近畿旅客鉄道 佐倉線

明日の鉄道員を夢見る男の物語

特急雷鳥号の歴史

2010年10月11日 | 1番線:「日々の記憶」
皆さんも知っている様に来年3月にはJR西日本から485系電車が定期運用を終えます。
しかしこれは「雷鳥」という列車名が46年の歴史に幕を閉じるという意味でもあります。
今回はそんな雷鳥号の46年という長い歴史を振り返ってみましょう。


雷鳥は1964年のダイヤ改正で大阪~富山間の特急列車として誕生しました。
しかしこの時は同区間にまだ1往復しか設定されていませんでした。
(当時はまだ長距離急行列車が当たり前の時代でした。)

誕生から約2年後。急行「加賀」の1往復を格上げする形で雷鳥が増発されました。
その後も1年ごとに運転本数を着々と増やしていきました。

大きな転機が訪れたのは1975年です。湖西線の開通です。
これに伴って走行経路が米原経由から湖西線経由に変更されました。
また急行列車を格上げすることで1日12往復の運転となり「エル特急」にも指定されました。

1978年には「北越」の大阪発の列車が「雷鳥」に変更されました。(14往復運転)
また1982年、急行「立山」2往復を特急に格上げされて16往復となりました。
(この時点で北陸本線を走る昼行急行列車は全廃されました。)

そして第2の転機が訪れます。
1989年にパノラマグリーン車を連結した「スーパー雷鳥」の運転が開始されました。
この時に1往復ですが神戸駅発着の列車が設定されました。

阪神大震災後の1995年の4月には681系を使用した「ニュー雷鳥」の運転が開始されました。
また2年後の1997年には現在の「サンダーバード」に改名されました。
(これと同時に神戸駅発着の列車が廃止されました。)

2001年には親製の683系に押される形で「スーパー雷鳥」は全廃されました。
この時に定期列車の運転区間は現在の大阪~金沢に統一されました。
同時に新潟発の列車が廃止され、金沢~新潟間は「北越」に変更されました。

2003年にはパノラマグリーン車が連結されるのと引き換えにボンネット車が引退しました。
同時に塗装はスーパー雷鳥時代のものから国鉄色に変更されました。


2008年。46年の歴史の中で最も大きな転機が訪れました。
その転機は突然訪れました。ある日の夕刊の記事の事でした。
その内容の一部を紹介します。

「JR西日本は現在、485系によって1日8往復運転している雷鳥号を現行のサンダーバード号の車両をベースにした新型車両に置き換えることを決定した。正式な時期は不明だが完全な引退は2011年春だと思われる。」

その報道の約半年後に485系を置き換える目的で登場した683系4000番台による「サンダーバード」の運転が開始されました。
その置き換えの速さは驚くほど速く、半年で「雷鳥」3往復を置き換えてしまいました。

さらに2010年のダイヤ改正で「雷鳥」4往復が「サンダーバード」に変更されました。
これで定期列車の雷鳥は1往復になると共に「エル特急」の愛称も廃止されました。
また編成も従来の9両編成から3両を減車した6両編成に変更されました。

非常に長々とした内容でしたが今回はここまでです。お疲れ様でした。