今回は何の話しをしようかと…
それで「観念論」についてまたもや考えてみようと思いました。
我が国にはこの「観念論」に侵されています。
観念論には論理性はありません。
私は現実の世界にある論理的思考を用いて考えようと心がけています。
この世界は観念論を用いて考えようとすれば、必ず本質を見誤ります。
事実を基に現実と論理性、或いは科学と哲学を融合したいと考えています。
夢想
観念論とは、以前にも拙著ブログ内にて話した事があります。
観念論とは夢想空想です。
言わば「こう思う」と言うだけのもの。
何ら根拠も論理性も無いものを指すと思います。
例えば「殺すより、殺される方が良い」とか「話せば分かり合える」と戦争や侵略を受けても、こんなことを言うのは観念論です。
夢想空想です。
何故、夢想空想をするかと言えば情報の欠乏が原因です。
これが如何に危険であるか。
考えない人が多い。
そんな夢想が世界を貶め、貧富の差別さえ生むことを考えなければならないのです。
現在、実は我々日本人は日本人としての生き方を間違っているとさえ言える状況かもしれません。
リサイクル
循環型社会
我々はそう信じて生活していますね。
使える物は再利用!
つまりはリサイクルシステムと言うものです。
結論から先ず申しますなら…
リサイクルなど出来ません!
これが結論で事実です。
「ゴミを分別して出しているじゃないか!」と聞こえて来ます。
しかし、我が国は分別ゴミをリサイクルなど出来ません。
そんなリサイクルシステムは我が国にありません。
それが事実です。
我が国の「廃棄物処理法」はリサイクルシステムではないからです。
例えばペットボトルはリサイクルなどしない方が良い。
それは、新品のペットボトルよりリサイクルペットボトルは7倍のコストがかかるからです。
コスト7倍の理由は簡単。
エネルギーを7倍消費するからです。
新品1に対し7倍の石油を使うと言うことです。
しかも商品はリサイクルペットボトルは粗悪になります。
我々の日本はリサイクルなんか出来ないと知っているのです。
我々はゴミを分別して出しています。
しかし分別したゴミはリサイクル出来ません。
リサイクル出来ない物をリサイクルしようとしているのです。
紙のリサイクルも同じです。
100%リサイクルなんか出来ないのにやろうとするので更にエネルギーを使うのです。
リサイクルの為に更にエネルギーを消費すれば、それは循環型社会とは言えません。
ココ壱番屋
先般、ココ壱番屋が廃棄した物が市場に出回るという事件が起きましたね。
もちろんココ壱番屋に責任はありません。
やらかしたのは産廃業者です。
何故、横流しが起きたのか?
これは法律に問題があり、更に我が国に蔓延する「観念論」が原因です。
先ず申しておかなければならない事は大多数の産廃業者は真面目に一生懸命仕事をしています。
人が出したゴミの処理を一生懸命やっています。
そこで何故起きたかを考えると、それが出来る法体系になっているからだということです。
新鮮な食料品を棄てる
形式を整えることが出来る
この二点があります。
新鮮な食料品廃棄
新鮮な食料品を棄てるとは、食品安全の観点から決められた規定によります。
食品安全の法律では誰が食べても安全な基準で決まっています。
例えば致死量の毒は誰もが死にます。
しかし、それをグッと減らすと凡そ無毒性となる量になります。
しかしその量ではまだ個人差があります。
ですから無毒性量から100分の1まで下げた値を安全レベルとしているのです。
これは世界の先進国で採用されています。
例えば賞味期限を過ぎ様と食べることが出来る食品があるとして二十歳の健康な若者が食べても何ら問題ないとしても、3歳の子供や或いは高齢者には食中毒の危険があります。
したがって、どの年齢や性別の人が食べてもほぼ安全レベルとしているのが無毒性量100分の1という訳です。
この基準から外れた物は廃棄します。
ある調査では外食産業の廃棄量は仕入れの9割近くになると言われてもいます。
実はビュッフェスタイルやバイキングスタイルの店を最近よく見かけますが、このスタイルは極めて食品廃棄率が低いのです。
致死量はみんな死にます。
そこから下げていくと死なないまでも下痢とか病気になる恐れのある量。
人によってはダメな量。
無毒性量。
そして100分の1。
死なないまでも下痢とか病気をする量は支那朝鮮がやることです。
昔の日本は無毒性量でやっていました。
しかし、少し悪くなれば「死なないまでも…」となってしまいます。
そこで100分の1基準で、その基準なら幾ら食べてもほぼ安全と。
ココ壱番屋はその基準で廃棄したのです。
形式を整える
形式を整えるとは「廃棄物処理法」です。
廃棄物処理法では書類さえ揃えてあれば「廃棄物処理」が出来たとする、その様になっています。
ざっくり話しますと、廃棄物処理には中間処理と最終処理があります。
我々が普段出すゴミは中間処理業者に渡ります。
ここで廃棄物処理法に基づいた書類が発行されます。
これで我々は処理した事になります。
中間処理から最終処理に渡ります。
ここで書類が発行されます。
中間処理業者は廃棄物処理をした事になります。
書類が発行された時点で処理されたとする。
その様に法律がなっています。
ココ壱番屋は廃棄物処理法に則り廃棄物処理を廃棄物処理業者に依頼しました。
書類が発行された。
その時点で処理済みです。
これを横流しした訳です。
ココ壱番屋に処理されたかどうかを確認する義務はありません。
それどころか処理を確認する法的根拠がありません。
つまり業者が廃棄物処理をしたと言ったら調べてはいけないのです。
調べるには業者と交渉し確認させて貰わねばならないのです。
書類だけ
例えばプラスティックなどのリサイクル率はおよそ1%程度です。
それしか出来ないのです。
しかし、リサイクル率は60%となっている。
その隙間を埋めるのは書類です。
このカラクリは「書類さえあれば廃棄物処理済み、或いはリサイクルしたとする」としているからです。
そしてリサイクル率のカラクリのもう一つが「今までゴミとしていた物をリサイクル品として業者に出す」と言う事です。
これならゴミはゴミでなくリサイクル品となります。
しかし、引き取りはゴミを処理する同じ産業廃棄物処理業者です。
この処理業者はリサイクル品回収として書類を発行します。
実際にはリサイクルなど出来ないのです。
それをリサイクルすると粗悪品が出来ます。
粗悪品は誰も買わない。
先進国では先ず汚れて見えるものや粗悪品は誰も買いません。
それでは、リサイクルはどうしているのか?
それは東南アジア諸国や中国などに送っているのです。
ここではっきりしないといけない事は、誰も使わない物は不用品です。不用品とはつまりゴミです。
その不用品を我が国はリサイクル引き品として後進国などに送っているのです。
例えばバッテリーなどは鉛などを使用しており、処理はかなり危険です。
それを例えば中国等にリサイクル品として送ります。
それを中国の農村地帯の貧困層の人々が処理するのです。
中国はリサイクル品として輸入しています。
この時も書類さえ揃えてあれば何ら問題無しとなっています。
この鉛の処理を劣悪な環境で中国貧困層が行うのです。
中国は今すぐ死なないなら構わない国。
日本は100分の1基準の国。
つまり、我々は自分達は死なないから構わないと言う振る舞いをしているのです。
使わなくなった電化製品も東南アジア等に流します。
リサイクル業者はリサイクル品として回収し、書類を発行していますから我々はリサイクル処理したとなります。
それは業者により横流しされ後進国などに送って製品として売られます。
我々はリサイクル処理する物でも廃棄物として出しています。
どんなにもったいなくとも、使える物でも不用品は廃棄物です。
我々はリサイクルをやっていません。
廃棄物からリサイクルをやっているのです。
一部リサイクルショップなどはありますが、それは廃棄物として扱ってはいません。
しかし、世にリサイクルショップがどれだけあるでしょうか。
しかし、リサイクル品も必ず廃棄物となります。
廃棄物として出された商品は、他国からみれば使える物でも廃棄物となります。
それを我々は中国や東南アジアに出しているのです。
バーゼル条約と言う国際条約違反です。
何故出すのか?
何故出すのでしょうか?
これも結論から言うなら
我が国のゴミが減るからです。
これがカラクリです。
廃棄物が、其処に無ければ我が国にゴミはありません。
先進国のゴミが後進国に行かない様にする為の条約がバーゼル条約です。
例えば、10年使える物を5年で廃棄し、それを後進国で使えば5年しか使えません。
しかし、我々は5年で廃棄し自分達の目の前から消しているだけです。
5年しか使えない物をリサイクルと称して後進国に送れば、5年後はゴミです。
つまり、後進国では我々の何倍もの廃棄物を抱える事になります。
5年後はもう使える物ではありません。
だからバーゼル条約で禁止しているのです。
日本も批准しています。
しかし実際には条約違反をしています。
書類さえ揃えてあれば何ら構わないとして、見て見ぬふりをしているのです。
本当はリサイクル出来ないゴミを、リサイクルしているからです。
だから書類さえ揃えてあれば廃棄物でもリサイクルとなるのです。
実際にはリサイクル出来ませんから目の前から消さないといけません。
それが東南アジアやロシア等に流しているのです。
そしてリサイクルと称しながら、実は焼いたり燃やしたりして埋め立て「リサイクル品」として書類を作成しているのです。
本当はリサイクル出来ないので裏道を作ったのです。
これがリサイクル法と廃棄物処理法の実態です。
このカラクリの問題は我々にあるのです。
リサイクルは良いことだ!
循環型社会は最高だ!
ゴミが減る!
そう考え、騒ぐけらです。
事実は違うのにです。
これこそ観念論です。
観念論が起こす不幸
リサイクルが出来るのは一部の物です。
例えば鉄や銅やアルミニウムなどの金属類だけで、これは真面な商取引きとなっています。
その他の物は真面に商取引きが出来る製品は出来ません。
商取引きにならない商品をリサイクルしようとすればコストもエネルギーも余分にかかるのです。
そんな物はリサイクルの名を借りた環境破壊であり詐欺みたいなもんです。
例えばユニクロは着なくなった衣類を後進国や貧しい国に送り「寒さに震える子供を救う」なんてやってます。
人道支援だと言っているのです。
これこそ正に「観念論」のなせるワザ。
これもバーゼル条約違反です。
あなたが着なくなった衣類は、あなたにとって不用品です。
不用品は廃棄物です。
その廃棄物を人道支援だと言って送っているのです。
はっきり言いますが日本人が着た衣類は白人には古着として売れません。
何故ならば「人種差別」があるからです。
白人は黄色人種の着た衣類は使いません。
それを人道支援だと言って貧困層に送ります。
送った物が貧しい人々を救っている!
それが観念論です。
送った衣類はやがて廃棄物になります。
我々の目の前からは消え、他国で廃棄物となります。
人道支援の名を借りた廃棄物処理と言う事です。
あなたが廃棄物処理も責任を持つならば、人道支援だと言いましょうか?
ユニクロの本当の狙いは将来の購買者の獲得であって人道支援ではない。
移民受け入れを主張する企業ですからね。
移民受け入れの狙いは世界へのマーケットと労働者確保であって、その移民の将来などに責任は持ちません。
老後の面倒も見ません。
これと同じ事を廃棄物でやるのです。
この観念論に取り憑かれ、あなたの善意は悪になってしまいかねません。
本当に人道支援をするなら、貧しい人々が食える社会を実現する援助をすることであって、廃棄物を与えて自己満足することではありません。
食品リサイクルも全く出来ません。
腐った食料品から毒を抜き、また食べれるなんて技術はありません。
畑に腐った肉を埋めても、また肉が取れる訳ではないのです。
肥料にするのはリサイクルではありません。
肥料にする為に更にエネルギーを使っているのですからね。
そうやって、ゴミの押し付けをしない、後進国に押し付けない。
幾ら使える物や衣類でも、もったいなくても自分達が出した廃棄物は自分達で処理をする。
その取り決めがバーゼル条約です。
この現在の日本の状況は国際会議の場で南アフリカの環境相から指摘されています。
日本の家電リサイクルは52%が海外に出ているのです。
ゴミを減らすのは目の前から消すのではありません。
敗戦後、我々はがむしゃらに生きて来た。
そして先進国になりました。
その先進国になる影でゴミの処理を他人に押し付けているのです。
我々の先達はそんな事をしたでしょうか?
そんな事をして明るさを得ても、明るければ明るい程に影は濃いのです。
先達に恥じない日本人を考えるなら、観念論を捨て「本当に正しいのか」を、一度立ち止まり考えてみませんか?
それで「観念論」についてまたもや考えてみようと思いました。
我が国にはこの「観念論」に侵されています。
観念論には論理性はありません。
私は現実の世界にある論理的思考を用いて考えようと心がけています。
この世界は観念論を用いて考えようとすれば、必ず本質を見誤ります。
事実を基に現実と論理性、或いは科学と哲学を融合したいと考えています。
夢想
観念論とは、以前にも拙著ブログ内にて話した事があります。
観念論とは夢想空想です。
言わば「こう思う」と言うだけのもの。
何ら根拠も論理性も無いものを指すと思います。
例えば「殺すより、殺される方が良い」とか「話せば分かり合える」と戦争や侵略を受けても、こんなことを言うのは観念論です。
夢想空想です。
何故、夢想空想をするかと言えば情報の欠乏が原因です。
これが如何に危険であるか。
考えない人が多い。
そんな夢想が世界を貶め、貧富の差別さえ生むことを考えなければならないのです。
現在、実は我々日本人は日本人としての生き方を間違っているとさえ言える状況かもしれません。
リサイクル
循環型社会
我々はそう信じて生活していますね。
使える物は再利用!
つまりはリサイクルシステムと言うものです。
結論から先ず申しますなら…
リサイクルなど出来ません!
これが結論で事実です。
「ゴミを分別して出しているじゃないか!」と聞こえて来ます。
しかし、我が国は分別ゴミをリサイクルなど出来ません。
そんなリサイクルシステムは我が国にありません。
それが事実です。
我が国の「廃棄物処理法」はリサイクルシステムではないからです。
例えばペットボトルはリサイクルなどしない方が良い。
それは、新品のペットボトルよりリサイクルペットボトルは7倍のコストがかかるからです。
コスト7倍の理由は簡単。
エネルギーを7倍消費するからです。
新品1に対し7倍の石油を使うと言うことです。
しかも商品はリサイクルペットボトルは粗悪になります。
我々の日本はリサイクルなんか出来ないと知っているのです。
我々はゴミを分別して出しています。
しかし分別したゴミはリサイクル出来ません。
リサイクル出来ない物をリサイクルしようとしているのです。
紙のリサイクルも同じです。
100%リサイクルなんか出来ないのにやろうとするので更にエネルギーを使うのです。
リサイクルの為に更にエネルギーを消費すれば、それは循環型社会とは言えません。
ココ壱番屋
先般、ココ壱番屋が廃棄した物が市場に出回るという事件が起きましたね。
もちろんココ壱番屋に責任はありません。
やらかしたのは産廃業者です。
何故、横流しが起きたのか?
これは法律に問題があり、更に我が国に蔓延する「観念論」が原因です。
先ず申しておかなければならない事は大多数の産廃業者は真面目に一生懸命仕事をしています。
人が出したゴミの処理を一生懸命やっています。
そこで何故起きたかを考えると、それが出来る法体系になっているからだということです。
新鮮な食料品を棄てる
形式を整えることが出来る
この二点があります。
新鮮な食料品廃棄
新鮮な食料品を棄てるとは、食品安全の観点から決められた規定によります。
食品安全の法律では誰が食べても安全な基準で決まっています。
例えば致死量の毒は誰もが死にます。
しかし、それをグッと減らすと凡そ無毒性となる量になります。
しかしその量ではまだ個人差があります。
ですから無毒性量から100分の1まで下げた値を安全レベルとしているのです。
これは世界の先進国で採用されています。
例えば賞味期限を過ぎ様と食べることが出来る食品があるとして二十歳の健康な若者が食べても何ら問題ないとしても、3歳の子供や或いは高齢者には食中毒の危険があります。
したがって、どの年齢や性別の人が食べてもほぼ安全レベルとしているのが無毒性量100分の1という訳です。
この基準から外れた物は廃棄します。
ある調査では外食産業の廃棄量は仕入れの9割近くになると言われてもいます。
実はビュッフェスタイルやバイキングスタイルの店を最近よく見かけますが、このスタイルは極めて食品廃棄率が低いのです。
致死量はみんな死にます。
そこから下げていくと死なないまでも下痢とか病気になる恐れのある量。
人によってはダメな量。
無毒性量。
そして100分の1。
死なないまでも下痢とか病気をする量は支那朝鮮がやることです。
昔の日本は無毒性量でやっていました。
しかし、少し悪くなれば「死なないまでも…」となってしまいます。
そこで100分の1基準で、その基準なら幾ら食べてもほぼ安全と。
ココ壱番屋はその基準で廃棄したのです。
形式を整える
形式を整えるとは「廃棄物処理法」です。
廃棄物処理法では書類さえ揃えてあれば「廃棄物処理」が出来たとする、その様になっています。
ざっくり話しますと、廃棄物処理には中間処理と最終処理があります。
我々が普段出すゴミは中間処理業者に渡ります。
ここで廃棄物処理法に基づいた書類が発行されます。
これで我々は処理した事になります。
中間処理から最終処理に渡ります。
ここで書類が発行されます。
中間処理業者は廃棄物処理をした事になります。
書類が発行された時点で処理されたとする。
その様に法律がなっています。
ココ壱番屋は廃棄物処理法に則り廃棄物処理を廃棄物処理業者に依頼しました。
書類が発行された。
その時点で処理済みです。
これを横流しした訳です。
ココ壱番屋に処理されたかどうかを確認する義務はありません。
それどころか処理を確認する法的根拠がありません。
つまり業者が廃棄物処理をしたと言ったら調べてはいけないのです。
調べるには業者と交渉し確認させて貰わねばならないのです。
書類だけ
例えばプラスティックなどのリサイクル率はおよそ1%程度です。
それしか出来ないのです。
しかし、リサイクル率は60%となっている。
その隙間を埋めるのは書類です。
このカラクリは「書類さえあれば廃棄物処理済み、或いはリサイクルしたとする」としているからです。
そしてリサイクル率のカラクリのもう一つが「今までゴミとしていた物をリサイクル品として業者に出す」と言う事です。
これならゴミはゴミでなくリサイクル品となります。
しかし、引き取りはゴミを処理する同じ産業廃棄物処理業者です。
この処理業者はリサイクル品回収として書類を発行します。
実際にはリサイクルなど出来ないのです。
それをリサイクルすると粗悪品が出来ます。
粗悪品は誰も買わない。
先進国では先ず汚れて見えるものや粗悪品は誰も買いません。
それでは、リサイクルはどうしているのか?
それは東南アジア諸国や中国などに送っているのです。
ここではっきりしないといけない事は、誰も使わない物は不用品です。不用品とはつまりゴミです。
その不用品を我が国はリサイクル引き品として後進国などに送っているのです。
例えばバッテリーなどは鉛などを使用しており、処理はかなり危険です。
それを例えば中国等にリサイクル品として送ります。
それを中国の農村地帯の貧困層の人々が処理するのです。
中国はリサイクル品として輸入しています。
この時も書類さえ揃えてあれば何ら問題無しとなっています。
この鉛の処理を劣悪な環境で中国貧困層が行うのです。
中国は今すぐ死なないなら構わない国。
日本は100分の1基準の国。
つまり、我々は自分達は死なないから構わないと言う振る舞いをしているのです。
使わなくなった電化製品も東南アジア等に流します。
リサイクル業者はリサイクル品として回収し、書類を発行していますから我々はリサイクル処理したとなります。
それは業者により横流しされ後進国などに送って製品として売られます。
我々はリサイクル処理する物でも廃棄物として出しています。
どんなにもったいなくとも、使える物でも不用品は廃棄物です。
我々はリサイクルをやっていません。
廃棄物からリサイクルをやっているのです。
一部リサイクルショップなどはありますが、それは廃棄物として扱ってはいません。
しかし、世にリサイクルショップがどれだけあるでしょうか。
しかし、リサイクル品も必ず廃棄物となります。
廃棄物として出された商品は、他国からみれば使える物でも廃棄物となります。
それを我々は中国や東南アジアに出しているのです。
バーゼル条約と言う国際条約違反です。
何故出すのか?
何故出すのでしょうか?
これも結論から言うなら
我が国のゴミが減るからです。
これがカラクリです。
廃棄物が、其処に無ければ我が国にゴミはありません。
先進国のゴミが後進国に行かない様にする為の条約がバーゼル条約です。
例えば、10年使える物を5年で廃棄し、それを後進国で使えば5年しか使えません。
しかし、我々は5年で廃棄し自分達の目の前から消しているだけです。
5年しか使えない物をリサイクルと称して後進国に送れば、5年後はゴミです。
つまり、後進国では我々の何倍もの廃棄物を抱える事になります。
5年後はもう使える物ではありません。
だからバーゼル条約で禁止しているのです。
日本も批准しています。
しかし実際には条約違反をしています。
書類さえ揃えてあれば何ら構わないとして、見て見ぬふりをしているのです。
本当はリサイクル出来ないゴミを、リサイクルしているからです。
だから書類さえ揃えてあれば廃棄物でもリサイクルとなるのです。
実際にはリサイクル出来ませんから目の前から消さないといけません。
それが東南アジアやロシア等に流しているのです。
そしてリサイクルと称しながら、実は焼いたり燃やしたりして埋め立て「リサイクル品」として書類を作成しているのです。
本当はリサイクル出来ないので裏道を作ったのです。
これがリサイクル法と廃棄物処理法の実態です。
このカラクリの問題は我々にあるのです。
リサイクルは良いことだ!
循環型社会は最高だ!
ゴミが減る!
そう考え、騒ぐけらです。
事実は違うのにです。
これこそ観念論です。
観念論が起こす不幸
リサイクルが出来るのは一部の物です。
例えば鉄や銅やアルミニウムなどの金属類だけで、これは真面な商取引きとなっています。
その他の物は真面に商取引きが出来る製品は出来ません。
商取引きにならない商品をリサイクルしようとすればコストもエネルギーも余分にかかるのです。
そんな物はリサイクルの名を借りた環境破壊であり詐欺みたいなもんです。
例えばユニクロは着なくなった衣類を後進国や貧しい国に送り「寒さに震える子供を救う」なんてやってます。
人道支援だと言っているのです。
これこそ正に「観念論」のなせるワザ。
これもバーゼル条約違反です。
あなたが着なくなった衣類は、あなたにとって不用品です。
不用品は廃棄物です。
その廃棄物を人道支援だと言って送っているのです。
はっきり言いますが日本人が着た衣類は白人には古着として売れません。
何故ならば「人種差別」があるからです。
白人は黄色人種の着た衣類は使いません。
それを人道支援だと言って貧困層に送ります。
送った物が貧しい人々を救っている!
それが観念論です。
送った衣類はやがて廃棄物になります。
我々の目の前からは消え、他国で廃棄物となります。
人道支援の名を借りた廃棄物処理と言う事です。
あなたが廃棄物処理も責任を持つならば、人道支援だと言いましょうか?
ユニクロの本当の狙いは将来の購買者の獲得であって人道支援ではない。
移民受け入れを主張する企業ですからね。
移民受け入れの狙いは世界へのマーケットと労働者確保であって、その移民の将来などに責任は持ちません。
老後の面倒も見ません。
これと同じ事を廃棄物でやるのです。
この観念論に取り憑かれ、あなたの善意は悪になってしまいかねません。
本当に人道支援をするなら、貧しい人々が食える社会を実現する援助をすることであって、廃棄物を与えて自己満足することではありません。
食品リサイクルも全く出来ません。
腐った食料品から毒を抜き、また食べれるなんて技術はありません。
畑に腐った肉を埋めても、また肉が取れる訳ではないのです。
肥料にするのはリサイクルではありません。
肥料にする為に更にエネルギーを使っているのですからね。
そうやって、ゴミの押し付けをしない、後進国に押し付けない。
幾ら使える物や衣類でも、もったいなくても自分達が出した廃棄物は自分達で処理をする。
その取り決めがバーゼル条約です。
この現在の日本の状況は国際会議の場で南アフリカの環境相から指摘されています。
日本の家電リサイクルは52%が海外に出ているのです。
ゴミを減らすのは目の前から消すのではありません。
敗戦後、我々はがむしゃらに生きて来た。
そして先進国になりました。
その先進国になる影でゴミの処理を他人に押し付けているのです。
我々の先達はそんな事をしたでしょうか?
そんな事をして明るさを得ても、明るければ明るい程に影は濃いのです。
先達に恥じない日本人を考えるなら、観念論を捨て「本当に正しいのか」を、一度立ち止まり考えてみませんか?