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犬神スケキヨ~さざれ石

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模範解答無き世界

2017-05-14 17:00:54 | 草莽崛起
その昔はヨーロッパの出来事はヨーロッパ、アフリカの出来事はアフリカの出来事、そんな世界でした。

はるか彼方の事件や出来事で日本にはあまり関わりはなかった。

それで良かった時代などははるか昔に終わってしまっているのです。

ネットを始めグローバル化した時代には、他国の振る舞いが即自国に影響を与えてしまいます。

その中で、外交も含め長期政権となっている現政権は外交や安全保障、経済にも良い方向であるのは間違いないでしょう。

現在の国際状況を考えれば、長期政権というのはプラスに働いていると考えるべきでしょう。

一年やそこらでコロコロ変わる政権では、国際社会で舐められてしまいます。

それは国内においても舐められる

コロコロ変わる短命政権ならば『大臣が何か言ってるけど、少し我慢すれば直ぐにいなくなる』
と、官僚も舐め切って、政権の言う事をきかなくなる。

聞かないだけならまだしも、全く逆の事すらやり始める。

下手すれば大臣を丸め込み、自分達のやりたいようにやってしまうのです。

ところが確固たる政権が出来れば『これは、下手をすれば俺のクビが飛ぶかもしれない』と考えたら官僚も動かざるを得ない。

国際社会も、例えば中韓にしてもこの政権は長いとなれば、あまり舐めた態度は取れないのです。

しかし、やたら長ければ良いのか?

そう言われたらNOです。

世界を見れば超長期政権は腐ってしまいます。

特に共産主義や社会主義においては超長期政権になり、それでなくとも腐っているのに更に腐り切る訳です。

保身に走り、それで一財を成し個人主義に走り本来の目的を見失う結果を招くことになります。
人間引き際も弁えねばならんのです。

ドイツのヘルムート・コール首相と言うのは実に16年もの超長期政権でした。

このコール首相がいなければ、東西ドイツの統一はなされていないでしょう。
1990年の出来事です。

統一は強い力が必要でした、その意味では長期政権が必要である証明にはなります。

しかし政権発足後8年、統一を果たした。
けれど、それに浮かれて遂に16年もの長きに渡り政権をやってしまいました。

結局、選挙では大敗。その後、疑惑も追及される。

名声は地に落ち、国民からの反発を招きました。

長期過ぎてもダメなのです。

自らの保身に走り、利権化してしまい腐ってしまいます。

例えば、東西ドイツ統一を果たしたならば、潔く身を引けばlegacyを残せたのです。
その後、新しいリーダーに道を譲りさえすれば自らの名声を貶めずに済んだはずです。
更に国民の反発を招けば
良い政策も否定されてしまう

今のメルケルにしても、最初の9年は経済にしても順風満帆の勢いで成長もした。
けれど次に難民受け入れなるものをやってしまい収拾がつかなくなってしまいました。
ヨーロッパを始め、世界全体に影響を与えてしまうミスを犯したのです。

ある種、長期政権は独裁的にもなりがち。

それを防ぐ為には我々国民の意識が重要です。

短くてもダメ、長くてもダメ。

短ければ舐められる。
長ければ、政権を続ける為に利権や紐に阿る。

安倍政権は長期政権になります。
しかし、この政権が腐ってしまう前に終わらせなければなりません。

その為には
次の政権を担うのは誰か?
そこをしっかり考えなければなりません。

つまりは次に良き人材がなければ『とりあえず安倍政権で行こうか…』と、なってしまい政権は結果腐ってしまいます。

つまり、後継者を現政権や我々国民は考えておかねばなりません。

そうやって常に国民も次の事を考えていれば、ともすれば舐め切った事をやらかす官僚をも抑える事が出来るのです。

その上で、例えば外務省などは民の力を活用せねばなりません。

外務官僚など、ただ模範解答に強いだけの人間に任せておいてはいけません。
そんな事をやっているから、外交官の英語が半分も伝わらず、例えばアメリカの高官などは話しなど聞かずにドキュメントばかり読むのです。

難しい英語を必死に使っても、話しの半分も理解されないなら交渉になりません。

だからこそ
民の力を活用せねばならんのです

例えば、中小商社の営業マンなどは、諸外国やその企業とゴリゴリと日々交渉や取引をやっているのです。
毎日生きた人間相手にギリギリの交渉をやっている。
その様な人間の英語が相手に通じなければ仕事になりません。

世界の秩序が変わり、模範解答では全く通じない時代に入っているのです。

今までは模範解答にさえ強ければ良かった。

それは東西冷戦の中、親分アメリカの言いなりになっていれば良かったからです。
しかし、その時代は過ぎたのです。

例えば日露戦争にしても、あの危機的状況の中で東郷平八郎はあのバルチック艦隊を撃破した。
けれど、この東郷平八郎は直前まで冷や飯を食っていた人です。
模範解答には弱くとも戦争と言う模範解答なき場においては滅法強かった。

逆に言えば大東亜戦争においては、それまで30年余り戦争らしいものもなく、例えば山本五十六ですら官僚化にどっぷり浸かっていたのです。

平時なら模範解答は正しい。
しかし、一度国難となれば模範解答に強い事は逆に仇になるのです。

模範解答なき世界に至って、今もって模範解答で対処するなど72年前の敗戦をまた繰り返す様なものです。

世界を相手にギリギリの交渉をやっている民の力を活用する事は、その腐った体質を改善し、国民一体となって国難に立ち向かう力となるのです。

そう考えると、我が国の皇統や天皇の存在はうまく出来ているとも考えられます。

我が国の天皇陛下は
不親政

我が国は神武天皇から2677年、125代。

超長期です。

その様な超長期でありながら、腐ってはいない。

2000年を超える御存在でありながら、種々の細かい事は有りながらも腐る事なく続けてこれたのは不親政であったからではないか?
そう思われます。

天皇は利権や利得ではない。

例えば、天皇親政なら此れ程長い歴史を持てば天皇にその意識が無かろうとも周りには砂糖に群がる蟻の様に、その甘い汁、おこぼれに預かろうと思うものが群がるのです。

それこそが腐敗を生む

支那の歴史、朝鮮の歴史を見れば明らかです。

自分だけが良ければ…

その様な利己主義を上手く避ける事が出来ているのではないか?
そう思います。

権威と権力を分けてしまえば、その権威に腐敗は生みにくいのです。

我が国の皇帝は権威として存在し、その権威は何を言っているかと言えば
民は私の宝だ、民あってこその天皇である
その様に仰る。

その下に権力を置き、政をさせる。

権力は腐敗する。

しかし、腐敗した権力は変えることが出来る。

権威を無くしてしまえば、力が特定の人間に集中し腐敗を生むのです。

権力は権威から宝をお預かりしていると言う構造は、一人の人間に力が集中し、その人間に殺生与奪の権限を与えない構造と言えるのです。

つまり、天皇親政の世の中ならばその集中した権力は腐敗する。
125代も続く政権があったならば、その腐敗構造はとんでもない事になります。

そんな腐敗は長く続くはずもなく、必ず革命のような事態を招く。
けれど我が国にはその様な事はありません。

そんな事はたかが240年程度の国に真似出来るものではありません。

千年、二千年を超え培ってきたものです。

或いは違う考えをする人もいるでしょう。

しかし、国体を守る為に、国体を維持する為に先人達が築き上げたものは何であるのか?

これを今一度考える事が問われているのです。

模範解答はありません。

国民一人一人が考え議論する事で、答えを見つけるしかないのです。