やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

感覚過敏

2017年08月01日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

8月になりました。

特別水泳教室も終わり、夏休みのサッカースクールは8月8日から始まるので、毎日、息子はのんびりと過ごしています。

いつもメールのやり取りをしたり一緒に遊びに行く友達がおたふく風邪にかかってしまったため、この10日間は友達とも遊ばず、DAZNでサッカーの試合を観たり、サッカーゲームをしたり、サッカー関連の本を読んだりと、好きなことをして過ごしているようです。 

ただ、何もしていない時間は、相変わらず「落ち着かない」と言って、ボールを蹴りながら家の中をぐるぐるぐるぐる回っています。

 

何もせずにじっとしていると、自分自身が消えてしまうようで落ち着かないのでしょうか?

 

熊谷高幸さんの「自閉症と感覚過敏  特有な世界はなぜ生まれ、どう支援すべきか?」を読むと、

「そうして大きく体を動かすことによって、意識が外部からのわずらわしい刺激から解放されて自分自身に向き、自分を取り戻すことができるから、という理由である。自閉症の人々は、感覚過敏を持つため、外部からの刺激を通常よりも強く感じ取っている。だから、じっとしていると、その圧力が強まり、脅威となる。しかし、自分の体全体を大きく動かすと外部刺激は攪乱して弱まり、世界の中心は自分の方に移るのである。」

ということが書かれていました。

 

こんなにのんびりと好きなことをして過ごしていても、息子は、何もしていない時間に落ち着かなくなってしまう。

いったいなぜなのか?、と思っていたのですが、なんだかしっくりきました。

 

今まで、多動があるからしょうがない、と思っていましたが、息子は、小さい頃に比べて格段に落ち着いて暮らせるようになっています。

ただ、このボールを蹴りながら家の中をぐるぐる回ることはやめられません。

 

東田直樹さんも、著書「自閉症の僕が跳びはねる理由」の中で、

「跳んでいるときには、自分の体の部分がよく分かるからだと思います。手を叩けば、ここが手。跳びはねれば、ここが足。というふうに。」

と、書かれていました。

そういうものなのかもしれません。

 

2013年のDSM-Ⅴによって、自閉症の中核症状である、「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「想像力の障害(こだわり)」に加えて、「感覚の過敏性、もしくは鈍感性」が加えられるようになりました

 

感覚のことが取り上げられるようになったのは本当に最近のことで、東田直樹さんをはじめ多くの当事者の声が、外から見た障害だけでなく、感覚という内から見た障害を理解するきっかけになっているようです。

 

過敏と鈍感を併せ持つ息子の不思議な世界は、ある刺激に過敏であるゆえに、他の刺激をとらえる余裕がないからなのかもしれません。

また、一つのことに集中し過ぎて2つ以上のことを同時に出来ない。

異常に疲れやすいことなど、感覚の過敏性は多様な困難の原因となっているように思います。

 

話は変わりますが、今年の夏の特別水泳教室で息子は25メートルを泳げるようになり、私はとても驚きました。

何が変わったのか?

息子自身の成長ももちろんありますが、去年と今年では、夏休み中の水泳教室の着替え場所が変わったのです。

去年までは、プールの更衣室を使うことになっていました。

今年は、体育館で着替えることになりました。

 

暗くてじめじめして半分土足のような更衣室が苦手だった息子。

しかも、特別水泳教室の後は、自由水泳の子ども達が着替えに来るため、大急ぎで着替えなければなりません。

苦手で嫌な感覚は、着替え中だけでなく、プールに入っているときも、家に帰って来てからも、息子の感情や行動を支配していたように思います。

 

今年、体育館が更衣室として使われるようになったことは、息子が25メートルを泳げるようになったことに、私は、少なからず影響があったと思っています。

息子がのびのびと水泳に集中できる環境を整えてくださり、先生方には本当に感謝しています。

 

息子の持つ特性と、支援のあり方、それに応えて社会で働く大人になるためには何が必要なのか、これからも勉強していきたいと思っています。


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2 コメント

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Unknown (蓮の花)
2017-08-01 22:46:15
...塾をやってた時、多動性学習障害と診断された生徒を預かって頂いたことがありました。

小学5年生で入塾して
高校受験を終えて塾卒業しましたが、
高校生になったら挨拶にくると言ってずーと来なかった生徒です。
彼自身と母親は医者から診断されたことから
普通の子とは違うとの確信みたいなのがあって
日常の些細なトラブルや不適応(年齢からくるもの)も全てその障害のせいだと結論つけていました。
私は当時、医者の判断には不信感があったので
お母様に、年齢の問題や成長期の適応の差もあり得るので、みてみますと言って、
できるだけ彼と話し合う時間を無理のない範囲で持つようにしてました。
ある日、夏休みの作文指導で話し合ったら
彼が昆虫のことに博識というか、全ての昆虫名を覚えていることが分かりました。
とても障害のある子には見えなかったので
私が分からない世界を教えてもらう感じで彼にあれこれ質問したりとしているうちに
彼の発することばが流暢になり
具体的になり
生物系を勉強できる高校に進学したいとのことを話すようになりました。
ですが、その偏差値は当時の彼にはとても到達できないような高い数値でした。
そこで取れる科目だけに得意点数を上げて
苦手な科目は捨てる方針を採択したのっです。
お母様は半分は諦め口調で、
もし不合格になれば挫折はするだろうけど
彼には教訓になるでしょうーとおっしゃっていました。
私と彼は毎日、過去問をやって
練習をして
過去問から解答する基本要領を真似て
結構きつい日々を送りました。
偏差値37を48まで上げた時
彼は自信感に溢れ
目が輝き
行動も頼もしくなり
本人から落ちてもやるだけはやったから悔いがないーと言うようになりました。
合格発表の日は私も如何なる結果をも受け容れられるようになりましたね。
医者の診断ーこの子は特別な扱いが要るーことに反して
見事に合格しました。

障害を見るか
可能性を見るか

私は可能性を見て彼はその可能性を私に見せてくれたのです。

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蓮の花さんへ (justyblu)
2017-08-02 22:42:33
蓮の花さん、こんばんは。
貴重なお話をありがとうございます。

蓮の花さんの励ましとご指導のお陰で、その方は実力を伸ばし、希望の高校に合格され、きっと大きな自信を得て、社会で活躍されていることと思います。

息子も、今は何が向いているかとか、記憶力以外に得意なことも分かりませんが、息子だからこその人生を必ず切り開いていけると信じています。

息子は、特性ゆえにみんなのように出来ないことがたくさんあります。
体の使い方が不器用で、聞くことも苦手なため先生の指導も分かり辛く、けれど、それでも、みんなと同じようにやろうと頑張り、出来ないことに不安を募らせてしまいます。
そんな彼に、私もそうですが、先生方も、周りの友達も、困っていることは何なのか、何か出来ることはないのかと考えてくださるようになりました。
少しの支援で、息子が普通に出来ることが増えてきました。

視力の低い人が眼鏡をかけると見にくかった字が読めるようになるように、本人に必要な支援で生活がうまくいくようになるのだと実感しています。

とはいえ、調子を崩しがちな息子に、どこまで頑張らせていいのかと、迷うことも多いです。
たとえ、うまくいかないことがあっても、蓮の花さんのように、息子の可能性を信じ続けたいと思っています。
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