1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2395話目】 読者が「裁判員制度を住職はどう思うか」と。「通知が来たが、罰金払ってでも辞退を、と先方に。住職が人を裁くなど」と。

2022-06-15 20:21:46 | 法話
読者が「住職は死刑は賛成派ですか、反対派ですか」と。「これは難しい問題。無残な殺され方をされ、その後の人生(時間)を奪われた人の事を考えると、ね」「通常、判決は主文、理由の順番で言い渡されるが、主文後回しは『死刑確定』でしょ。犯罪者に動揺を与えない為というが、後回しの時点で死刑ですよね」と。

【追伸】
この読者に「主文後回しは、死刑に限った事ではないみたいだよ。無期懲役も後回しにする場合があると」「えっ、どんな場合ですか、というより、何故ですか」と。「被告人は死刑を覚悟していたのに『無期』と初めに言い渡すと、その喜び(まだ、生きられるという思い)から、気持ちが緩みっぱなしになって、判決理由はどうでもいい、と聞いてくれなくなるを避ける為、らしいですよ。まあ、しかしながら、裁判員裁判の制度が重大裁判担当とは、一般の人にとっては酷ですよね。冤罪を無くす為とはいえ。この制度が始まった当初に、拙僧にも通知が。対し拙僧「住職が人を裁くは個人的にどうかと思います。罰金を支払ってでも(当初は拒否すれば罰金が課せられると噂が。裁判員を拒否出来る人、の項目の中に、住職という項目がなかった為)、お受けするを拒否させて頂きます」と返書したら受理されましたが。お受けされた人の話を聞きましたら、見るも無惨な写真を見せられ、しばらくの間、精神が不安定になったという人も。今、この制度は実際のところ、どの様になってるのかな」と。因みに、1年間で裁判員に選ばれるは、約9000人と。国民総数の0、01%との事。但し、地域ごとに選出の為、選出される確率高低は地域(人口に対して事件の数)によって様々との事。









【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 報道番組で自死者が出る度に「自殺は永久に地獄行きか」と質問が。「それは自殺防止の為の方便。その人の死を愚弄する事ならず」と。

2022-06-15 09:35:26 | 法話
昨夜、読者男性から「22歳の娘が今、保護されてると警察から連絡が。自殺を決意出来ずに呆然と立っているを、声を掛けられて。家内が今、警察へ迎えに。私は娘が帰ってきたらどの様な対応を」と。「同席を求められる以外は、奥さんに任せなさい。家庭内の風を動かさない様に。少しの風でも心を痛めますから」と。

【追伸】
この男性が「今後、他に気を付けていく事はないですか」と。対し、拙僧「生きていてくれただけで、有り難いですよね。拙僧、学校講演では常に保護者へお願いする事は『子供さんが嘘をつく必要のない、子供さんが隠し事をしないで何でも話せる、そんな家庭環境を親は構築して下さい』と。最近、あなたの娘さんですが、何か変化はありましたか」と尋ねると「大学も、バイトも、楽しそうだし、『まさか、なんで』という心境です」「わが寺でも青少年の自殺は何人か出ましたが、拙僧周囲の範疇での事ですが、昨今は皆、警察が交友関係、仕事関係、携帯電話の通話履歴、を調べても、決定的な理由が見つからない事例が多い。どうも、直情的な行動をとる様で。それでも理由は必ずあるはず。少し前までは、拙僧周囲で起こった狭い範囲の事例ではありますが、青少年の自殺の理由は全て、親子関係か、親の不仲、その他家庭環境。親は子供が幼い頃は、子供の『何で、何で』の疑問に対し、丁寧に対応してきたのに、子供が成長するにつれて、いい加減な対応に。子供が抱え込む問題が、切実なものに変わってきているのに。この対応で親への信頼が徐々に薄れ、殻の中に閉じ篭る様に」「そう言われてみれば、当てはまる事が多々ある様に思えます。これからはもっと、子供の方に目を向けていこうと思います」と。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 雷が遠くで聞こえる間は『雷』と呼び捨てを。近くで鳴れば『雷様』と様付け。願いがない時は『仏』と呼び捨てを。困った時には『仏様』と。

2022-06-15 08:28:12 | 法話
読者女性が「住職は、占いは必要ないとの考え方ですか」と。「いやいや、少なくとも、言われた事はその真偽に関わらず皆、気を付けるでしょ。それで1つは災難防止に繋がるもんね。が、占いを鵜呑みにして、怖がるだけでは、喜ぶだけでは、進展なし。人間は努力してなんぼ。占師さんも、当たるも当たらぬも八卦、と」と。

【追伸】
この読者女性は、先日投稿した法話『番組、さんま御殿、のネガティブ人間で、占いに凝り過ぎてる人が、占い師から、今日は悲しい事のある日です、と。その通りになった、と。占いって、当たるんですね、と。対し拙僧、この読者に、あなたは今日、嬉しい事、悲しい事、腹立った事、楽しい事、何かありましたか、と問うと、全部あったかな、と。ほう、じゃ、何を言っても、当てはまるかもね、と』を読んで拙僧にメールを。因みに、拙僧が大学時代、後輩連れて正月の三社参りへ。無信心の彼は、お賽銭は供えずに『おみくじ』だけを。ところが、三社とも大凶。流石に三社目でも大凶が出た時には凹んでましたね。対し、拙僧「これ以上、落ちる事はない。あとは上るだけ」と慰めたが。が、彼はその後、順風に人生を。「運が悪いなら気を付けて生きるだけ」と。当に、災い転じて福となす、ですね。