goo

1週間

 太郎が我が家にやって来て1週間が経った。その間月曜日には獣医へ行き、一回目のワクチンをうってもらった。本当は家に来て一週間経っていないと体調が変化するかもしれないので、ワクチンをうたない方がいいと言われていたが、とても家の中でじっとしてられないほど元気になってしまい、庭で遊ばせるようにしたため、変な病気を拾ってもいやだなと、少々早めだったが連れて行ってうってもらった。その際体重を量ったら7kgあった。家に来てすぐに量った時は6kgほどだったので、わずかの間に1kgも大きくなってしまった。
 確かによく食べる。子犬用のドッグフードをぬるま湯で軟らかくして与えているのだが、ものすごい勢いでペロッと平らげてしまいお代わりを要求する。与えればいくらでも食べそうだから、こちらでセーブしているつもりだが、それでもまだ与え過ぎかもしれない。でも、摂取したカロリー以上に動き回ってエネルギーを十分消費しているように見えるから、どんどん成長していく現段階では、与え過ぎくらいがちょうどいいような気がするがどうだろう・・。
 外で遊ぶようになってから、真っ白の毛が少し薄汚れてきた。そのうち外で飼うようになるから、少しくらい汚れるのは苦にはならないが、獣医へ行く前に家の横にある少し深い溝に落ちたのにはびっくりした。妻が鳴き声が聞こえると、庭に出て行って「わあっ!!」と叫んだのに驚いて私も走って行ったら、溝を流れる汚水で腹をどろんこにした太郎を妻が拾い上げたところだった。「なんでこんなところに落ちるんだ、バカだなあ・・」と言いながら、慌てて風呂場で洗ってやったが、発見が遅かったら体が冷えてしまって大騒動になっていたかもしれない。その話を昼御飯の時に父にしたら、夕方にはバリケードが作られて、溝の方に近づけないようになっていた。


 さらには庭から外へ出ていけないように網が張られた・・。


 これで不測の事態を心配しないで、好きなだけ庭で遊ばせておけるようになった。特に、餌を食べさせた後はすぐにウンチをするので、外に出すようにしている。そのため花壇が少々ウンチ臭くなったが、肥料を撒いていると考えればそれくらいは我慢しなければならない。しかし、オシッコは所構わず漏らしてしまう。特に寝起きは檻から出てくるとすぐにその場でオシッコをするので、檻の前の床にビニールシートを貼った。


 なんだかここ一週間で、家の中も外も太郎のために模様替えしたようになってしまった。知らず知らずのうちに太郎が我が家の中心にさえなったようだ・・。決して甘やかしているつもりはないが、コロコロとゴムまりのように飛び跳ねる白いぬいぐるみのような姿を見ていると、どうしても目じりが下がってしまう・・。
 でも、朝早くに起きて家族のだれかが来てくれるまでクンクン泣くことと、やたらズボンや足を噛むことだけには困ってしまう。おかげで寝不足だし、ズボンに穴が開きそうだ・・。
 そしてこれが先ほど撮ったばかりの太郎の映像。じっとしていることがないのでどうしたってうまく撮れるはずもない・・。

 
 

 

 噛みつくとかなり痛いんだよね・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春になれば?

  高3生の男の子が、
「これ、姉からです」
と袋を渡してくれた。姉というのは、かつて私の塾で学び、今は大学3年生となっている女子のであるが、一年前からアメリカに留学し、つい最近帰国したばかりであるのは彼から聞いていた。
「何?」
と言って袋を開けてみたら、なんと、なんと!!

 

 「おお!!すごい!!松井がMVPを受賞した時の写真と優勝トロフィーの付いたぺナントだ!!すごい!!」
 「塾長へのお土産だそうです」
 「えええ?!お土産?俺に?おお、最高だ!!涙が出るほど嬉しい!!ありがとう!!ありがとう」
と、なんだかもうわけが分からぬくらい興奮してしまった…。

 それが一昨日のこと。昨日は写真を取り出して冷蔵庫のホワイトボードに貼ってみた。


 いい、やっぱりいい!!MVPを受賞した夜の松井は最高の顔をしている。額を買って大事に飾っておかねばならない。
 それにしても、わざわざ私のためにアメリカでお土産を買ってきてくれるなんて驚きだ。しかも、それが松井の最高の笑顔の写真ときては、まさに私の宝物だ。私が松井ファンだとよく覚えてくれていたものだ。本当にありがたいことだ。

 だが、少々考えてしまった。私の心に少しは変化が現れただろうか?松井がワールドシリーズMVPを受賞したことで、7年にわたる私の責務を終えたような気がして、松井のことは距離を置いて考えるようになった。エンゼルス移籍が決定した時も、さほどの感慨も持たなかった。「燃え尽き症候群」などとは思わないが、7年にわたる思いに一区切りついたことで、まさに憑き物が落ちたように松井のことが気にならなくなった。お土産をもらって嬉しかったのも、エンゼルス松井に関したものではなく、私がずっと応援してきたヤンキース松井が大願成就を果たした時の最高の表情をうつした写真だからこそ、「おおお!!」との雄叫びが洩れてしまったのだろう。
 かと言っていつまでもヤンキース松井に恋々としているわけでもない。それどころか松井を引きとめようとしなかったヤンキースには釈然としない思いは消えずに残っている。だから、ヤンキースの優勝ペナントだけだったなら、あまり嬉しくなかったかもしれない。やはり松井の写真があったからこそ、思わず目頭が熱くなったのだろう・・。
 
 う~~ん、ここまで書いてきてもやっぱり気持ちが盛り上がってこない。このお土産をきっかけにして、また「松井愛」が少しは蘇ってくるかもしれないと目論んで、この記事を書き始めたのだが、そうは簡単にはいかないようだ。だが、松井の試合を見ることが毎日の日課になってしまった私のことだから、暖かくなり野球の季節が近くなってくれば自ずと気持ちが高まってくるような気もするのだが・・。
 そのためにはもらった写真を額に入れ、いつでも見えるところに掲げて、少しずつ気持ちを高めていくのが一番のような気がする。開幕した時からトップギアで進んでいくのはいくらなんでももう無理だろうから、徐々に熱気を帯びてくれればそれでいいのだが・・。
 
 
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペットボトルのキャップ

 昨秋からペットボトルのキャップを集めるようになった。それまではボトル本体と分別してゴミとして捨てていたのをポリ袋の中に集めるようにした。そのきっかけは、妻から「ペットボトルのキャップを集めるといいことがあるらしいよ」と教えられたことだが、実際にどんないいことがあるのか詳しく聞かないまま、集め始めた。毎日少なくとも1本は飲んでいるウーロン茶のキャップならすぐにたくさん集まるだろうと、思っていたのだが、冬場になってさすがに冷えたウーロン茶を飲む量は減ったので、予想よりも集まりは悪かった。だが、冷蔵庫の取っ手に結び付けたポリ袋がだんだんと膨れてくるのがいつしか楽しみになっていた。


 かなり溜まった気がしたので、何個あるのか知りたくなった。袋から出してみたところ、ほとんどがサントリーウーロン茶のキャップだった・・。


 多いのか少ないのかよくわからない。そこで10個ずつにまとめて数えやすくしてみた。


 10個の塊が9個・・、全部で90個あった。もっとあるかなと思っていただけに少し意外な感じがしたが、これだけ集めるのに100日以上はかかったはずだと思えば、ちょっとしたコレクションのように見えなくもない・・。
 だけど、妻が言った「いいこと」ってなんだろう?いい機会だと思って検索してみた。

 すると「NPO法人 エコキャップ推進協会」という組織のHPが見つかった。すぐに「ペットボトルのキャップで世界の子どもたちにワクチンを届けよう」という文言が目に入って来た。なるほどそういうことか・・。さらに、

「小さなキャップでも、分ければ資源」
ゴミとして焼却処分されますとキャップ400個で3,150gのCO2が発生します。
「ペットボトルのキャップをみんなで集めよう」
キャップは400個で10円になります。
「ポリオワクチンは1人分20円」
20円で1人の子どもの命が救えます。

と書かれていた。400個で10円か・・。するとポリオワクチン1人分のお金に換えるには800個のキャップを集めなきゃいけないことになる。自分ではかなり集めたつもりでいたのに、まだまだ全然足りない・・。しかし、「千里の道も一歩から」という格言にもある通り、これからも忘れずに集め続けることが肝要であろう。

 ここしばらくサントリーウーロン茶のペットボトルにおまけが付いているのを見たことがない。何か面白いものがあれば・・と常に注意しているが、以前のように手を変え品を変え販売促進に一生懸命になっている様子が感じられない。物足りないが、仕方がない・・。今しばらくはキャップを集めることに神経を集中させよう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石狩鍋

 土曜から妻が藤原竜也の舞台「按針 ANJIN イングリッシュ・サムライ」を見に上京したため、日曜の夜は私が夕食を作ることになったが、運良く年末にお歳暮として頂いた「石狩鍋セット」が冷凍したまま残っていたので、それを作ることにした。だが、「石狩鍋」そのものも今までほんの数回しか食べたことがない私に、そんなものが果たしてできるだろうか、少しばかり心配だったが、添付されていた説明書に従って作ってみた。
 

①「土鍋に1ℓ程度の水をはって沸騰させます。添付の味噌たれを2袋、溶かし込み火にかけ再沸騰させます。煮えにくい野菜・魚介の順に材料を入れます」
冷凍されてカチンカチンに凍った羊蹄山の水なるものが500ml付いていたので、それに水道水を加えて沸騰させ、味噌だれも加えた。。

 

 これにまず、前日妻が切っておいてくれた白菜を加えた。さらにカニ、えび、鮭、ホタテをどんどん入れていったら、大きな土鍋がいっぱいになってしまった。 

 


②「ひと煮立ちしたら味をみて、残っている味噌たれや塩やお酒などで味をととのえてください。その後、長ネギ・春菊など煮えやすい材料を入れて出来上がりです」
ネギは父が作った太いネギがあったので、それを切って鍋に加えてみた。酒を適当に加えてみた。

 


 これで一応完成!!見た目はおいしそうだが、実際はどうだろう・・。
 父は煮込んでいる間に他のものをおかずに食べてしまったので、ほぼ私一人で平らげなくてはならなくなった。しかし、いくらなんでもこんなに大量は無理だ・・。なかなか美味しかったので、結構食べたつもりなのに全然減らない。困ったな、と思っていたら太郎がいるのに気づいた。もう色んなものを少しずつ食べさせているので、魚介類を細かくしてやれば食べさせてもいいかな、と思った。

 

 ペロッと食べてしまったので、さらにあれこれ食べさせてしまった・・。本当はいけないかもしれないが、野生的に育てたほうが後々太郎のためになるだろうから、とへ理屈をつけてみたが、そうやって元気に育ってくれればそれに越したことはない。

 結局半分近く残ってしまったので、明日また食べなきゃいけないだろうな・・。


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジオラマ(5)

 正月の休みを一週はさんで、「鉄道模型 少年時代」20号が届いた。年末年始の忙しさのため17号から封を開けていなかったので、金曜日に一気に4号分をまとめて作ってみた。ところが、これがなかなか難しく、今までのように短時間で作ることができなかった。
 まずは17号。川の周辺の崖と河原を地面パネルを貼り合わせて作るのに、カッターで切ったり削ったりした後、高さを調節しながら木工用ボンドで貼りつける・・。これがなかなか大変な作業だった。(カッターで指を切ってしまったのはドジだった・・)

  

  

 次の18号は、河原周辺の崖と河原、そして神社の小山に石垣パーツを貼りつける作業。ゴム状の石垣パーツはカッターで切るように指示があったが、カッターには懲りていたので、ハサミで切ってみた。問題なく切れたからハサミを使った方が安全でいい。

 

 18号は案外簡単だったが、19号は少し面倒だった。厚紙に象られたトンネルシェードとアーチ橋を切り離して組み立てるのだが、思ったよりも厚紙が固くてきれいに折り曲げるのに苦労した。しかし、平面的な製作ばかりだったのが初めて立体的な組み立てになり、さらにはアーチ橋によって崖と河原が接続されたので、ジオラマが少しずつ出来上がっていくのが実感できて、嬉しかった。

  

  

 さらには20号で、鉄橋がやって来たので、4号に付属していた短いカーブレールとくっつけて川の上に架けてみた。

 

 ジオラマベースに固定したわけではないが、この日作りあげた全体像はこんな感じ。


 駅舎や線路、農家にバスの待合所・・なども並べたら、きっともっとワクワクしてくることだろう。また試してみよう・・。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

号砲!!

 今日と明日、センター試験だ。毎年のことながら、ここから入試の季節が始まる。今月末には私立中学の入試が始まるし、私立高校の推薦入試も月末だ。来月になれば私立大学の入試が続き、私立高校の一般入試、公立高校の推薦入試、さらには国公立大学の2次試験、さらにさらに3月になれば公立高校の一般入試・・、と全く息つく暇もない怒涛のスケジュールだ。今から2ヶ月間が塾の正念場であることは間違いない。いくら毎年のこととはいえ、受験する子供たちは毎年違うわけだから、針のむしろに座っているような緊張感は年ごとに新しい。今年もあのピリピリした感覚を味合わねばならないのか、と思うと身が引き締まるが、この試練を乗り越えるために子供たちと力を合わせて頑張って来たのだから、もうひと踏ん張りして必ずや栄冠を勝ち取りたいと心から念じている。
 
 受験する子どもたちは年々変わっていくが、それを指導する私は私のままだ。年が改まるたびに受験生と私の年齢は確実に前年よりも1才離れる。当たり前のことだが、年々私と生徒の年齢のギャップは開いていくばかりだから、どうしたって旧来のままの指導法では限界がある。若くて子供たちとさほどの年齢が離れていなかった頃は、自分の思うがままを子供たちにぶつけても、受け止めてくれた。だが、いつしか自分の子供と同じ年代の生徒たちに対するようになり、以前のような「近所のお兄さん」風ではなく、生徒たちの親世代の代表のような付き合い方に変わっていき、生徒との距離も徐々に離れてきた。それでも、自分の意識の中ではなかなかモデルチェンジができず、今までとちょっと塩梅が違うぞ・・と思うことがよくあった。それがさらに年月を経て、今では自分の子供よりもはるかに若い生徒ばかりになってしまい、私が長い時間をかけて培ってきた子供との付き合い方がかなり軋むようになってしまった。自分としては若いころのままのようなつもりでいても、生徒から私を見たら、自分の父母よりも年上、祖父母の一歩手前くらいに見えてしまうのだろう。私の何気ない言葉が思いもよらない結果を招いたり、私の思いを素直に受け取ってもらえないということもたびたび起こるようになってきた。
 今までのような、自分の思いをそのままぶつける指導法ではもう子供たちに受け入れられないのかもしれない、そう思うようになった。ちゃんと勉強しない子供たちを叱ってやるのが私の仕事だと思っていたが、そんな私の真意が生徒たちに通じにくくなってしまった。それは私と生徒との間の年齢のギャップに依るところが大きいのだろうが、それとともに子供たちを囲む時代状況が色濃く反映しているように思う。
 一つの例として、すぐにへこたれる子供が多くなった。壁に突き当たると、面倒くささも手伝って、すぐに諦めてしまう。単に白旗を上げるだけならまだいいが、下手な理屈をそこに加えるから話がややこしくなる。要するに最後まで自分で責任を取ろうとせずになんとかして逃げようとするから、始末が悪い。だが、そこでこちらが腹を立てては先に進まない。そんなものは子供の常套手段であるとばかりに腹をくくって、子供たちの逃げ口上に惑わされず、とにかく粘り強く相手をしていくことが何よりも大切なのではないだろうか、この頃少しばかり悟った。今までの私は子供のためを思って叱ってきたつもりだったのだが、実は単に己の勝手な思いを相手に押し付けていただけなのではないだろうか、子供のためだと言いながら、己の怒りをぶちまけていただけではないだろうか、私にしては珍しく反省した・・。
 
 その反省に立って、今年は子供たちに至らぬ点があったとしても、それを怒るのではなく、それを二度としないように励ますことこそが私の使命であると思い至った。悪い点は悪いものとしてきちんと説明した上で、目標に向かって努力し続けるよう励まして続けること・・、それを塾で実践しようとしているが、時には感情のほとばしりに負けてしまい、ついつい怒鳴ったりしてしまう。まだまだ修行が足りないのは仕方ないにしても、常にその実現を目指して一歩一歩突き進んでいかなければならない。

 センター試験の始まりのベルが私の塾が受験モードに突入する号砲である。さあ、スタート!!
 大変だけど、もっともっと頑張ろう!!
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太郎

 弁慶が死んで、弁慶の果たしていた役割がたくさんあったのに気がついた。私の愚痴を聞く相手、朝夕の食事の残り物の片付け役、そして何よりも番犬として見知らぬ人がやって来たときには吠える役、それらを弁慶は一手に引き受けていたわけで、いなくなれば当然困ることも多かった。
「やっぱり代わりはいるよなあ・・」
折に触れて妻とは話していたが、年末年始は私が忙しくてそれどころではなかった。
 
 冬休みが終わった先週半ば、少しは時間ができたので、弁慶を買った名古屋の秋田犬専門店に電話してみた。しかし・・、もうそこは店を閉めて老婦人が独りで暮らしているだけになっていて、秋田犬を探すことはできないということだった。
「それじゃあ、ネットで探すしかないな・・」
だが、まず第一に秋田犬を扱う業者が少なく、しかも苦労して探しだした業者でも、今は子犬がいない状態のところが多く、なかなか思い通りにはいかなかった。
「春まで待たねばならないのかな」
と思い始めたころ、それまであまり熱心でなかった妻が急に検索上手の腕前を発揮して、愛知県にある秋田犬のブリーダーのHPを見つけ出した。そこには11月12日生まれの牡の秋田犬が1匹いると書かれていた。色は白。弁慶のように茶色の秋田犬は「あか」と呼ばれ、ごま塩のような色をしたものは「とら」と呼ばれる。真っ白のものは「しろ」と呼ばれるのだが、このしろが本当にきれいな真っ白であるのは以前から知っていた。それまではまた「あか」を飼おうと思っていたのだが、あまり弁慶の面影を引きずるのもよくないと思い直して、今度は「しろ」を飼ってみようかという気になった。
 それが12日の夜のこと。翌日ブリーダーに電話してみたところ、その子犬には問い合わせが今のところないから、すぐにでも譲ってくれるとの返事だった。しかも、ペットショップを介さない卸値のようなものだから、驚くほど廉価で譲ってもらえるとのこと(弁慶を買った時の半額以下・・)なので、思わず即決してしまった・・。
 で、昨日引き取りに行って来た。


 これは家について車から外に出したところ、いきなりおしっこをしたときの写真だが、生後60日と言うだけあって思っていたよりも大きくなっていた。体重を測ったところ6㎏以上あったし、子犬用のドッグフードもものすごい勢いで食べた。
「さすが、秋田犬!!」
と感心してしまったが、足の太さは尋常ではない。これから先どんどん大きくなることだろう。
 だが、いくらなんでもこの寒い時期に弁慶の小屋に入れるわけにはいかない。しばらくは家の中で飼うつもりだが、家の中を勝手に歩き回られても困る。そこで、犬用の柵を買ってきて、その一角を寝場所にしてやった。

 
 
 動きが早くてうまくピントを合わせられなかったのは残念だが、まあまあかわいい顔をしている。白クマのように真っ白な毛が密生していて、ほわほわと純毛100%の暖かさが感じられる。昨日は最初興奮してあちこち動き回っていたが、夜はどっと疲れが出たのか、ずっと寝ていた・・。
 そうそう、名前は「太郎」とした。前日には、私が「武蔵」、娘が「源氏」、息子が「牛若」などと勝手な候補を出していたが、引き取りに行って初めてこの犬の顔を見た瞬間に、「太郎っぽい顔をしているな・・」と私が呟いたことから、そのまま「太郎」と決定した。インスピレーションでピピッと思いついたのだが、なかなか良い名前だと自負している。

  暖かくなるまでは家の中で育てようと思っているが、柵から飛び出ることができるようになったら、その時が引越しの時だとも思っている。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また雪・・

 昨日の朝目覚めたら、すりガラス越しに外が白いのが分かった。「やっぱり雪が降ったのか・・」と思いながら窓を少し開けてみたら、びっくりするほど大粒の雪がぼたぼた降っていた。「すごい!」跳び起きて階下に行ったら、父が「1時間であっという間に積もったぞ」と教えてくれた。玄関を開けて外を見たらこんな感じだった・・。


「雪国か!」
さすがにこれでは外に出る気にもならない。1時間ほど家の中にいて、雪が止むのを待った。
 雪が降るといつも憂鬱になる。「夜、バスを走らせることができるだろうか・・」このまま雪が解けずに凍ってしまったら最悪だが、雪が上がって日が照ってくれればいいが・・、そんな思いを抱きながらも、道路の様子を見るために出かけることにした。まだその時はたんまり雪が積もっていた。しかし、私は相変わらずの草履に素足・・。

 

 いくら慣れっこになっているとはいえ、さすがに雪道は冷たかった。塾舎の前も一面の銀世界。


 これで今年になって2回目の積雪。先日「気持ちのいい冬」などと呑気なことをこのブログに書いたものだから、ならば、と天が極寒をもたらしたのだろうか・・。
 しかし、ラッキーなことに雪がやんだすぐから日が照り始め、昼過ぎには日の当る場所の雪はあらかた解けてしまった。「それじゃあ、門松を解体するか」鏡開きも終わり、いつまでも正月気分を引きずっているわけにもいかない。週末にはセンター試験もあり、塾としての最初の正念場を迎えるから気を引き締めなければならない。製作者の父の了解を得て、解体に取り掛かった。これまでは父が頃合いを見計らって解体してくれていたのだが、今年は自分の手でやってみたくなった。作るのは手間暇のかかる大仕事だが、解体するのはあっという間のことだった。なんだか父に申し訳ないくらい簡単に終わってしまった。


 雪も解けて、門松もなくなってしまったら、なんだか塾舎の前ががらんとして寂しくなってしまった・・。

 雪が降るといつもながら思うのが、太陽の力の偉大さだ。いくら私たちが雪かきして道路を通りやすくしたとしても、日差しが数分当たっただけで、その何倍もの雪を解かしてしまう。「お日さんてすごいなあ」と、雪かきで火照った体の汗を拭いながら、何度思ったことだろう・・。
 
 「暖冬なんて誰が言ったんだ!」そう叫びたくなるほど寒いこの頃だ・・。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「出る低い所」

 実は、少し前に買ってこのブログでも紹介した老眼鏡がここしばらく行方不明になっていた。眼鏡を見失うことなど日常茶飯事となってしまった私だから、「またか・・」とさほど気にも留めずにいたのだが、やはり不便は不便だった。近視用のメガネは塾での授業中には全く用をなさず、ずっと裸眼で授業をしていた。授業後バスを運転する時にはそのメガネが必要なので、使わない間はジャケットのポケットの中に入れていた。時々入れ忘れてバスに乗ってしまうと、見にくくて苦労したものだが、失敗を何度か重ねるうちに、眼鏡をはずすと必ずポケットに入れる習慣ができた。なので、次第に老眼鏡などなくてもへっちゃらになってしまった。ふとした時に思い出して、どこに行ったのかな、と思ったりすることはあっても、積極的に探そうとは思わなかった。まあ、その老眼鏡が5000円で買ったものだったからさほど必死にならなかったというのも本当のところだろうが・・。
 だが、昨日久しぶりに暇な時間ができた。12月の中旬から息つく暇もないほど忙しかったのがやっと落ち着くことができた。もちろんやるべきことはたくさんあるが、さほど慌てる必要もないのでしばらくぶりにのんびりできた・・。
 「そういえば、眼鏡」
とふと思いだした。元旦に引いたおみくじでは「失物 出る低いところ」とあったし、妻が買ってきてくれた初えびすのおみくじでも「失物 出る 低い所」と全く同じ文言が書かれていたので、低い所を探せば出てくるのかな、とぼんやり思ってはいた。ならば、暇に任せて少しばかり宝探しをしてみようか、と塾の事務室の中を探索してみることにした。 
 低い所と言っても、床の上は大晦日の大掃除で掃除機をかけた時には何もなかったから、床ではない。じゃあ、床の次に低いところと言えば・・、ソファーの上かな・・と当たりをつけてみた。

脱ぎ捨てられたジャケットの下はどうなっているのかと思って、めくってみたら・・
 ↓ 


あれ?CDボックスの下にあるのは、ひょっとしたら・・。
 ↓ 


やっぱり・・眼鏡だ・・。見つかった・・。

あまりにあっけなく見つかってしまってなんだか嬉しくなかった。もっと苦労して、「やっぱりもういいや!!」と愛想尽かしをした瞬間に見つかる、なんて劇的な展開だったらよかったのに・・。ずいぶんしまらないオチになってしまった・・。
 
 このCDボックスは、昨年末にめでたく最終巻を迎えた「青春のうた」に付属していたCDを収めたものだ。このブログでそのことを記事にしたときにCDを整理しなおした覚えがあるから、その時に眼鏡を外してソファの上に置き忘れてしまったのだろう。今調べたら11月27日の記事だったので、およそ1ヵ月半近くこの老眼鏡は行方不明になっていたことになる。そう考えれば、よくぞ戻ってきてくれた!と少しばかり感激も浮かんでくる。

 昨日は早速この老眼鏡をはめて授業をしたが、やっぱりこのほうが楽だ。裸眼の時よりもくっきり字が見える。
 だんだん嬉しさが増してきた。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

膨らんだ!!

 このところ、適度な寒さの日が続いているように思う。寒くないと冬らしくないし、かと言って寒すぎたら辛い・・、そんな我儘な気持ちを満たしてくれるような日が続いている。「気持ちのいい冬」と呼んでもいいかもしれない。
 冬期講習も終わり、少しばかり心身に余裕が取り戻せたら、今まで全く気が回らなかったことに目がいくようになって、庭に植えた福寿草の芽がだいぶ膨らんで、中の黄色い花弁が見えるようになっているのに気がついた。


 隣の雪割草には目立った変化がないのはどうしてだろう?なにせ初めて植えた草だからどうやって花が咲くのか見当もつかないが、無事開花してくれるよう祈るばかりだ。
 ならば蝋梅はどうだろう。毎年正月には咲いているはずだが・・。

 

 芽は膨らんでいるがまだ咲いてはいない。年末年始に寒かったのが影響しているのだろうか。近くに植わっている白梅や紅梅は芽すらつけていないので比べようもないが、あと1週間もすれば何輪か咲いてくれることだろう。待ち遠しい。
 待ち遠しいと言えば、私の部屋に取り込んであるシンビジュウムの鉢も新芽が大きく育って、つぼみもだいぶ膨らんでいた。

 

 先日水をやろうとしたときに新しい芽が伸びているのに気づいた。それまで気づかなかったのは迂闊の極みだが、それだけ心に余裕がなかったのだろう、恥ずかしい・・。前年よりも数は少ないが、3つ新芽を見つけた。花が咲くまではかなりの時間がかかるのは前年の経験で十分承知しているつもりだが、せっかちな私はついつい「なかなか咲かないな・・」と呟いてしまう。少しでも開花を助けるため、栄養剤を買ってきて鉢に挿してやらねばならない。

 芽が出て大きくなって、やがて蕾をつけ、それが膨らみ花がこぼれ出る・・、そんな植物の営みを至極当然のものだと思っている限り、自然の神秘に触れることはできない。毎日忙しく暮らしている人間にとっては、その営みの一つ一つに注目し続けることなどできないが、せめて心の片隅にだけはおいておきたい。最低限の世話さえすれば、必ずこちらの思いに応えてくれるだけの強さを秘めた植物たちは、やはり愛おしい存在なのだから。
 
 さて、蝋梅が一番早く開花するとして、次はシンビジウムと福寿草のどちらが先に咲くのだろう。私の予想では、福寿草・シンビジウムの順だと思うが、果たしてどうだろう。


 
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ 次ページ »