じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

石井遊佳「百年泥」

2019-11-12 19:44:49 | Weblog
☆ 石井遊佳さんの「百年泥」(新潮社)を読んだ。面白かった。素材が良い。

☆ 主人公の女性、訳ありの男に勝手に名義を使われて、借金で首が回らなくなる。恥を忍んで元夫に相談したところ、紹介された仕事がインドの企業で日本語を教えること。彼女に選択の余地はなく現地へ。

☆ 現地は100年に1度の大洪水。その濁流を見ながら彼女は日本語学校での出来事や自らの生い立ちを振り返る。

☆ まず、日本語学校の生徒たちの様子、会話(現地語、英語、日本語がチャンポン)が面白い。西洋人がはじめて日本を訪れたときも同じようなカルチャーショックを受けたんだろうなぁと思いながら読んだ。

☆ インド独特の事情、カーストであったり、ムラ社会であったり、日本とのカルチャーギャップも面白かった。

☆ 異臭を発しながら攪拌され流れゆく濁流。「百年泥」には、人々のいのちが堆積されているようだ。過ぎ去った人生、経験できなかった人生、やがて経験するであろう人生。輪廻する生命のように流れていく。人それぞれにその泥から、いのちの系譜を拾い上げていく姿が印象的だった。

☆ 日本語学校に気に食わない生徒がいた。気に食わないのに、なぜか気になる。彼の父親はクマと相撲をとる大道芸で生計を立てていたという。彼の母親は民間医(呪術や薬草で病気を治す)。こうした背景もスケールが大きい。彼が父親と旅行中に母親が亡くなり、遺言に従ってガンジスに向かう辺りもドラマチックだ。遠藤周作さんの「深い河」を思い出した。

☆ 人類は言葉を生み出し、文字を発明し、効率的に意思を伝えることができるようになった。歴史を残すことができるようになった。と同時に、言葉で表現できないものを軽視してはいないだろうか。「類」として共通するつながり、ユング的に言えば「集合意識」のようなもの、生命が宇宙に生まれ、進化してきた過程で集積されたもの、そんなものを垣間見たような気がした。
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東野圭吾「予知夢」

2019-11-12 15:09:05 | Weblog
☆ 東野圭吾さんの「予知夢」(文春文庫)から「夢想る(ゆめみる)」と「霊視る(みえる)」を読んだ。

☆ 「夢想る」は「モリサキレミ」という名前にまつわる話。「霊視る」は心霊写真が出てくる。オカルトチックな作品が続く。あえて物理学者の湯川助教授を登場させる必要がないように感じた。

☆ 先に読んだ「探偵ガリレオ」が物理学を駆使した推理で非常に面白かっただけに、物足りなさを感じた。
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共通一次テスト

2019-11-12 10:05:15 | Weblog
☆ 2020年からの大学入試改革、英語民間試験の導入が延期され、数学、国語の記述式も先行きが不透明だ。次々と目玉企画がボツになり、それなら今まで通りのセンター試験で良いのではと思えてきた。

☆ 私見で結論を言えば、「共通テスト」は大学受験基礎テスト(大学受験資格試験)と位置付けてしまえば良いのではないか。そうであるなら効率的に採点のできるマークシートで十分だ。その1次試験を受けて、各大学が独自入試(2次試験)を課せば良いのではないか。

☆ 民間の英語検定を採用する大学(学部)があってもいいし、論述中心の試験を課す大学(学部)があっても良かろう。「共通テスト」だけを採用する大学(学部)があっても良い。高校の内申点だけで合否を決める大学があってもよかろう。大学にとっては入試など雑務だろうが、自らの後継者を育てるという意思をもって一肌脱いでもらいたいものだ。

☆ 2次試験なら受験者数も限られるから、英語のスピーキングであれ、論述であれ、採点しやすいのではなかろうか。

☆ 単独で試験実施が難しい大学は例えば東海地区、関西地区のような地区単位で行えばよいし、教育大学でひとくくりにして複数校で実施しても良かろう。要はしっかりした指針・受験内容・方法を十分な周知期間を設けて、受験生に浸透すれば良いのだ。どの大学(学部)を選ぶかは受験生の自由なのだから。 

☆ 大学入試の原点に返るべきではなかろうか。 

☆ センター試験の前進「大学共通第一次学力試験(共通一次テスト)」は1979年にスタートした。難問・奇問を排除し、受験戦争を緩和するのが目的だった。後に新自由クラブを結成するいわゆる「文教族」が中心に実現されたように記憶している。当時は受験生も多かったし、浪人生も多かった。

☆ 私が大学を受験したのは1977年(現役)と1978年(浪人)だから、「共通一次テスト」は受験していない。1期・2期制(当時、国立大学は旧帝国大学を中心とする1期校と戦後の新制大学を中心とする2期校に分かれていた)最後の年に大学に合格した。

☆ 現役時代、試行テストを京都大学の大講堂で受験した記憶はあるが、結果がどうであったか(そもそもフィードバックされたのか)覚えていない。

☆ マークシートで選ばれた学生は「共通一次世代」と揶揄されたが、それから40年あまり、その世代も今や50代。果たしてその効果はどうだったのだろうか。

☆ 少子化の時代、大学の統廃合が叫ばれ、大学大倒産時代が近づいているのではとも言われている。大学(学部)がどんな学生を望むのか、もっと主体性を発揮しなければ、生き残っていけないのではなかろうか。入試というのは各大学(学部)が主体性を示す(魅力をアピールする)絶好の機会だと思うのだが。
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