じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

野沢尚「反乱のボヤージュ」

2019-11-14 15:49:31 | Weblog
☆ 野沢尚さんの「反乱のボヤージュ」(集英社)を読んだ。学生時代を懐かしんで読んだ。

☆ 首都大学弦巻寮(モデルは東京大学駒場寮らしい)、かつては学生運動の拠点となったその寮も今では60余名の学生を抱え、ひっそりと時を過ごしていた。大学側は学長補佐を中心に廃寮キャンペーンを展開。寮自治委員会との「闘争」が数年続いている。

☆ 今回も大学側と自治会の団交。自治会委員は学園紛争時代の懐かしい常套句を並べ大学と対峙。大学の反発を予想したのだが、学長補佐はあっさりと寮の存続を認める。ただし一つ条件を飲めば。その条件とは大学が選んだ舎監を1人置き、その人物も自治会のメンバーとすること。

☆ 意表をつかれた自治会、大学側の方針を受け入れる。後日、舎監として名倉という男が現れた。果たして彼は敵なのか、それとも味方なのか。

☆ 学生それぞれの生い立ちや現在の悩みを交えながら物語は進んでいく。

☆ 名倉にも過去があった。彼はかつて機動隊のエリートとして、軽井沢で過激派と生死を分ける戦いを経験してきた。同僚を死に追いやった学生を憎んでいた。そんな彼にとって、寮生たちの浮き草のような生き方は許容できないものであった。しかし、それなのに・・・。

☆ 描かれている学生に学園紛争当時のような生活の深刻さが感じられない。それぞれに理由はあろうが月7000円(食事つき)の寮費で居住できる生活に甘んじている。学生たちにも法廷闘争や世論に訴えると言う選択はあっただろうが、その努力も不十分だし、そうしたところで彼らを支持する人々がどれほどいるのか疑問だ。時代が変わってしまったのかも知れない。
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芥川龍之介「手巾」

2019-11-14 10:43:30 | Weblog
☆ 相棒シーズン16、第5話で杉下右京(水谷豊)さんが引用していたので、芥川龍之介「手巾」(青空文庫)を読んだ。

☆ 夏の午後、大学教授が籐のイスに座って本を読んでいる。ときどきベランダに吊ってある岐阜提灯を眺めながら。それは彼が外国人の妻と買ったものだ。そのとき、一人の婦人が訪れる。

☆ 婦人は教え子の母親だった。教え子は病床に臥していたが甲斐なく亡くなったという。その報告だという。婦人は終始冷静で微笑みさえ浮かべていた。しかし、手は震えながら手巾(ハンカチ)を裂けんばかりに握りしめていたという。

☆ 教授はその姿に感銘を受け、武士道と言うものを考えながら、聴き上手な奥さんと、先ほどの婦人と、岐阜提灯を眺めながら幸福な昼下がりを過ごしたようだ。

☆ 小説など文学が文字面よりもその行間に作者の想いが込められているように、講演や演劇では「間」がセリフ以上を物語るように、「演技」の技を教えられる作品だった。

☆ 映画「二百三高地」で、日露戦争の復命書を乃木希典が明治帝に報告するするシーンがある。多くの犠牲者を出し「自らの終生の遺憾」を述べた乃木、途中から激情に堪えかねて大きく震え、最後はひざまずき嗚咽する。明治帝は彼に歩み寄り背に手を添える。何も語らずただうなづく。その時、老将はまるで駄々をこねる子のように泣き崩れる。

☆ そのシーンが思い起こされた。

☆ 「人は『ここぞ』というときは何もしゃべらないの」、ドラマ「古畑任三郎」で加藤治子さんのセリフだった。

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