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下宿

 京都の大文字の送り火のニュースを新聞で読んだ瞬間に、私が大学生の時ずっと住んでいた下宿についてブログに書こうと思った。あれこれ思い出して、大文字焼きの写真も探し出して、準備を整えていたら、ある事情のため、その日は書く気がなくなってしまった。そんなことを書いて、まったく学生気分の抜けないばか者だ、などと思われるのがいやだったものだから、急遽違う記事を書いて載せておいた。自分の書きたいことを自由に書いているつもりでも結構周りの反応を気にしてしまうのは、記事を公開しコメントを頂いている以上仕方のないことだ。でも、誰の、何のために書いているのか考え直してみれば、そんなこと気にする必要はないはずだ。心に浮かぶことを誰に遠慮するでもなく書き連ねていくこと、それこそが私がブログに記事を書く時に常に思い浮かべるモットーであるが、なかなかそう簡単にはいかないのが現実だ。ブログの性質上、読者を意識しないで文章を書けるはずもないが、読者を意識しすぎると誰のための文章なのか分からなくなってしまう。そのあたりの兼ね合いをうまくやっていかねばならないのだろうが、今はそう細かいことを気にしないで書いていきたいと思っている。

 私が大学生の時に暮らしていた下宿は、鉄筋2階建てのしゃれた建物で、当時としては贅沢な部類に入るところであった。玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いて各自の部屋に行くのだが、いつもしんとしていてちょっとしたホテルのような雰囲気があった。管理人の老夫婦が私の親戚の知り合いだったという関係で、私は大学の合格発表を見終えたその足で、母と契約のためその下宿を訪ねた。大学からはかなり遠い場所にあったが、高野川のほとりで周りは林に囲まれた、とても閑静な所にあった。一応は勉強するために大学に通うわけだから、学生には絶好のロケーションだった。遠くても、自転車に乗っていけばさほど遠くないよ、などという説明を受けて自分の入る部屋もここだと紹介され、満足して契約書にサインした。
 入学後は毎朝起きてカーテンを開けるたびに、まっすぐ大文字山が見えた。春から夏、夏から秋、さらには冬と季節が移っても、大文字山は変わらぬ姿を見せてくれた。毎朝拝むようにして見ていた大文字山だが、その下宿に住んでいた間に一度も送り火を見たことはなかった。夏休みになって京都でぐずぐずしているよりも実家に帰って、妻と遊んでいるほうがずっと楽しかったから仕方がない。今ではせめて一度くらいは見ておけばよかったのに、と後悔しているのだが、当時はまったくそんな気が起きなかった。本当に長い休みがあるとすぐに帰省していた。だから、どうだろう、一年の4分の3くらいしか下宿で寝泊りしていなかったのではないだろうか。
 しかし、下宿はやはり大学に近い所に選ばなければいけない。遠いと、朝起きる気がしない。あんな遠くまでいけるか、などと入学後数日で思ってしまった。高校まで授業をサボるなんてことはしたことがなかったし、授業中に居眠りするなんてことも高3の受験勉強で疲れ果てるようになるまでしたことがなかった私でも、根が怠け者だからなのだろうが、講義をサボることに何の痛痒も感じなくなるにはそう時間はかからなかった。なにせ、自分の中には通学が不便だからという大義名分があったのだから平気なはずだ。しかも、サークルに入って、いつしか昼夜逆転のマージャン生活に入ってしまったのだから、講義に行きたくても行く時間などなくなってしまった・・・

 まったくもって、下宿は大学の近くに選ばなけりゃいけない。その轍を踏まないように、娘は大学近くのマンションを選んだ。私のはるか遠くの下宿と比べれば、大学までの距離など半分以下だ。私だったら、欣喜雀躍するだろうに、わがまま娘はそれでも「遠い!」などと文句を言っては、講義をサボる口実にしている。「それはただの怠け者の台詞だろう。俺なんかずっとずっと遠い所に下宿していたんだぞ」などと、娘が1回生の頃はよく文句を言ったものだが、最近では自分の将来の進路を考えて、ある程度講義には出席しているようだ。当たり前のことなのに、「おっ、頑張ってるじゃん」などと馬鹿オヤジはうれしくなってしまう。

 まあ、娘の例を出すまでもなく、子どもがちゃんと大学に行くには、本人の自覚が一番大切なものなんだろう・・・当たり前か。
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