ポナペに滞在して5日目の朝、帰りのフライトのチェックインが13:30までだったので午前中に撤収のパッキング。
写真撮ったり、使わせてもらった部屋の掃除をしたりし、鍵の返却とお世話になったお礼にヨシエへ向かった。
「なんだ、もう帰っちゃうのか」と言っていただいた、また来ます、それまでお元気で!
空港へみちこさんに車で送っていただき出国税(20$)のことやら簡単に説明してもらった。お仕事の邪魔しかしなかったのに
本当に暖かく良くしていただいた。「今度は10日間とかもっと長~く来てね」と言っていただいた、長く来ます、それまでお店頑張って!
ホノルルからの出発が遅延したようで、ポナペ到着が1h程遅れて帰りのアイランドホッパーが到着。
バイバイ ポナペ。是非また来たい。
グアムに着くと既に陽が落ちて暗くなっていた。イミグレの列に並ぼうとすると、ん?前に並んでいるのはYDXCの方では?
お声をかけるとその通り、工人舎代表JH1ECG大邊さんとビームクエスト代表JA2FIA土佐さんでした。偶然同じフライトだった様です。
イミグレの警備員に写真撮ってくれと(イミグレは普通撮影禁止だが、笑)頼んでアイボール記念に一枚。
お二人とも著名な方なので無断ですが写真掲載ご容赦を。
YDXCメンバーの皆さんとは空港で分かれ、今回は行きも帰りもグアムのトランジットで一泊にしたのでタクシーでホテルへ向かう。
行きと変えて帰りはヒルトングアムリゾートを使った。いろいろ泊まってみてお手軽グアム運用がやり易そうな場所を探す目的もある。
ポナペではコンテストが終わった後で6mのFT8に出た。6mのアンテナではないがDX COMMANDERで6mに出たらリグのSWR値で2.0を切っていたので
試しにCQを出してみたら、運良くJAが良く開けていて60q程交信出来た。こちらグアムではW1CJB/KH2を使い、AC2AIからW1CJBに変更して最初の運用となった。
グアムではDX COMMANDER立てる許可も無いし時間も無いのでベランダ用にと密かに持参した第一電波工業のRHM12をベランダに据え付けてみた。
ベランダの鉄製手摺に自在クランプと雲台マウントを付け、グランド線は沢山あるのを適当に這わせた。短い時間だったのであまり細かく調整はしなかったが
6mはラフな長さ調整で簡単に同調できる。HFでもハイバンドは比較的楽そうだがローバンドだと同調調整に結構時間を費やすと思われる。この辺の
フィードバックは日本に戻ってから暇な時にやってみたい。
流石6m、ここグアムでも運良くオープンし、こんな適当なアンテナでも極東アジアはもちろんVU、A6と交信出来てモニターにはEUの信号が沢山見えた。
6mマンが昔から南へ行きたがる理由がホンの少しだけわかった気がした。
最終日、時間にはかなり余裕があったので土産物屋を覗いたり、ランチに人気のオレンジチキンを食べたり少しだけ観光客みたいな事をした。
出発の時刻が迫り、バイバイ グアム。ここにはきっとこれからも何度も来るだろう。30度の南の島から寒い(今年は寒くない)日本へ。
丁度一週間の海外遠征を終えて、久しぶりに家に帰った。
さて、毎度のことだが帰る道すがらには、次はどこへ行くかと考えるものだ。自宅へ帰った後より、むしろまだ現地にいる時こそ次を考える。
結論としては ”どこでもいい” のだ。今回は一冊の本を持っていった。以前途中まで読んで、これは次の遠征に持っていこうとしていた本で
石川直樹「いま生きているという冒険」 大好きな写真家/作家/冒険家の一人だ。
もの凄く共感する。読んでいると付箋の山になる。自分もこういう文章が書けるようになりたくなる。この本も「どこでもいいのだ」と言う。
「心を揺さぶる何かに向かいあっているかが大切」と言う。その通り。まさに我が意を得たり。読んでいて嬉しくなる。
では自分が無線で海外へ出かけて心を揺さぶる何か、とはなんだろうか?
それは、「自分の能力を少し超えた世界に自らを放り込むこと。その怖さと歓喜で得られる猛烈な高揚感」に尽きると思っている。
子供の頃も、学生の頃も、会社人になってからも、親になってからも、いつだって何だってわからないことばかりだった。
自分はおそらく見栄張りだったのだろう、出来もしないことを平気で ”やります” と言うことが多かったように思う。還暦過ぎた今でも基本的には変わっていない。
沢山の失敗をした。沢山の迷惑をかけた。沢山の恥ずかしい思いをした。その結果で今の自分がある。それ自体を恥ずかしいとは思っていない。
だから、もっともっと違う世界へ自分を放り込みたい。
「自らに機会を与え、機会によって自らを変えよ」
最近になって改めてこの言葉の本当の意味が多少はわかったような気がする。
これまでは多忙な仕事の間隙を縫って海外遠征してきたので、とにかく行くだけが目標だったしそれだけで満足できた。働いている間はそんなもんだ。
これからは自分はもうスピード勝負だ。ようやくできた時間の余裕を使い尽くすのが早いか、くたばってこの世を去るのが早いか、だ。もう能力で
今の若い人には到底敵わない。敵うはずもない。年寄りにあるのは暇な時間と、長年生きた沢山の経験と、若い人より少しくらい金が貯まってるくらいのもんだ。
自分の世代(昭和37年生まれ)は高度成長の後半に生まれてバブル時代を知っている世代だ。平成生まれ以降の若者は生まれた時から弱体化する日本しか知らない。
これからこの国は確実に小さく貧しく低迷していく。それを覆すのは無茶というもので被害を減らすのが精一杯の工夫だろう。
そんな情勢の中でアマチュア無線は更に廃れていくだろう。こればかりは誰がどう騒いだところで詮無いことだ。永遠にメジャーである分野などあるはずもない。
だが、メジャーではなくとも、この趣味はすこぶる面白い。ただの電波の飛ばしやっこなのだが単純なゆえに面白い。応答があると面白い。知らない国に
電波が届くと面白い。無線機やアンテナなどいじるのは面白い。コンテストで競争するのは面白い。判らないことを調べて理解できるのは面白い。それなりに努力と鍛錬を
要することが多いのも面白い。面白いからこそ飽きもせず今日もダラダラ無線機に灯を入れている。
次はどこへ行くか?
答えは、「どこでもいい。日常とは違う世界に身を置いてワクワクしたい。」
まだしばらく仕事は続けるが、以前に比べれば圧倒的に時間に余裕が生まれた。もう海外へ無線やりに行くこと自体に自分の中の制限はないし、制約と言えば
仕事よりも自身の健康や老親のことなど(我が家は加えて老犬もいる)、いわゆる "年寄り系" の方が多い。アマチュア無線などという道楽で好き勝手な事ばかり
しているわけにもいかないが、とは言え好きな事を我慢するのはもっとおかしなことだと思いたい。
コロナ禍でしばらく停滞している間に、いろいろなことが変わってしまったが今回POHNPEI 2023で再開できた。相変わらず問題多く、悔しさは残る。
きっとそのうち ”次はここへ” と言い出すと思う。
生きている間に、あと何回行けるか、何か国行けるか。お楽しみはこれから始まります。
毎度の駄文にお付き合いいただき有難うございました。
これにてPOHNPEI 2023のお開きとします。