1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 先代(亡父)は常々「見てわからんもんは、言うてもわからん。人は教えられても、身に付かん。人は気付かにゃ、身に付かん」と拙僧に。

2022-06-03 10:57:48 | 法話
拙僧の息子2人が30歳を超えて突然に「父さん、お経を教えて下さい」と。拙僧の体調を気にしての事かも。拙僧も父の体調が理由でお寺に入る決意を。父は拙僧に「お寺を継げ」とは1度も。拙僧も息子達には1度も。人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん。今、息子達は懸命に、お寺のノウハウを。

【追伸】
拙僧の息子達に「お寺だけの収入でやって来れたは、爺ちゃん(先代)や父さん(拙僧)の代までだ。君らの時代は、そうはいかん。よって、2人共(バリバリ理系)、今の仕事を持った状態で檀家さんを守っていく事を考えろ。お寺に入ってくるお布施は全て、今後はお寺の維持に回す事になると思う。実生活のお金は外の仕事で稼いだもので賄う事に、つまり、この先は兼業寺院になっていく、という事だな。檀家さんの家の年忌などは、数年に1度の法要。たった1時間の法要に2万円、3万円という多額のお布施を。お経の練習もせずに迎え入れるは、何とも失礼だと思わんかい。初めは誰しも、ぎこちないもの。父さんも始めはそうだった。『一生懸命のお経を有難うございました』が、いつしか『有難いお経を有難うございました』に変わってくる。が、簡単には変わらんぞ。父さんも、理趣経、観音経、声明(しょうみょう)、その他お経の録音テープを仕事(布教)で走ってる車中においても、何年も聴き続けてきたもんだ。自信がなくとも、一生懸命大きな声でお経を唱えれば、先祖さん達にも、遺族の心にも、響くもんだ」と。