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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

中途半端

2012-07-23 11:59:22 | 日記
 あわただしい。忙しい。集中できない。この夏は、そんな感じがしていた。
 
 なんなんだろう、この感じは。そう思って色々考えてみたが「中途半端」という言葉が頭の中にポッと現れたら、ああこれだなと妙に合点がいった。この夏はやけに「中途半端」なのだ。
 
 昨年はとてつもない災害の後で、心は被災した方々の元にあり、計画停電がどれだけ大変だろうと今頑張らなければいつ頑張るんだというほど日本中が集中していたように思う。自分たちにできることは出来る範囲でやり通すという覚悟があった。だが集中も長く続かない。ある種結論のようなものが出るなら、次へ次へと新しい気持ちの動きも生まれてくるのだが、それがない。
 
 カチッときっちり決まることなくズルズルと「中途半端」に流されていく。原発が輸出されることが決まり、再稼働し、消費税率が引き上げられることが決まり、震災で一時隠れていた沖縄の問題が浮上し、尖閣諸島と北方領土の問題がうずき、長雨豪雨で津波の悪夢をまた見ているような気持ちになる。何もかも腑に落ちず整理がつかない中、EUの危機は続き、未来を担う子供たちにこそ見て欲しいH2Bが打ち上がりロンドンオリンピックが始まるが学校現場はイジメ問題でそれどころではない。
 
 周囲のことに気を配り、広く世間に目を向けて生きることは重要なことである、と絶えず教えられてきた。正しい教えだと思う。しかし、今、その教え通りに周囲の世界に気を配っていると、結論の出ない空気にどっと疲れてしまうだろう。広い世界のことはひとまずお休みにして、目の前にある自分の世界と、その世界につながっている具体的な誰かの笑う顔、喜ぶ顔を思い描くことに集中すべき時なのかもしれない。
 
 総合的であろうとするよりも、専門的であろうとすること。汎用より特殊用途向き。みんなのためでなく、誰か一人のために。そんな方向性が今は求められているように思う。あわただしく「中途半端」な空気が世界を覆っているけれど、この人のために頑張ろうと思うことが出来れば、気持ちは急に落ち着いていく。集中して色々なアイデアが湧いてくるだろう。
 
 あの人の笑顔や驚く顔が見たい、そう思える誰かがいない人はちょっとさびしいことだが、人は決して一人では生きていない。必ず喜んで欲しい人はいる。あの人はどんな顔で驚くだろうか、どんな顔で喜んでくれるだろうか、そんなことを考えると楽しくなる。それが原点だ。
 
 楽しさはきっと伝染する。たった一人の誰かのために考えだしたアイデアが周囲を巻き込んで動き始めればもっと楽しい。その過程で今まで知らなかった誰かに巡り会えればもっともっと楽しいだろう。その人は、次に喜ばせたい誰かかもしれないわけだし。

 もしあなたの努力が実ってその人が驚いてくれたり喜んでくれたりしたら、あなたはその人の存在そのものに感謝しなければならないだろう。「ありがとう」あなたのおかげで頑張ることができました、と。そこまで行ってはじめて「中途半端」な気分は解消される。(三)
 
 
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思い出ダイバー 七

2012-07-23 09:18:41 | 日記
四歳の頃、川崎のアパートから横浜のマンションに引っ越した。

その年の一月に弟が産まれて家族が四人となったのだが、四人で住めるほど大きなアパートでもなかったと記憶している。そのため、四人での新生活を始めるための住居として、マンションを購入したようだ。

私の「実家」の記憶が始まるのもこのマンションからだ。

五月に引っ越してきたので幼稚園の入園式には参加していない。だが、マンション内に同じ幼稚園に通っている同級生がたくさんいた。幼稚園が終わってから友達の家に遊びに行くのも、今思えば凄い近い。何せ同じ敷地内の別の棟に行くだけだったから。

小学生になってからは六年間、集団登校で学校まで通っていた。マンションの敷地内にある小さな公園に集合して、六年生のおにいさん・おねえさんが班長となり、皆が集まってから出発していた。その班は、夏休みになるとラジオ体操の班にもなった。六時半から始まるラジオ体操をみんなで踊り(?)、終わったら班長からスタンプをもらった。自分が六年生になると、集団登校の班長にもなったし、ラジオ体操の際には班長が前に出て踊り(?)、終了の際には下級生のラジオ体操カードにスタンプを押した。夏には納涼祭がその公園で開催された。小銭を持ってアイスや焼きそばを買って食べ、最後の花火まで満喫していた。

中学生になると朝練のために朝早く家を出ていた。練習は楽しくてしょうがなかったが、朝起きるのが弱かったため、週に一回は遅刻の罰走を科せられていた。夜、練習が終わって家に着くと、一目散にシャワーを浴びるために浴室へ行き、ご飯を食べてゲームをしていた。
勉強・・・?って何ですか?(笑)
数学だけは隣の家の大学生のお兄さんに幼稚園からの同級生と一緒に教わっていた。自分は数学が本当にダメだったからだ。余談だが、そのお兄さんは、既に退職されたがジェイエスピーの社員になっていた。入社してから挨拶したときは、二人で懐かしい話が出ていた。

高校生になると、幼稚園からの同級生とは別々の学校に行くようになる。幸い(?)自分を含めて三人が同じ学校に通っていたため、入学してから暫くしてからは一緒に登校していた。しかし、高校生ともなると、自分のペースで行動したくなるものだ。いつの間にか別々に行くようになっていた。部活が違うこともあり、朝練のために出発する時間も異なるし、登校手段もまちまちになったからだ。
部活の先輩の家に遊びに行くために、夜遅く家を出たこともあった。当然親はいい顔をしない。それでも大丈夫だから、大丈夫だから、と何をもって大丈夫なのかを全く説明しないまま行くこともあった。

大学受験に失敗して浪人生となったときも、現役で合格した同級生を「いいなぁ~」なんて思いながらのんきに予備校に通っていた。高校を卒業した翌日から通っていたので、勉強って楽しいって思える一年間であった(嘘)

一年間の楽しい勉強(嘘)のおかげで、何とか大学にも合格することができた。大学からの合格通知を受け取ったのもこのマンションのリビングであった。が、県外の大学に通うために一人暮らしをすることになったため、十五年間暮らしてきた実家から出ることになった。

実家ライフを満喫した十五年間であったが、実家が実家でなくなることなんて夢にも思っていなかった。

続きは次回に。

(照)


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