じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「昭和の恐慌」を読む

2008-12-05 05:28:31 | 
★ 昨今の金融危機は昭和初期の「恐慌」とよくダブらせて論じられる。今の日本と当時の日本では、世界や社会の状況は大きく異なっているし、その深刻さには大差がある。

★ しかし、当時の危機的状況は一夜にして生じたわけではなく、一つひとつの出来事に当事者が行った作為、不作為の結果に他ならない。今日の我々は「いつか来た道」の入り口辺りにさしかかっているのかも知れない。

★ 昭和初期はまさに日本にとって分水嶺であったと言える。それ以降の破滅的な流れは避けられないものだったのか、それとも他のシナリオが可能だったのか、歴史に「たら」は禁物だと言われるが、再び分かれ道にさしかかっている今、歴史を振り返る必要性を痛感する。

★ 25年あまり前に発行された本であるが、「昭和の歴史」(小学館)の第二巻「昭和の恐慌」(中村政則著)を読んだ。昭和の始まりから昭和7年ごろまで、若槻、田中、浜口、犬養といった宰相が危機とどう向き合い、何を行ってきたのかが克明に綴られている。

★ 世界恐慌と言えば1929年のウォール街の株の暴落を思い浮かべるが、日本の金融恐慌はすでの昭和の初年から始まっていた。政治家は政争に明け暮れ、銀行と商社と政党が癒着し、一方で軍部が暴走を始める。人々の不安心理が「とりつけ」を誘発し、休業、破綻に追い込まれる銀行が続出した。そして、それが新たな不安を引き起こした。

★ 危機が大きいほどそこで息づく人間模様は鮮烈になる。震災手形の処理をめぐる片岡蔵相と政党間のかけひき。片岡蔵相は失言によって銀行を破綻に追いやってしまう。

★ 台湾銀行救済にかける若槻礼次郎内閣と幣原外交を是としない枢密院との抗争。

★ 若槻内閣にかわって成立した田中義一内閣は、対中強硬路線をとりつつ、軍部の暴走に手を焼き瓦解してしまう。ただ、台湾銀行が休業に陥ったときの高橋是清蔵相の電光石火の活躍は息詰まる物があった。わずか42日間の蔵相在任だったが、スーパーリリーフだった。仕事を成し遂げてさっと身を引くあたりは実に格好いい。

★ 田中のあとは浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が難局に当たるが、ロンドン軍縮条約をめぐり統帥権干犯問題が起こり、浜口首相は右翼の凶弾にたおれる。後に井上も同じ道をたどる。テロが横行する時代に突入した。浜口と井上の足跡については城山三郎「男子の本懐」に詳しい。

★ 浜口のあと、第二次若槻内閣(民政党)、犬養内閣(政友会)と続き5度目の蔵相となった高橋是清は緊縮財政から積極財政へと政策を転換し景気は改善に向かうが、中国では内戦が激化し、国内では軍部のクーデター計画が発覚するなど社会不安は高まっていく。1936年、高橋も2・26事件で殺害される。

★ こうして振り返ると、昭和初期の様相と今日とではいくつかの共通点もあるようだ。田母神論文問題や元高級官僚殺害事件など。規模や背景は異なるが不気味な兆しが感じられる。カネに群がる人々、政争に明け暮れる政治家、それはいつの時代にも変わらない様だ。




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パンデミック

2008-11-29 02:53:57 | 
新型インフルエンザ―世界がふるえる日 (岩波新書)
山本 太郎
岩波書店

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★ インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)が近づいている。世界の死者が500万人から1億5000万人と予想されているのだから尋常なことではない。

★ 危機感の高まりからか、近年「新型インフルエンザ」に関する本が数多く出版されている。今回は上掲の岩波新書(2006年)と根路銘国昭「インフルエンザ大流行の謎」(NHKブックス、2001年)を読んだ。

★ 二つの書はともに医学の専門家の手によるもので、どちらも過去のパンデミック、(特に1918年のスペイン風邪)を振り返り、その流行の経緯を追っている。後者はとりわけウィルス学の権威の著書なのでウィルスの記述が詳しい。一方前者は、新型ウィルスと社会とのかかわりを追究している。被害を最小限に食い止める事ができるかどうか、それはこれからの取り組み次第だと言う。

★ 二つの書の間には5年の開きがあるが、この5年間に緊張が高まってきているのが感じられた。新型インフルエンザのパンデミックは間近に迫っているようだ。

★ 人類が免疫をもたないウィルスとの戦いは過酷なものになりそうだが、それは避けては通れない道らしい。人類の歴史は細菌やウィルスとの戦いの歴史とも言える。多くの犠牲を払いながらも戦いの勝者の末裔が私達である。私達の遺伝子には歴戦の記録が記されているのであろう。だから、悲観ばかりする必要はないが、備えはしっかりしておきたいものだ。

★ パンデミックが社会を変え、歴史を変えることもありうることだ。

★ 毎年、寒くなると生徒達から風邪をうつされる。生徒達の症状は急激で、高熱が出て症状が重い反面、回復も早い。その点、年を重ねると症状が長引いて困る。うがい、手洗い、部屋の換気と適度な湿度、体力の維持、早期の治療など万全の予防措置をとりたいものだ。 
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三島の「憂国」を読む

2008-11-26 08:05:36 | 
★ 11月25日は三島由紀夫が自刃した日だそうだ。それを昼の「思いっきりテレビ」で知って本屋へ駆け込んだ。

★ 三島の作品では「金閣寺」を読んだことがある。「潮騒」は内容だけ知っている。この機会に「豊饒の海」を読もうかと思ったが、長編を読む意欲が湧いて来なかったので、短編集「花ざかりの森・憂国」を購入。「憂国」を読んだ。

★ 題名からして、勇ましい軍人の活劇かと思ったが、予想に反し、作者が言っているように「エロスと大義との完全な融合と相互作用」の所産であった。

★ 基本的には夫婦愛、読むうちにそれは昇華して人間愛を感じた。血潮が溢れ出るような生臭い作品で、私の目から見れば「死」の大義が明確ではなく、自らの手で生を終焉することへの美的陶酔が感じられたが、それはそれで純粋性を極限まで突き詰めた結果なのだろうか。

★ 場面設定はニ・ニ六事件であるが、別段、この事件にこだわる必要はない。江戸時代でもいいし、現代にも当てはまるかもしれない。「皇軍相打つ」的葛藤は、どの時代にもありうることであろう。

★ 文体の美しさは今さら言うまでもない。豊富な語彙があるべき場所でそれぞれの光を放ち、それらがお互いに励ましあって光沢を一層豊かにしている。文章の美しさを味わうだけでも読む価値がある。

★ 女性の白い肌、白無垢の衣裳と割腹によって溢れ出る血潮の赤。この色彩の鮮やかさは鮮烈だ。

★ 夫婦で繰り広げられる激しい性の営みは生の高揚感を謳歌し、割腹の苦痛の中で生のクライマックスが感じられる。夫婦が対峙する中で事が進展する有り様からは、劇場的な空間が感じられる。

★ この作品の10年後に三島は自刃する。1970年といえば学生運動の末期。三島は学生運動の鎮圧に自衛隊が出動し、クーデターによる憲法改正をめざしたという。自ら「盾の会」という民兵組織をつくったという。新左翼がテロ行為を繰り返す中での動きであろう。今から思えば、自衛官の論文であれこれ言っているのとは緊張感が違う。

★ 三島は殉教者の如く死して名を残したのであろうか。それが彼の周到な計画なのだろうか。彼の生き方(死に方)についてはナルシズムとか美学とか評される。果たしてそうなのか。もっと三島の文章に酔いしれたいものである。
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「狂牛病」

2008-11-18 02:15:47 | 
狂牛病―人類への警鐘 (岩波新書)
中村 靖彦
岩波書店

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★ 最近はあまり話題にならないが、「狂牛病」の本を読んだ。著者の中村氏はジャーナリストで医学の専門家でないから、かえって読みやすかった。

★ 本著は2001年の発行だから、それから7年が経過している。病気自体は沈静化しているようだが、「狂牛病」問題は食に関して多くの問題を提起した。

★ 今回の事件は汚染された肉骨粉が原因ということ、病原はプリオンというタンパク質ということはほぼ明らかになっているようだが、まだ不明な点も多いようだ。

★ 人食の習慣や乾燥硬膜の移植などで人間に発症例が見られること。「狂牛病」に感染した肉を食べた人間にごくまれに感染すること。治療法がないことがわかった。

★ 病原がウィルスや細菌などでなく、動物が生きる上で欠かせないタンパク質であることから対策は危険部位に接触しないことしかない。感染頻度が低いことがせめてもの救いか。

★ 「共食い」を防ぐために自然がインプットしたメカニズムがあるのかも知れない。

★ ところで1980年ごろ、私は大阪駅前地下の「ぶらり横丁」で牛の「ブレイン」を食べたことがある。今なら恐ろしくて到底できないが、当時は「狂牛病」など知るよしはなく、韓国料理なのだろう、ごま油や調味料で味付けされた「ブレイン」を好奇心で食べた。それから25年以上が過ぎ発症していないから、大丈夫だよね。 
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2兆円のばらまきに怒り、「米百俵」を読む。

2008-11-12 12:58:39 | 
米百俵 (新潮文庫)
山本 有三
新潮社

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★ 定額給付金をめぐる政府・与党の無能ぶりに呆れて、山本有三「米百俵」を読んだ。

★ 明治初期、官軍に逆らったために窮乏を極める長岡藩の話。日々の食にも事欠く窮乏を見かねて長岡藩に親しい三根山藩から米百俵が贈られる。藩士達はこれに喜んだが、時の大参事、小林虎三郎は米を藩士達に分け与えないと言う。不満に満ちた藩士達が小林に詰め寄るといった話である。

★ 小林は命を懸けて藩士たちに説く。この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのか。自分は、この百俵の米をもとにして、学校をたてたい。これで人物を養成したい。「今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ」(新潮文庫、93ページ)と。

★ 先覚者とは小林のような人物を言うのであろう。そして、彼はまた政治家でもあった。彼の説得を受け入れた藩士達も偉い。まだ道理の通る時代だったのであろう。

★ 2兆円をばらまく愚行。小林のような人物はもはや存在しないのか。
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「日本近代史学事始め」

2008-11-06 05:05:05 | 
日本近代史学事始め―一歴史家の回想 (岩波新書)
大久保 利謙
岩波書店

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★ 本書は、実証研究により日本近代史学に画期的な足跡を残された大久保利謙氏の生い立ちと研究の軌跡をたどったものであり、近代日本史研究の入門書とも言える。

★ 大久保利謙氏は明治維新の功労者、大久保利通の孫である。本書の前半で紹介されている幼少期、学齢期の記述は福沢諭吉の「福翁自伝」のような面白さがあった。

★ 歴史研究を始められてからは、まず散逸したり、廃棄されたりして消えていく貴重な資料を丹念に収集され、後世の研究の礎を築かれた。ご自身もそうした資料に基づき多くの著書を執筆された。

★ 明治、大正、昭和そして平成と歩まれたその生涯は、それ自体が日本近代史であるかのようだ。

★ 私が大久保氏を知ったのは、まず昭和9年に書かれた「明治二年京都における小学校の設立について」という論文を読んだことに始まる。京都では日本で最初に小学校が設立されたと言われる。この論文では小学校設立の背景、その実態について記述されている。

★ 私は当時、昭和初期における京都の小学校の経営について調べていて、その前史として小学校の設立、発展の経緯を学習していた。

★ 偶然と言うべきか、私が奈良教育大学の大学院に在学中、日本教育史研究室に上沼八郎教授がいらっしゃった。上沼先生の授業を受けさせていただいたり、お話をさせていただく中で、大久保氏の話が出てきたことを記憶している。

★ 今回改めて大久保利謙歴史著作集第4巻「明治維新と教育」をひも解いた。巻末に上沼先生の解説が記されていた。大久保氏の著述に対する的確な解説、大久保氏の偉大さとともに上沼先生への尊敬の念を厚くした。

★ 多くの先達の血のにじむようなご尽力によって、私達が事実を知ることができたり、研究を深めることができるのを幸せに思う。「人生は短い。ぼやぼやせずにもっと勉強せよ」と叱咤されてるように思った。

★ 上沼先生の金言。「足下の石」の教訓を今一度噛みしめたいと思った。
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「強欲資本主義 ウォール街の自爆」

2008-10-28 06:12:46 | 
強欲資本主義 ウォール街の自爆 (文春新書 663)
神谷 秀樹
文藝春秋

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★ 世界経済が崩壊しつつある。私達は9・11で貿易センタービルの崩壊を目の当たりにした。同時多発テロは、想像を絶する、まさにありえない事件だったが、今の経済状況に同様な感じを受ける。まさに、私達は今、世界恐慌を体験している。

★ 「強欲資本主義 ウォール街の自爆」は、実にタイムリーな書である。今現在起こっていることが、どうしてこんなにスピーディーに出版できたのか、まずその点に驚いた。たぶん著者は今日のありさまを既に予見していたのであろう。

★ 長年ウォール街に身を置き、その裏と表、その正体を知り尽くしている著者だからこそ、今日の状況とその原因を見抜けたのであろう。マネーゲームに堕してしまった資本主義の変質を身をもって感じているからこそ、これほどまでに説得力のある文章が書けるのであろう。

★ 筆者は「世界バブルの大崩壊」を強欲と拝金主義の帰結と捉える。カネに群がる投資銀行、ファンドの人々の姿から強欲資本主義の本質をズバリと見抜き、その崩壊が今後の世界をどう変えていくのかを見通している。

★ 今尚、病状は進行中で特効薬もないし、処方箋は手探り状態だ。そんな中、著者は「共感」の回復などによる新しい資本主義の可能性も予言している。

★ 実に面白い本だった。「資本主義」の失敗の背景がよくわかった。資本主義は人間の欲望を巧みに利用した経済体制だが、倫理観や節度が失われたなら「欲望」が暴走、人間がカネの奴隷となってしまうことがよくわかった。「欲望」といったものは破裂するまで際限なく膨張することがよくわかった。

★ 以前、ある本で「創造的利他主義」といった言葉を知ったが、「欲望」をいかにコントロールできるのか、新しい技術革新と並んで、それはゼロ成長時代の人間に課された試練であろう。
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「大恐慌のアメリカ」

2008-10-19 06:07:48 | 
大恐慌のアメリカ (岩波新書)
林 敏彦
岩波書店

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★ ベルリンの壁が崩れた時は驚いた。世界を核戦争の恐怖に陥れた冷戦は呆気なく終焉した。阪神淡路大震災ではテレビに映し出される光景に目を疑った。関東大震災を想像した。そして今、私は世界恐慌を体験している。

★ 世界恐慌とはどのようなものか、どのように発生し、どのような経過をたどり、どのように終結するのか。それを知りたくて本書を読んだ。

★ 1929年10月24日木曜日、ニューヨーク・ウォール街は大混乱に陥った。繁栄を誇ったアメリカ合衆国のバブルが一瞬に破裂し、株価が大暴落したのだ。

★ 翌日には一時的に株価が持ち直したため、政治家達は楽観的な見方をしていたが、週明けからは地獄が始まる。10年間に渡る不況。それは世界に伝播し、世界大戦を経て終結する。

★ 今日の状況との類似に震撼する。

★ 本書はまず1920年代の繁栄するアメリカを描き、次にそれが崩壊する「暗黒の木曜日」とその対策に追われる政界、経済界、学会の動向を緻密な資料に基づき追跡する。当時の経済学の理論を平易に説明する入門書であると同時に、時代の証言を綴ったドキュメンタリーでもある。

★ 二人の大統領、フーヴァーとローズベルト(ルーズベルト)が対照的に描かれているのが印象的だった。ルーズベルトといえばニューディール政策が有名だが、彼が大統領に就任するや矢継ぎ早に繰り出す対策、ラジオを通して国民に直接「希望」を訴えるところも印象的だった。

★ 第5章の「大不況の経済学」では、実に示唆に富む指摘が豊富に紹介されていた。格差社会が経済成長にブレーキをかけるという指摘は今日の日本にもあてはまる警鐘だ。ハンセンという経済学者が「長期停滞論」で述べる指摘には70年の時を経ているとは思えない新鮮さを感じた。

★ 本書は1988年の初版で、すでに20年が経過しているが、碩学の書は先見性に溢れ、時を経て益々輝きを増しているように思えた。
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「生きて死ぬ私」

2008-10-07 03:52:32 | 
生きて死ぬ私 (ちくま文庫)
茂木 健一郎
筑摩書房

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★ おもちゃ箱をひっくり返したような本だった。多くの問題が投げかけられ、そのひとつひとつにそれぞれの宇宙が感じられた。これから、このひとつひとつの宇宙の法則を解明し、相互の関連づけることは大変だぞと思った。

★ 著者の茂木健一郎氏は「クオリア」という概念で。脳と心の関係を解明しようとする脳科学者である。NHKの「仕事の流儀」の司会では独特の雰囲気を醸し出している。

★ 本書は著者が33歳の作だが、随所にダイヤモンドの原石が散りばめられている。最先端の知的空間を旅する人の脳内を見るようだった。難解で、時としてついていけなくて息切れしそうになるけれど、刺激的な本である。読者は自らの到達点に応じて読むことが必要だろう。

★ 私が好きなテーマは「母と仏壇」「ウサギ」である。

★ 「母と仏壇」は著者の私的エピソードで、とても人間味のある話だった。「ウサギ」は、いつまでも心に残るエピソードだった。

★ 後半で「神の沈黙」が話題になっていたが、ウサギにもし神がいるなら、その神も沈黙を保ったことになる。深いテーマだと思う。

★ 「あとがき」で著者は本書の誕生記を披露しているが、意に反した内容の原稿を受け取り、「五木寛之なら・・・」と言ったときの編集者の困惑が目に浮かぶようで面白くもあり、気の毒でもあった。
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「対象喪失」

2008-10-05 17:05:47 | 
対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))
小此木 啓吾
中央公論新社

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★ 科学の進歩は日進月歩で、私たちは宇宙の彼方から微細な素粒子まで観察し、その法則を解明しようとしている。しかし、私達の内なる宇宙とも言える精神世界についてはまだ謎だらけだ。

★ 本書は「対象喪失」という視点から人間の内面に迫った名著である。

★ 「対象喪失」とは、肉親や恋人との別離、愛着のある「もの」や環境の喪失のことをいう。こうした「喪失」を体験したとき、私たちは「悲哀の仕事」を通して、自己の回復を図ると言う。

★ この「悲哀の仕事」、つまり「悲しむ」という営みが不十分であったとき、肉体的精神的な変調をきたすことがあると言う。

★ 私が母を亡くしたとき、ふと感じたことがある。仏教では7日ごとに法事を行い、親族や身近な人が集まって、49日まで死者の霊を弔うが、あの営みはまさに「悲哀の仕事」「喪の仕事」と言われるものではなかろうか。そうした行事は、肉親を失った人への慰めであるとともに、それぞれの参集者が自らの喪失感を癒すために、悲しみを再現するために行われているように思った。

★ 人間は実に巧みに「悲哀の仕事」を生活に取り込んでいるものだと感心した。

★ ところで、著者は現代社会が「悲哀を排除した社会」になってしまっていると指摘している。科学技術は進歩し、私達はより便利により快適に生活が送れるようになった。一方で、私達は漠然とした多忙さに追われ、またひとり一人は分断されて生きている。

★ 傷つくことを恐れるあまり、人ともモノゴトとも深くかかわろうとしない。かかわるときも、「他人事」として接することによって、自己の防御に必死だ。時には自分自身でさえ実体感がもてなくなる。著者は「モラトリアム人間」と定義しているが、確かに私達にこの傾向はあるように思う。

★ 現代人は「悲しむことを忘れた」「悲しむ能力」が欠如していると著者は指摘するが、まさにその通りかも知れない。

★ 本書を読んで、日々マスコミをにぎわせている悲惨な事件のメカニズムが少しわかったような気がした。では、「悲しむ能力」を再生するにはどうすればよいのか。これは教育に課された大きな課題であるように思う。

★ 最近、小学校や中学校の教科書を見ると死や別れなど悲しい話が意図的に選ばれているように思う。こうした話に子どもたちはどれほど共感できているだろうか。いや、指導する教師自身がどれほど共感できているだろうか。所詮は「他人事」で終わっているのだろうか。
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