ここまでで、ボイスレコーダー冒頭の警報音について『客室高度警報』か『離陸警報』かについて述べて来ました。
以上が事故調が出した結論です。
九州大学名誉教授
元大手航空会社パイロットの方が以前に匿名で証言していましたが、11tもの前向きに押し出す力が作用したなら、機内風速は50mにはなったはずであると。
さて今回はまた違う角度から考えてみたいと思います。
先ず事故調の見解として以下の事を述べてみたいと思います。
与圧隔壁の金属疲労部分から破断
0.05秒後、機内から噴出した空気により機体尾部の差圧が『4psi』まで上昇
これにより防火壁とAPU(補助エンジン)が離脱、その事により圧力が解放され差圧が急低下
0.3秒後、垂直尾翼点検孔から入った空気により内圧が上昇、上部リベットが飛び破壊が始まる
0.4秒後、内圧が4.75psiに達した内圧に耐えきれず垂直尾翼の半分以上が飛散
以上が事故調が出した結論です。
しかし、この事故調の説では垂直尾翼を吹き飛ばす事は不可能でしょう。
そもそも機体尾翼が脱落し差圧が一旦下がった後に、再び上昇するとは物理的に考えてありえないからです。
機体尾部のセクション48と言われる部分には高圧エアーパイプが通っており、万が一それが破損しても尾翼を保護する為にわざと1.5psiにしか耐えられない構造になっています。
更に1.0psiになった時点で与圧隔壁の下にあるプレッシャーリリーフドアが開く仕組みになっています。
例え尾部の内圧が上昇しても二段階で尾翼を守る構造になっているために、垂直尾翼が内圧で吹き飛ぶと言う事はあり得ないのです。
実はフライトレコーダーのデータを見ると、衝撃音から約1秒後に操縦桿は押し込まれ、ペダルは右に踏み込まれているのです。
これは不可解なデータです。
一体何を意味しているのでしょうか?
自動操縦から手動操縦に切り替えられたのはデータを見ると37.92秒から38.92秒の間になります。
しかしフライトレコーダーのデータからではこれが自動操縦によるものか、或いは手動によるものかよくわからないのです。
もし自動操縦による操作であるならば、6°上に機首が向いた事は以前に述べましたから、これを水平に戻そうと自動操縦による操作と考えられます。操作は37秒の時点であるとわかっています。
しかしフライトレコーダーのデータを見れば37秒時点では、まだ機種は水平を保っています。
と、言う事は自動操縦によるものではないと考えられるのです。
では可能性として考えられるのは、当時操縦桿を握っていた副操縦士が実際に操作したと考えるのが自然です。
では何故、この様な操作をしたのでしょう?
衝撃音に驚いてつい操作してしまったのでしょうか?
通常、自動操縦はパネル部のスイッチで解除します。
しかし緊急時等では、操縦桿に付いた自動操縦解除ボタンで解除できます。
フライトレコーダーのデータによると、操縦桿を一杯に押された状態で解除されている為にこれは、操縦桿の解除ボタンで自動操縦を解除したと考えられます。
つまり何らかの理由により、意識的にこの様な操作を行ったのです。
事故調査報告書には、操縦桿やペダルの操作については書かれていますが、その理由については書かれていないのです。
事故原因究明に大きく関わると思われるはずなのに、全く触れられていないのです。
この最大の謎を考えなければ、事故原因に迫る事は出来ないでしょう。
報告書によれば18時24分35.70秒に約11tの前向き外力が作用したとしています。
上の図の上から3番目のグラフで見てとれます。
36.20秒以後の大きな変化は機体運動によるものとしています。
九州大学名誉教授
大平博一氏は、前後加速度の最初の部分はエラーとして読み飛ばすべきだと、1995年の報道番組のインタビューで答えています。
元日航パイロット
杉江弘氏は前方へのGが検出されているのは、後方への力が働いた事による反作用であると考えるのが自然であると、事故調査報告書の与圧隔壁破壊説を肯定しています。
ならば、時速500km以上の速度で飛行するジェット旅客機を前方へ加速させるほどの力が与圧隔壁破壊によって起こったのでしょうか?
では生存者の証言『客室内に空気の流れはなかった』と言うのはなんなのでしょう?
元大手航空会社パイロットの方が以前に匿名で証言していましたが、11tもの前向きに押し出す力が作用したなら、機内風速は50mにはなったはずであると。
しかし事故調は10m/sの空気の流れがあったとしています。
上の写真を見ても空気の流れがあったとは思えません。
では、前後方向加速度が示す11tもの前向き外力とは一体何なのか?
次回詳しく考察してみたいと思います。
続く...