犬神スケキヨ~さざれ石

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日本人は日本人!

2016-09-18 23:30:51 | 草莽崛起
さて、ついに二重国籍の『自称日本人』が党首になった民進党。

更に失敗を全く生かせない元総理の幹事長。

民進党はこの自称日本人と能無し幹事長と心中するようです。

また、サポーターなるわけのわからん投票者。
じゃ、党費を払ってる党員は一体何なんでしょうかね?

さっぱりわけがわからん!

これで秋にはあるかもわからない衆院選。
完全に与党の一人勝ちということになってしまいますね。
それはそれで問題です。
主権者は積極的選択ではなく、またもや消極的選択をしなければなりません。
それでは、政治は良くなりません。

祖先は渡来人?

我々の体の設計図、遺伝子。
遺伝子は長い長い時間をかけて少しずつ変化していくのです。
この変化を突然変異といいます。

これは親から子へと引き継がれますね。
いわゆる遺伝というやつです。

遺伝子の中にあるDNA配列が変わっていく順番や変化した部分なんかを鑑定し、親と子の関係から民族の成り立ち、人類が世界中に広がってきた流れから人類の起源にまで迫るのが
分子人類学
と、言う学問があります。

これはアフリカで誕生した人類(ホモサピエンス)に迫り、肌の色が変わっていく過程も解るのです。

よく聞かれる『ミトコンドリアDNA』。
かつてはこれがDNA鑑定に使われて来ました。
これは母親から娘に引き継がれるDNAですから、女系のルーツを探ることは出来ました。
そこで、近年確立された『Y染色体鑑定法』で、民族の男性のY染色体の相違を知ることが出来る様になりました。

ミトコンドリアDNAは古い人骨から採取出来ます。
ミトコンドリアDNAは違いと順序を知ることが出来るので、人の流れのおおよその年代が追えるのですね。

『分子人類学』で日本人のルーツを探ることが出来るのです。

ただし、分子人類学のみではありません。
様々なデータから祖先に迫るのです。
文献資料、例えば古代史や考古学などの及ばない時代を探るには分子人類学のみではなく、他の学問も垣根を越えてデータを基に探らねばなりません。

現在までは東南アジア起源の縄文人を基層とし、弥生時代以降に北東アジア起源の渡来人が覆い被さる様にに分布して混血し現代日本人が形成されたとされています。
これを二重構造モデルと言います。
我々も学校ではこの様に習いましたね。

しかし、この二重構造モデルには大変矛盾を含んでいるのです。
二重構造モデルが成立する為には渡来人が大挙押し寄せなければなりません。

ところが福岡県の遺跡調査から見えた事実は違いました。
考古学の研究結果では弥生時代の渡来について
確かに縄文以前の渡来に比べると規模が大きかった事は間違いないけれど、渡来人が大挙押し寄せた様な状況は考え難い。渡来してきた人の数は多く見積もっても数百年で数千人、一年にならすと数十人。二家族とか三家族とか、長い期間にパラパラと来たのが実態ではないか?
と、言う結果が導き出されました。

二重構造モデルという定説とは違う結果ですね。

二重構造モデルは縄文人は狩猟民族で人口増加率が低く、渡来人は稲作民族なので人口増加率が高い!という前提になっています。
縄文人の人口増加率を0.1%、渡来人の人口増加率を2.9〜3.0%という設定らしいですが、これなら300年もすると縄文人と渡来人の人口比率は逆転してしまいます。
すると8割が渡来人、2割が縄文人という事になり渡来人の数が少なくても結果、渡来人系が多くなるというものです。

しかし、この渡来人系の人口増加率に根拠はありません。
しかもこの増加率で人口が増え続けると25年で人口は倍になります。
3世紀には1億人を突破してしまいます。

これは
渡来人が縄文人と混血して弥生人になった
という結論ありきの理論です。

まぁ、我が国の学者というのは、こう言うものです。古事記にしても「アレは神話だから」とか言ってる訳ですからね。
しかし、実際には因幡のウサギにしてもワニに乗って…は、日本にワニなんかいないからとか言ってだから鮫だろうと。
すると、実際に大阪でワニの化石が出土したのです。マチカネワニてやつです。
出雲にしても「そんな建築技術は当時はなかった」だから作り話しだ!とか言ってました。
しかし、古事記の記述通りに天にも届く建築物の跡が見つかりました。
我が国の学者は何故か、我が国の否定をしたがるんですよ!

で、話を戻します。

考古学で稲作の研究なんかしてる学者は、今だに二重構造モデルを、根拠に自説を展開しているのです。

しかし、実際には日本人男性と韓国人男性のY染色体のDNA鑑定結果は構成比率は大きく異なっていたのです。
渡来人系と考えられる男性のDNAは11%程度。
1割強では渡来人縄文人混血説は成立しません。
方や女性のミトコンドリアDNA解析による研究ですと、日本人も韓国人も其れ程違っていません。
この研究からは日本人女性では縄文系が80%を超えていると考えられます。

稲作は縄文時代から我が国では行われていました。という事は、渡来人系だけが爆発的に増える根拠はないという事になります。

つまり、日本人女性と韓国人女性は同じような遺伝子型を持っていると考えられます。

例えば、征服したとか考えると、征服する側は男性を殺します。
女性は殺さずに征服側の男性と子供を作ります。
例えば支那がチベットやウイグルでやっているのがこれで、いずれは純血はなくなり漢人だけが残っていきます。

男性のY染色体は、これだと入れ替わりますが女性のミトコンドリアDNAの系統は大きく変わり難いですね。

渡来人男性と思われる割合は低い、日本人女性と韓国人女性は遺伝子型で見分け難い。
と、なると女性だけが大挙押し寄せたと考えることもありえません。

となると

我々日本人は一万年以上、太古の時代から日本列島の主人公であり続けた縄文時代からの人々

と、言うことになります。

また、縄文人と弥生人の骨格が違うから、これは渡来人系が…なんて話しも聞いた事ありますね。
これに関しては東京大学名誉教授である鈴木尚氏が環境や食べ物で身長や骨格は変化する可能性を示しています。
これを『小進化』と言います。

縄文時代から弥生時代は大きく生活環境が変わっていた時代です。
しかも500年、或いは1000年とも言われる空白期間を経て発掘された人骨を比べて「これが縄文人、これが弥生人」なんてのは、そもそも間違いなんです。

進出した日本人

平壌の考古学博物館には縄文式土器が展示されています。
韓国の国立博物館にも縄文式土器が陳列されていました。
九州の縄文式土器と類似しています。

先に述べた様に、考古学者も朝鮮半島から日本の土器は出る事を認識しています。
しかし『定説』が覆るので、口が裂けても
日本人が朝鮮半島に進出した
なんて事は言えません。

朝鮮半島の歴史を考えると、旧石器時代の遺跡は50〜60程度しかありません。
ところが日本は1万以上です。
桁が違います。

紀元前1万年〜5千年間は無遺跡時代で、半島からほとんど人がいなくなりました。
ところが、無遺跡時代直後から各地で縄文式土器が出土し始めるのです。
このことから半島へ縄文人が移り住んだと考えられます。

一体、日本の考古学者は何の為に定説を守っているのでしょうか?
『日本と日本人と日本文化のルーツは朝鮮半島」
明らかに間違っていると感じますね。

現在の韓国人のルーツは紀元前2,000年頃に半島に移り住んだ人々で、これについては韓国の学者も認めています。

釜山にある、東三洞貝塚からは縄文式土器と黒曜石が見つかっています。
佐賀県の腰岳産のものでした。
韓国の言う『櫛文土器』の時代の貝塚で、これは明らかに九州から運ばれたもの。

以前にも話しましたが魏志倭人伝には半島に倭国があって、と書かれています。

これらの状況から考えると、3世紀の支那人が狗邪韓國を倭が支配する国と認識していたのは間違いないでしょう。

また三国史記には『辰韓の風習は倭に近く、時々文身するものがいる』と書かれています。
出土品から半島南部と九州の文化が共通している事、DNA鑑定でほぼ同じ型を持っていることは明らかです。

例えば、韓国から前方後円墳が出た時は「ほら見ろ!古墳は韓国由来だ」と韓国は当初は言っていた、埴輪なんかも博物館に陳列していました。
ところが、その後の調査で日本よりも年代が新しいとわかると陳列を撤去してしまいました。

更に前方後円墳をブルドーザーで削って円墳にしてしまう始末です。
現在もどんどん壊しているのです。

朝鮮の正史『三国史記』には新羅第四大王脱解(タレ)が倭国の北東一千里から来たと書かれています。

「前提として」と前置きを付けて考えてみると、邪馬台国が北部九州説を取るなら、脱解は但馬辺りから新羅に渡ったと考えられます。

新羅の倭種王権は脱解だけでなく、第九代から第十二代、十四代から十六代の王は脱解の子孫です。

最近までは九州で人骨がでると「半島南部の骨と類似している」と騒いでました。

この既成概念にはマスメディアの加担も大きいのです。

釜山市近郊礼安里古墳群からは4〜7世紀の人骨が発掘されました。
形態人類学的分析結果は現代韓国人とは全く違う数値が出たのです。
むしろ、同時代の北部九州、山口地方に近い数値が出たのです。

データをして語らしめる。

これらは日本人の半島進出を裏付けるのでは、ないでしょうか。

稲作

稲の伝来についての定説は

中国南部で始まった水稲耕作が朝鮮半島を経由して日本に伝来した

その様になっています。

しかし、稲作には畑作もあるのです。
考古学者は水田がなければ稲は作れないと思い込んでいます。
ところが畑作や焼畑で縄文人は稲を作っていたと主張する植物遺伝学者もいます。

その論拠は稲特有の細胞プラントオパールです。

この物質は非常に強靭で稲が腐食しても焼かれても残ります。

これが縄文稲作の根拠です。
全国の縄文遺跡から見つかっています。

2005年には岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期、約6000年前の地層から大量のプラントオパールが発見されています。

朝鮮半島からは3000年前のプラントオパールが発見されていますがたった一粒です。

縄文遺跡から見つかる稲は『熱帯ジャポニカ』と言う稲で中国大陸にはありません。

これは日本人の祖先は稲と共に黒潮に乗って日本にやって来た、或いは当時の気候などを考慮すると南方の稲が黒潮に乗ってやって来て自生したと考える方が矛盾は少ない。

1980年に佐賀県唐津市で紀元前10世紀の畦畔を伴った水田遺跡が発見されています。
つまりは水田稲作も縄文人が始めていたとわかります。
支那大陸で見られる温帯ジャポニカ米も、いつどこで生まれたのかわかりません。
1万年以上前から稲作をしていた日本で生まれた可能性だってあるのです。

弥生時代になっても熱帯ジャポニカ米は受け継がれて、熱帯ジャポニカ米と温帯ジャポニカ米が自然に交配され早生種が出来た可能性があるのです。

健全な歴史認識

そもそも今の学者の見解というのは戦後に生まれたもので、そのスタートは皇国史観という戦前の日本の否定から始まっているのです。
そして今尚、在日朝鮮人や韓国人に阿る動きがある訳です。

大学などの教職員は厳しい検閲と、それによる教職追放に怯えていたのです。

日本の歴史を肯定的に言う者は全て追放されたりしていた訳です。

古代史は我が国と日本人のルーツを知ること。
それに関わる大事な問題です。
しかしそれが歴史捏造に近い状態にあるのです。

韓国では正史である『三国史記』は用いられません。
何故なら現代韓国人にとって不都合な事ばかり書かれているからです。

例えばよく左翼や韓国人から出て来る『天皇渡来人』説は何の根拠もなく更に、日本、中国、朝鮮半島の文献には一切出てきません。
しかし、新羅の王族が日本出身だと『三国史記』には出てきます。

戦後我が国は『古事記』や『日本書紀』を否定するところから始めました。
方や韓国は大事な正史を否定しました。

イデオロギー先行の歴史観を棄て、先人が残した文献を謙虚に読むことをしなければならない。

我々は健全な歴史認識を持たねばなりません。