★ 「いじめ」という現象を記述する本は数多くあるが、「いじめ」の発生メカニズムに迫ったものは見かけない。この本はこのメカニズムの解明に挑戦した「いじめ学」の入門書である。
★ 本書の特色はまず、著者がなぜ「いじめ」研究をはじめたのか、自らの生い立ちを掘り下げている点である。両親との葛藤、管理教育との戦いなどリアルの描かれていた。
★ 私は著者とほぼ同じ世代だが、当時の京都の公立高校は愛知県とは大きく異なっていた。高校三原則(京都府は長期にわたり革新勢力が政権を握っていた)があり、とにかく「自由」を謳歌していた。もちろん大学への現役進学率は芳しくなく、京都の高校生がどうして地元の京都大学に行けないのかとよく批判されていたし、「一浪」は「ひとなみ」として浪人は当然のように考えられていた。
★ 高校は大学進学への予備校ではないといったムードがあった。
★ 教師も組合活動には活発だったが、管理教育には全く関心がないようだった。それで生徒に問題行動が多かったかといえば、決してそうではなかった。
★ もちろん京都府の公立高校の平均的なレベルが今よりは高く、小学区制(小学校ごとに行ける高校が決まっている)、総合制(普通科、商業科、家政科などが1つの学校に設置されている)の影響で勉強の得意なことそうでない子が1つの学校に共存していたということもある。
★ 府政が革新から自民党に変わり、また80年代の中学校が荒れた時代を経て、京都府の高校教育制度も大きく変わった。
★ 話は戻って、東郷高校の管理教育や封建時代の小役人のような教師達に怒りを覚えながらページを進めた。
★ いじめ発生のメカニズムは実に興味深かった。「世界がうまく開かれている」感覚の喪失→無限の生の腐食感=「欠如」→全能感の要請。表現は難しいがなんとなくわかるような気がする。
★ 学級に存在するヒエラルキーや「ノリ」が支配する環境も鋭い指摘だと思う。
★ 最後に処方箋を提示しているのもすごい。短期的解決策として提示された「暴力は法で裁け(警察の介入に躊躇するな)」はまったくその通りだと思うし、「学級制度を解体せよ」というのはとりわけ高校レベルではごく短期間で実行できるのではないだろうか。
★ 私が高校生時代は大学に模した形で、ホームルームはあったものの授業はほとんどが講座制だった。そして今の「単位制」高校よりももっと選択肢が多かった。
★ 警察の介入については、警察が民主的に運営されているといった前提だけは留保したいものだ。そうでないと学校にかわって警察によって管理される社会になってしまう。
★ 中長期的な展望については誰もがそれぞれの「カタチ」を想定できるだろう。脱学校も1つの方法だし、インターネットなど新しい技術が開発されるにともなって、「学校」自体が変わって当然だと思う。
★ 「いじめ」問題は、子どもの世界だけの問題ではない。封建社会、ムラ社会、全体主義、さまざまな時代背景の中で「いじめ」は展開されてきた。背後には人間の嫉妬や劣等感、優越感など根源的な心理があるのだろう。実に人間的な事象だとも言える。
★ 内田氏の「いじめの社会理論」を読み進めて、思考を深めたい。