犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記【スピンオフ3】

2016-09-10 15:02:03 | 古事記
さて、武士道の中に我々日本人の哲学を見ることが出来る!
という実感が湧いてきましたか?

そう感じていただけたら幸いです。

そうやって考えると、例えば幕末の侍達、鎌倉の侍達の振る舞いが見えてきませんか?

元寇の役や、幕末の薩英戦争や、なぜ日本の武士が強かったのか?

何となく理解できる感じがしますね。

そうすると敵に塩を送るという話しも、日本人ならば理解できるのですね。

武士にとって最も重要な徳目は『名誉』です。
その名誉には武士の身分とそれに伴う義務があり特権があると考えます。

それを守る為に、卑怯な行動や不正を憎む。
正義の為に振るうべき勇気。
弱者や敗者に対する思いやり。
他人対する思いやり、敬意。
約束を守る心構え。
目上への服従と忠実。
叡智を持つこと。
無闇に心にある思いや感情を露わにしない。

これが武士道であり、武士道でありながら日本人全体に共通する哲学ともなっています。

最初の項で話した、蓮舫議員。
日本人ならば理解できるはずですね?
この哲学が、理解できるはずですね?

生まれた時から日本人ならば、この哲学の素養を持ち合わせているはずです。

泰平の武士道

さて、山本常朝が語った葉隠(はがくれ)に触れてみたいと思います。

この葉隠は、いわば平時の処世術とも言えるものです。
中身は『あくび』の嚙み殺し方から、日々の勤めや、いわゆる奉公におけるhow-to的なものです。

この葉隠の編纂が完成したのは1716年。
八代将軍徳川吉宗の時代です。あの、暴れん坊将軍の時代です。

戦国時代もすっかり昔。
世は天下泰平です。
今や武士の仕事は戦場にあらず。
武士の仕事が城中での執務となり、よりいっそう主君への奉公と忠義を求められる世になって、侍とはどう生きるべきか?
より、名誉を重んじ世になって武士の役割を山本常朝なりに考えたものではないかと思います。

そのhow-to的な中に武士道を滲ませたのではないでしょうか?

武士といふは死ぬことと見つけたり

そして、この言葉に集約したのでしょう。

この言葉は戦時中には歪曲して使われたりもしました。
侍は最後には死ね!と。
しかし、この言葉の本質は生きよと言っているのでしょう。
武士とは他者の為に生きる道だと新渡戸稲造も結論付けています。
ですから、生から死、死から生を見出せと言っているのではないでしょうか。

自分の為に生きるのではなく、他者を生かすのであって自らのは他者の為に使え。他者を生かす為にすることもある。

つまり葉隠の本質は生きる哲学を示しているのではないかなと、私は考えます。
武士ならば主君の為に、他者を生かす為にこそ自らの命を尽くすことこそが武士の本懐。
その為のhow-to本ではないでしょうか。

楠諸士教

楠諸士教(くすのきしょしきょう)と呼ばれるものがあります。

武士はかくあるべきを示したものです。

例えば、人を騙したり、礼を失すれば余計な軋轢を生みお互い殺し合いに発展したり、名誉を守る為に腹を切らねばならなかったり。
とにかく、そうそう物騒なことばかりになってはいけない。
ですから、普段から心がけて人として守るべきものを説いているのです。

嘘を言わない

利己主義にならない

礼儀作法を正す

上の者に諂わず、下の者を侮らない

人の悪口を言わない

約束を破らない

人の窮地を見捨てない

してはならないことをしてはならない

死すべき場では一歩も引かない

義理を重んじる

と、言うものです。
読めば「当たり前じゃないか」と思うことばかりですよね。
それが当たり前と感じることが重要なんです。
なぜ当たり前と感じるのか?

それは日本人だからと言うことです。

我々日本人には、遥か昔から我々は古事記を読み、そして武士の世にあってどう生きるべきかを考えて考えて体系化してきました。
その日本人の考えは世代を超えて受け継がれ、我々日本人の血となり肉となり知らぬ間に細胞に浸透しているのです。

ですから、武士道というマニュアルがあった訳でもなく、自然に日々の生活の中で編み出され広く浸透し、そして知らず知らずに身につけているのです。
その生き方は「これは素晴らしい」と、他人との関わりから余計な軋轢も生まず皆が幸せにに暮らすにはどうすべきかを考えて行ううちに磨かれて出来あがったのではないかと思います。

それは自然発生的なもので、誰かが上から「こうしろ」とか言ったものではない。

神道にしても、武士道にしても日本人の観念とはそれは日々の生活の中で編み出され、誰言うことなく自然発生したものばかり。

そうやって生きているうちに、信用を得ることが出来て人が幸せに生きる道を歩いて行く事が出来るのですね。

幕末、最後の将軍徳川慶喜の家臣であった高橋泥舟。
この人物、慶喜が側に置いて離さなかった程の人物で槍の名手です。
無血開城にも貢献し、江戸を戦火から防いだ人物でもあり、勝海舟、山岡鉄舟と共に幕末三舟と呼ばれます。
その振る舞い、所作、生き様は正に武士道そのもの。
慶喜自身常に側に置いておきたい程に信用し、宮中に上がる際にも連れて行きたいが為に『伊勢の守』の位を与えてしまいました。
口の悪い勝海舟は「槍仕事で伊勢の守になりやがった」と揶揄する程。

この高橋泥舟が義理の弟である山岡鉄舟の死後、山岡鉄舟が残した借金の肩代わりをすることになってしまいました。
その時のやり取りで金貸は高橋泥舟に「それで高橋様、担保はごさいますか?」と聞かれます。
高橋泥舟はこう返します「この顔が担保でござる」
金貸は「あい、わかりました」と金を貸しました。

これが武士と言うものです。
高橋泥舟程の武士が他人を欺くことなどあり得ない。
これが、もう既に明治の世になってからのことなをですから凄い話しです。
その義理の弟である山岡鉄舟も明治天皇が一番に信頼を寄せ側に置いて離さなかったのですから凄いです。
徳川家の家臣であり剣の達人であった山岡鉄舟。
いわば、武士の身分を奪われた立場の人間がそれを奪った天皇の侍従を勤めたのです。

このエピソードを知るだけで、我が国とは一体どういう国なのか?
それを知ることが出来るのではないでしょうか?

武士道から見えるのは、他者への思いやり。

そして日本人の根っこは他者を生かし、他者の為にこそ命を使うこと。

そうすれば先の大戦での先達の思いや振る舞いを理解できるのです。
そして何故、我が国が戦禍に身を投じたのか?

武士の世がなくなって随分と時間は流れました。
現代日本において忘れ去られたとさえ思う武士道は今やもう既に瀕死の状態です。

しかし、新渡戸稲造はその著の最後にこう締めくくります。

たとえ武士道が死んだとしても、その美徳は滅び去ることはないだろう


古事記【スピンオフ2】

2016-09-10 15:01:45 | 古事記
武士道の一章には、この様に書かれています。

武士道は武士が守るよう要求され、また教えられた道徳の掟である。それは文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである。
武士道は語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。
それは、ユ有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。


十七の構成

武士道では十七の章から構成それています。

一、道徳体系
二、武士道の源泉
三、義や正義
四、勇気勇敢と忍耐の精神
五、仁
六、礼
七、信と誠
八、名誉
九、忠義
十、武士教育
十一、克己
十二、切腹と仇討
十三、刀と武士の魂
十四、女性の教育と地位
十五、武士道の影響
十六、武士道はまだ生きているか
十七、武士道の未来

武士道のルーツから始まり、義、勇、仁、礼、信、名誉、忠義の徳目に分け武士が身につけるべき事などを解説しています。
十章では武士の教育について述べています。
これらが、武士の名誉を支え構造になっています。

面白いのは第十一章です。
自己犠牲の精神、感情を表現しないといった欧米人からすると「日本人は何を考えているかわからない」と言われる事を感情がないのではない、セルフコントロールをしているのだと説明しているのです。
日本人の感情が読み取り難いのは自己抑制のなせる技だと説いているのです。

十二〜十三章では、切腹や敵討ち、刀などについて述べています。
欧米人からは『野蛮』と捉えられている事を、それはあくまで名誉心、正義感、責任感に基づくものだと説いているのです。

十四章では武家の女性の地位について述べており、決して低いものではなかったと述べています。
これは度々、私もこの地味ブログで述べていますが、日本では女性の地位は低いどころか、実は物凄く高い、むしろ女性上位であったのが事実です。

第十五章では武士道が武士だけのものではなく大和魂として広く庶民にも広まったと紹介しています。

そして十六、十七章では功利や資本と言う主義、つまりは金や物より重要なことがあるのだと説いているのです。

武士道においては名誉が一番の徳目とされていて、命より大切とされます。
その名誉を守る為に、卑怯な事や不正を憎む、目上の者への敬いと忠義の、他者を思い遣る心をおいています。

義の為に振るうべき、知識ではなく叡智と言う、弱者への思いやり、武士に二言なし

こう紹介しているのです。

名誉と言うものを頂点とし、それらを支える基本が、義忠礼があり、それを行う為に、勇智仁信となるのです。

ちょうど名誉を頂点に三角の形になります。

面白い事に、これが実は我が国の考える憲法と同じ形になるのですね。
例えば、十七条憲法などもそうですね。
憲法条文を頂点に、それを成すにはどうすれば良いか?と基本がなるのです。

ん〜この辺りは以前、私が考える憲法の形と同じなんです。
憲法は行動規範のみ、後はその下に基本法をぶら下げれば良いとなるのです。

この武士道、新渡戸稲造は広く海外に「日本人論」や「日本の哲学」、「日本の道徳的考え」を紹介しようというものです。

つまら、日本人に説いているのではなく海外に向けて体系的に『武士の道』を説いているのですね。武士道を通し日本人の哲学を海外に紹介しているのですが、この辺りは古事記のそれより、日本書紀に近いのではないかな…と考えたりします。

古事記とは日本人に向けて説いています。
つまり、我々日本人が知るべき事、身につけておくべき哲学を学ぶ為の書物ですが、日本書紀は海外に我が国を紹介しようとする書物です。

鎌倉時代を経て、江戸期まで続いた武士。
その武士の振る舞い、考えや哲学。
そこには我が国独特の文化を見ることが出来ますね。
新渡戸稲造は江戸を生きて明治に武士でなくなった人です。
ですから、新渡戸稲造の武士道の体系的なものは江戸武士です。
ですから儒教の精神も色濃く見て取れますし、新渡戸稲造自身武士道への影響を神道、仏教、儒教の影響を受けていると述べています。

スピンオフ3へ続く

古事記【スピンオフ】

2016-09-10 15:00:26 | 古事記
さて、民進党の党首候補【蓮舫】議員の二重国籍が問題になってますね。
楽しい限りです。

朝日や共同通信は擁護するような記事を書いていますが…
アホですかね?

ことの本質がわかってませんね。
散々、他人の疑惑を叩きまくってたのですから、自身の事にはしっかり説明せねばなりません。

その責任があるのです。

何故ならば『議員』だからです。
私は支持政党はありません。
ですから、民進党みたいな帰化議員だらけで国益を損なう事に邁進する政党など支持しません。

民進党議員の中には、考えを同じくする部分のある議員もおります。
私は是々非々ですから、支持出来る政策、支持出来ない政策で判断します。

その上で全く支持出来ない政治家が蓮舫であり、民進党です。

それで、蓮舫議員に何故説明する責任があるかと言えば其れは議員だからです。
何故議員だから説明しなければならないのか?

それは全く支持出来ない政治家、政党にも我々主権者の血税から歳費や政党助成金が支払われているからです。

蓮舫議員は「プライバシー」を盾に説明しなければならない事を避けているようですが…
そうはいかない!

最初の会見では「質問の意味がわからない」だとか「生まれた時から日本人」とか、訳がわかりませんよ。

生まれた時から日本人なら、台湾籍は何なのか?
自身の台湾籍がどうなっているのかなんて、パスポート申請でもすれば一発でわかります。

実際には自分でも国籍がどうなっているか解らないのでしょう。
或いは、自分でもしっかり理解していて、敢えて放置したか。

1997年の雑誌インタビューでは自覚していたと取れる発言をしています。

兎に角、自身の国籍に無頓着で、しかも不明瞭。
法律すら理解してもいない人間が国会議員の任に就いていることが問題なんです。
我々はそんなすっとこどっこいにも血税から歳費を払い代理人としている訳です。
そんなアホに議員としての歳費を払いたくはない。
払いたくはないのに払っているのです。
そういう主権者の血税を『屁』とも思ってないということですね。

まぁ、蓮舫が民進党党首となり大ゴケして『民進党解散』とか、期待しております!

武士道

今回は古事記のスピンオフです。

そこで少しだけ武士道についても考えてみようと思います。

古事記と関係ないようですが、そんな事はありません。
そこには『日本人』の根っこを見ることが出来るのです。

例えば日本人の道徳。

世界は宗教により道徳心を養います。
しかし、我が国は宗教だけを道徳心の要としていないのです。

武士道から見る日本人とは何でしょうか?

哲学

『武士道』と聞くと侍に関しての事だと考えてしまいますが、実は古事記にしても、この武士道にしてもそこにあるのは人間の根本的な哲学というものではないでしょうか?

例えば新渡戸稲造の著書武士道は今や世界30ヶ国以上で翻訳されています。
現在まも尚、新たに翻訳もされています。

そしてそれは世界中で読まれています。

あのセオドア・ルーズベルトも、ジョンFケネディも、李登輝もトム・クルーズも、更にトーマス・エジソンも読んだと言われています。

これは新渡戸稲造が世界に初めて『日本人論』を示したものではないでしょうか。

新渡戸稲造の武士道は武士を通し『日本人の生き方』を示したのではないか?
そこに人類普遍の哲学を示したからこそ、世界各国で翻訳され読まれているのでしょう。

他に『葉隠』がありますね。
江戸中期の佐賀鍋島藩士・山本常朝が語った心得を田代陣基が筆記編纂し書物です。
こちらは、江戸の時代になり戦もなくなった武士が日常どう振る舞うべきか?或いは作法などを示しています。
いわば平時の武士の振る舞いという事でしょうかね。

武士といふは死ぬことと見つけたり

有名な一節ですね。

この一節は見解の別れるところですね…
それは後ほどお話しします。

自身の内を見る

武士道の根本とは何でしょうか?
それは…

誰かの為に生きる

と、言う事ではないか?
そう思います。

いきなり答えから入ってしまいましたが、これを基本に見ると武士道や葉隠が示している中身がわかりやすいものです。

自己犠牲

利他主義

その精神こそが、限りなく日本人的な発想であり武士本来の道であると示しているのです。
自己犠牲や利他主義が忘れられて行く昨今の日本で、改めて見つめなおすことが出来ます。

そこには日本文化論とも言うべきことがあり、時期が来ると美しく一気に咲く、散る時は惜しげもなく散る潔さ。




の様に日本人の美意識とも言えるでしょう。

以前にも拙著ブログでアップした本居宣長の歌ですが…
「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」

日本人の心とは、朝日の中に清々しい山桜の花の様だと答えているのです。

昔の日本人は武士道をどの様に身につけたのでしょうか?
武士の子に生まれたたとて、教育を受けなければ武士道を身につけられません。
生れながらの武士道なんてありませんからね。

これは、極々幼少期から家庭内でわざわざ教えるものではなかったようです。
日々の生活の中で自然と基本を身につけていくようです。
つまり家庭教育の基本という事でしょうか。
そして成長と共に藩校や塾などに入り、そこで理解を深めることで身につけ行くのです。
学問や武道を身につける事以上に、それらを通して生き方を学ぶ事が大切だったようです。
学問や武道は生き方を学ぶ為の手段であったと言える訳ですね。

会津藩の子供達への規律というものがあります。
その中身は、年長者を敬い、お辞儀をしなさいとか、嘘を言ってはいけないとか、卑怯な振る舞いをするなとかあって、面白いのは最後にならぬことはならぬものですとある事です。
子供達の「なぜ?」を「ダメなものはダメ」と言う辺りは、世の今昔を超えて大人は子供の『なぜ?』に困らせられていたのか?とか思ってしまいますね。

何故、武士道を

新渡戸稲造が武士道を書くきっかけは何だったのでしょうか?

明治維新を迎え、武士の時代が終わってしまったにもかかわらず何故『武士道』なのか?

それに新渡戸稲造は、こう答えています。

「ベルギーの法学者から、日本には宗教教育がないと随分驚かれた。すると『宗教教育がないのに道徳教育は、どうやって授けるのか?』と言われ、即答出来なかった」

そして新渡戸稲造は「自分が学んだ道徳上の戒めは学校で教わったものではない」と気づきました。

様々な要素を分析すると、それらを自身に植え付けたのは武士道であったと気づくのです。

そして

封建制と武士道がわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだ!

と、いう結論にいたります。

正しく私が古事記を広めたいと考えたのは、この一節にも似た事で、自身ハッとしましたね。
古事記には日本人の美意識や生き方、考え方、国柄が示されています。
よくアホの左翼連中は「神話」を否定しますね?
しかし、これが間違いなんですよ!

神話だからこそ重要なんです。
むしろ、そこに日本人としての規範を示しているんです。
その様な思想が、そこにあって、それを示しているのです。
仁徳天皇の「民のかまど」だって作り話だとか言ってるアホを目にしますが、むしろ作り話なら更に大切な話しですよ。
国が作った、いわば国書ですよ!そこに「皇帝とはこう生きるべし」と自ら言ってるんです。
こういう論理性が全くないのが、アホの左翼や人殺しの思想しか持ち合わせていない共産党という連中なんですね。

スピンオフ2へ続く