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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

売るということ

2012-07-11 10:10:56 | 日記

実家の近所での話である。


学習塾のすぐ近くに弁当屋があるのだが、とある中学生が塾の授業開始時間間際に夕食を買い求めに行った。その弁当屋以外に周囲に食べ物を売っている店はない。


そこで店側(いたのは店主クラス)はすぐに出来る弁当はないので出せるのは白米150円のみであると言い、仕方なく中学生はその白米のみを買って塾に行った。


この話を聞いて、元はといえば時間に余裕を持たせていなかった中学生が悪いのだが、そこで白米だけを売りつけるというのもいかがなものかと思った。


いつもはその中学生の母親はちゃんと夕食を作って持たせていたのだが、たまたまその日は忙しく、夕食の用意が出来なかったのでお金を持たせて夕食を買うようにしてもらったのだそうで。


料理好きでもあるこのお母さん、その話を聞いてちょっと泣きそうな感じで子供に謝ったのだそうだが、中学生は「お母さんが悪いのではない。自分が悪いのだから仕方ない。」と言って慰めたそうな。健気だなあ、と少々感心した。いかん涙腺が。


この話を聞いてこのブログを読んでおられる希少かつ奇特な方々はどの様に感じただろうか?


「用意できないものは用意できない。その上で売買契約が成立しているのだから店側に落ち度もなく、何ら問題は無い。店に文句を言うのはお門違いだ。」「食べ盛りの中学生が困っているところで冷たく突き放して可哀相じゃないか。例えメニューに無くてもあり合わせのもので惣菜を出してあげたり、おにぎりにする程度の事はできるんじゃないのか?その方が店の評判もあがるだろう。」


他にも意見はあるだろうが、これらはどれも正解である。何も間違っていない。


店はボランティアではなく利潤を追求する一個の商店であり、赤字になるようなことは基本的にはできない。そこで買う買わないは客側の自由なのであり、全ての客側の事情を店側が考慮し、対応できるわけではない以上、仕方の無いことかも知れない。


逆の意見としてサービスしておいて評判を上げ、長期的に見て後で回収すればよい、というのもあるが、それだけで簡単に片付けるのも問題だ。人が生きていくには、そして会社が、ひいては社会が維持されていくには常にお金がかかっている事を認識しなければならない。安易な赤字は身を滅ぼすのが資本主義経済である。


われわれは色々なものを売っている。それは食べ物であったり何らかの製品であったり、サービスであったり、時間や労力であったり種々多様だ。


市場原理主義において自由競争とは価格や目に見える品質、味の美味い不味い等分かりやすい要素においては適切な競争がなされる。だが、サービス等ひと目で正しい評価が可能でないものは必ずしもこの限りではない。短期的に正しくても長期的には正しくないものが生き残ってしまうのもこの主義の一面である。


市場原理主義に照らしてみれば白米だけを売ったことは間違いではないだろう。ただし、それが本当に正しいことなのかは疑問が残る。それに市場原理主義で正しいことのみに特化させるのであれば、極端な話、商売は自販機や通販だけに任せておけばよい。


確かに自販機や通販は便利だが、それだけで事足りてしまうような世の中は売り手も買い手もなんとなくつまらないんじゃないかなあ、とも思う。


弊社でもこれから製品販売を始める動きがある。(既に開始しているものもあるが)勿論Webサイトからの受付等もあるのだろうが、そこに売り手の温かみはあるのだろうか?お客様は買う事で幸せになれるだろうか?ある程度経ったら一度見直してみる時期があってもいいのかも知れない。(刑事長)




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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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