワン自治区ではおよそ
15万人が虐殺されたと推計される
南部では激しい武装闘争や批判闘争(いわゆる吊るし上げ)により
交通が阻害されるほど路上に死体の山が出来たのです。
極限状態の飢えでもなく、身内が殺された復讐心でもなく、祭祀的宗教的風習でもなく、ただ政治的扇動による隣人への嫉妬からの殺戮と食人行為
美女の心臓を食べると病気が治る!と、いう迷信から、美人女子学生を狙って殺したケースも多数あったようです。
特に激しかったのは武宣県でした。
糾弾大会が行われる度に、人肉目当てのババアが籠を持って現れ、人が殺されるのを今か今かと待ちわびて、殺害が行われるや否や死体に群がり人肉を切り取った
武宣県革命委員会女性副主任王文劉という女はもっぱら『男性器』を好んで食べたという報告書が1985年に下部組織から党中央工作組に挙げられています。
当局が調査したが、彼女は党除籍処分を受けて一般労働者に格下げされただけで大した処分は受けていません。
武宣県の文化大革命は北京より一年遅く、1968年から激化、主流派と非主流派の武闘が5月4日から12日まで繰り広げられました。
非主流派の総指揮者・周偉安は逮捕され惨殺。首と足を切り取られ木の上に掲げられた。周偉安の妻は妊娠中であったが、掲げられた夫の死体の下で辱められた。周偉安の二番目の兄も惨殺。
この事件の直前に逃げ出した非主流派の学生二人は群衆に捕まり
縛られて学校の門衛に生きたまま腹を裂かれ、心臓と肝臓を素手で掴み出され豚肉と一緒に料理されて皆に振る舞われた。
鄭義は周偉安の兄に会いインタビューをしています。
文化大革命後に彼ら遺族に補償金が支払われていますが、一人当たり220元というわずかな金額でした。
遺族は自分の家族を食った人々に囲まれながら暮らし続け、仕事もままならず貧しいまま顔を上げて往来を歩くことも出来ないといいます。
人肉は当たり前
先の武闘後も、武宣県ではあちらこちらで食人事件が頻発していました。
批判闘争が起きる度にリンチが起き、人が死ぬ。
人が死ねば食人の宴が繰り広げられていました。
6月18日
武宣中学校庭や人民公社など3カ所でリンチが起き、当たり前に食人が行われました。
人民公社街頭引き回しデモでは小学校教師ら7人が吊るし上げられ、うち6人がリンチで殺され細切れにされて群衆に食われた
この人民公社販売部では一尺八寸の鍋で人肉を調理して十数人に振る舞われました。
こうした話は県の党委員会の資料にも残り、多数の目撃者、実際に殺戮や食人に関わった人物も生存しています。
なんと80年代にはまだ、それらの行為は階級の敵を倒した証だ!と、人肉食を犯罪だと認識しない人もいた
こうした食人事件は日時、場所、犠牲者、加害者の名前から、いかにして殺戮し食べたかまで細かい記録が党の資料と実名の 当事者の証言で裏付けられています。
鄭義の本は、アイリス・チャンの誤謬だらけの本とも、本多勝一の嘘の都市伝説本とも全く違う。
文化大革命資料を掘り起こし、関係者の証言で裏付けた取材で、記録です。
文化大革命時代、食人が行われたのは広西だけではありません。
それこそ支那各地で起きていました。
文化レベルの低い山岳少数民族地域だから起きたとかいう特殊な話しでもありません。
漢族の間で起きた事件!
人肉に薬効があると信じられる地域もあったり、過去の戦乱中に共食いするケースもあり、元々食人に対する倫理的なハードルが低い民族的、文化的背景があるのでしょう。
群衆が政治的狂乱の中で人を次々に殺し食う、こんなホラー映画かゾンビ映画の様な光景が僅か50年前に支那各地で行われていた
支那共産党もその事実に驚愕し、公式に調査したけれど、あまりの凄惨さに封印。
加害者は大した罪にも問われず、なかば野放し状態で食人した者の中には幹部に出世した者もいるという話し。
こんな背景を持つ民族と、我々日本人は対峙せねばなりません。
例えば、沖縄で基地反対を主張し無法を繰り返す反日の連中は、この僅か半世紀前に起きた事件を繰り返すつもりなのか?