今回もそんな事を少し考えていこうと思います。
前回からの続きの様な話しにはなります。
宜しければ前回よりご一読下さい。
かつて西洋人は文明圏を三つに分けていました。『キリスト教圏』『イスラム教圏』『東洋文明圏』です。
それをイギリスの歴史家や歴史哲学者であるアーノルド・ジョセフ・トインビーなどが六つや或いは七つに分けて考えました。
それは
『西欧キリスト教文明』
『ロシア正教文明』
『イスラム文明』
『ヒンズー文明』
『シナ文明(中華文明)』
『中南米・ラテンアメリカ文明』
『日本文明』
近年では米国の学者達も同じ様な分類をしています。
注目すべきは我が国『日本』がひとつの文明圏となっている事です。
戦後の中日大使となった、ライシャワーも同じ事を言っています。
日本女性と結婚し、米国有数の日本通で知られるライシャワーですが、戦前には既に日本史を書いていて、その中で『日本はひとつの文明圏である』と述べています。
また、源氏物語の英訳で知られるアーサー・ウェイリーは最初に日本を『シナ文明圏に入らない独自の文明圏』と述べ『日本文明の独創性』と言う小冊子をオックスフォード大学出版部から出しています。
つまり我が国はどの文明圏にも属さない、独自の文明圏を有する唯一の存在であると言う事です。
他の文明圏を見ればわかりますが、我が国は我が国一国で文明圏を有する栄えある地位にあると言う事です。
理由は様々あるでしょうが、島国である事、周りが海に隔てられている事、自然環境に恵まれている事、大陸との距離などが上げられますが、その全てが『ちょうど良い』レベルであると言う事でしょうか。
ひとつの文明圏を作るには狭いと言う意見もありますが、ギリシャやローマを見ても、最初は狭い範囲にひとつの文明圏を築いています。
先述のライシャワーにしても、それらの事実から日本列島が文明を作るには充分な広さを持つと言っています。
日本通のライシャワーからすれば、朝鮮半島を含めた文明圏と一括りにする事は出来なかったのでしょう。
しかしながら日本文化は仏教伝来始め、欧風文化など外国文化を取り入れた『模倣文化』ではないかとの指摘もあります。
確かに我々は仏教や果は文字すら外来物です。しかし、日本人はそれを見事に『和風』に仕上げ日本独自のものを作り上げてしまいました。
漢字と仮名を交じり合わせた文章を書く民族は日本人以外にはいません。
神社と寺と言う違う宗教を見事に共存させもしています。
そんな国家は他にありません。
そもそも我が国には神話から地続きの系譜を持つ御存在があり、皇室がある。
こんな国をシナ文明圏なるものに一括りにする事は誰であろうと不可能でしょう。
その栄えある、他に類を見ない一国一文明の我が国が侵されつつある
そのきっかけは間違いなく米国にる占領政策にあります。
1951年、戦争を指揮し、東京裁判を開き、占領政策をやった張本人であるマッカーサーが『日本の戦争は自衛の為だった』と証言した。対日戦争の理由を『日本の軍国主義による侵略戦争ではなかった』と。
これ程、重要な証言はありません。
しかしこの様なとんでもない重要な証言を我が国は国民に伝える事がなかったのです。
その理由はマッカーサーの証言を受け入れると困る人々が既に日本国家の中枢を占めていたからである
そしてこの厳然たる事実を戦後教育を通じても、我々日本人は全く知らされていません。
誠に信じ難い話しでありますが、公職追放で空いた穴を埋める為に、コミンテルン系統の共産主義者の学者を起用すると言う占領政策が今も根強く生き続けているのです。
そもそもコミンテルンの基本的発想は『国境をなくしてしまう』事にあるのです。
ですから一国で一文明圏を成す日本国家を認めるわけにはいかないと言う発想です。
コミンテルン日本支部として始まった日本共産党の主張を見れば、未だその発想が根強く残っている事は、容易に知ることができます。
しかし、ここで一つの疑問にぶつかります。
壮大な社会実験に失敗したソヴィエト連邦です。
ソ連崩壊と共に、こうした発想は既に潰えたのではないか?と、言う事です。
18世紀ジャン・ジャック・ルソーはそれまでの『善』とするものを、悉くひっくり返して『悪の根源』であると主張し出しました。
それ故、国家や家族と言う価値観を否定しました。
その影響でマルクスは共産主義を提唱し、レーニンなる者が実行した。
その結果、誕生したのが異常な国家ソ連です。
そのソ連は崩壊しましたが、ルソー的思想は今なお延々と生き残っているのです。
そして資本主義国家である筈のアメリカが何故、この様なルソー思想に取り憑かれた異常なるコミンテルンを使い我が国に於ける、占領政策をやったのか?と言う疑問です。
理由として当時のアメリカに於ける左翼思想の広がりにあると思います。
時の大統領フランクリン・ルーズベルトは社会主義思想に共感を持っていました。
大不況を乗り切る為にニューディール政策なるものを行いました。
その為に、ルーズベルトの周辺には本物のコミンテルンエージェントや秘密党員が、うじゃうじゃいたと。
とある説によれば、国務省の正式職員、臨時職員合わせて500人近くが、コミンテルンと何らかの関係にあったと言われています。
我が国からは大東亜戦争、米国にとっての太平洋戦争開戦時、戦争を回避しようと日米双方が外交努力を続けていたにも関わらず、最後通牒とも言える『ハル・ノート』が突きつけられ、双方の努力も水の泡と帰してしまいます。
この文書も作成したのは国務長官コーデル・ハルではなく、コミンテルンのハリー・ホワイトであった事は今日露見しています。
ハルノートにに示していたのは、日本にシナ大陸、インドシナからの撤退を迫り、日本が支援していた汪兆銘政権ではなく、米国などが支援する蒋介石の中華民国を認めよと求めて来ました。
そして日本にとって切実な問題である、石油の輸出について言及されなかったのです。
これを見た日本の首脳部としては
『長年に渡る我が国の犠牲も無視し、極東に於ける日本の地位を捨てよと言っている。我が国に自死を迫るに等しい。時限のない最後通牒である』
と、受け止め開戦を決意しています。
米国はこの対日戦争を利用し、長らく続いたデフレ不況からの脱却も果たしています。
その後のアメリカは上院議員マッカーシーによる『国務省内に赤がいる』と言う告白を受け、多くの人間が弾圧もされました。
朝鮮戦争、東西冷戦激化、ベトナム戦争など反共思想がアメリカの中心ともなりました。
しかし、その強い反共思想が日本に及んだと言う事は殆どありませんでした。
それが証拠に、未だ日本の教育には左翼思想が根強く生きていて、日教組始め反日思想に犯された教師がウヨウヨいるのですから。
そんなわけで、アメリカによる『日本無力化計画』と言う占領政策は成功し、現在も骨抜きにされた国家のまま、のたうち回る効果を維持し続けているのです。
戦後、自らの半径2mの平和、経済的繁栄などで麻痺した日本人。
この決して侮ってはならない事実を知ることもありません。
隣りの国が弱いと言うのは、どの国とっても都合が良いものです。
日本の弱体化は戦勝国にとっては歓迎したい事でしょう。
ですから戦前の日本の名誉を回復したいと努力する人々を『右翼』とレッテル張りをするのです。
私から見れば安倍晋三なる人物は、随分と大胆な妥協までしてしまう政治家で決して『右翼』や『保守』には見えませんでした。
しかし日本のマスコミや海外メディアは彼を『右翼』の象徴の様に扱ってきました。
それらを見れば、如何に占領政策が我々日本人に逡巡したか理解出来るでしょう。
知らぬ間に、共産社会主義思想が国民に刷り込まれてしまい、自らの先達、先祖、我々と同じ日本人を否定する。
それが『カッコイイ』ともてはやされもするのです。
未だ、その様な『垢』にまみれた日本人が国政選挙で当選したりもします。
それは何故なのか?
同じように『垢』にまみれた日本人が投票しているからです。
これらの問題は政治家や日教組を悪者にして騒いでいても解決はしません。
ワーワーと騒ぎ立てて、単なるガス抜きをする程度の団体などもありますが、問題提起にはなるかもしれませんが、それ以上の弊害を生み出しているのは紛れもない事実です。
我々主権者の意識を変えていかなければ、未だ生き続けている『占領政策』の奴隷と成り果てる事になります。
我々は日本一国で一文明圏を成す、世界には二つとない栄えある国家なのですから。